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「うんどんこん」について

こんばんは、栗山陽輔です。

実は最近やんわりと毎日更新を辞めていく方向に持って行っているのですが、今日はそんなことにもある意味通ずるテーマでお話しします。

今日のテーマは「うんどんこん」についてです。

これは以前、僕がある方のお話しから、なるほどなと、とても感心したことであります。

これは社会的な意味でも、精神的な意味でも、一人の人間として成功する人間に必要な三つの要素であるらしいです。
うんどんこん。漢字に直すと運、鈍、根です。

まず一つ目。運がよくなくちゃいけない。
当たり前っちゃ当たり前なんですが、何かの行動をする際にすべてが必然のように考えることもできますが、僕の場合も含めて考えると、運って本当に大切なことだと思いますよね。

最後の根。これは根性ってやつですね。
根性論というと嫌われる時代になりましたが、何かをやりたい、頑張りたいと思った時に本人その人には根性というのは必要ですよね。意志の強さと言い換えればいいのかな? 意志というのが曖昧で手に負えないならば、そのことを踏まえて論理を組み立てたり、技術的に考えていくことも、結局はその人の根性なのかもしれません。

そして今日の話のメインテーマ。

鈍。
鈍くなくちゃいけない。

これ、本当になるほどと感心したのですが、何かを頑張ろうとする人ほど、鋭くあろうとし過ぎるものだなと気づかされたのです。
でもですね、何かを長期間に渡って続けることができたり、人にはなかなかできないようなことを行っていかなきゃいけない人って、必要な鈍さを持っているなと思えるのですね。

何もかもに鋭く反応していると、精神が持たないのです。
時代劇の将軍とかは、よく映画とかで「どっしりと」構えているものですが、あれも言い換えれば「鈍」ですよね。
多くの部下が慌てふためくような状況で、戦況は確実に悪化していたとしても、将軍はどっしりと構えて動かない。武田信玄の風林火山の山は動かぬというのも、この「鈍」に繋がる気がするのですね。
もし将軍が、兵士一人一人の安否を本気で気遣い、一人でも負傷したらどうしようかと思い悩むような人物だったなら、軍は成り立たないですし、戦になりません。敵が攻めてきた瞬間に慌てふためいていたら誰からも信用を得ることはできないでしょう。

しかしながら、自分が「行け」と言った瞬間に何千もの兵が戦場に突っ込んでいき、そのうちの何人かは確実に犠牲になるとしても「行け」と言える「心の鈍さ」が将軍のような人物には必要なのであります。

もちろん現代社会において、人の命に関わるような鈍さは許されませんが、ちょっとの失敗を気にしない、ちょっとの批判を、誹謗中傷を気にしない鈍さのようなものも、ひょっとしたら幸せに生きていくために必要な要素なのかもしれないと考えている今日この頃です。

なので僕は毎日更新をうたっていた記事を、しれっと、ほぼ毎日更新してますよぐらいに変更したとしても「俺は一度決めたことを守れなかった…」なんて気にすることなく、自分のペースで頑張っていきたいと思います。

あと一つだけ言いますと、創作に関わる活動をしている人というのは、「自分の感性を鋭くすること」を是と捉えすぎている人が多いので、特に気を付けたほうがいいです。

感性が鋭い。感受性が豊か。

これは創作活動に従事するものとしては必要なことでしょうし、誉め言葉でもあるのですが、何もかもに鋭く反応し、小さなことに想像力を駆使してしまいすぎるのも考えものです。
精神的に病んでしまうクリエイターや表現者が多いのは、このためだと思っています。
そういえば僕も、18歳ぐらいのときは先輩から「お前ぐらい楽観的な考え方になりたいよ」とよく言われるほど、「まぁなんとかなるんじゃないですか」が口癖の人間だったなぁ。
役者を始めてから、そんなある意味での適当さは確かに失っていってしまったような気がします。いつもピリピリしてて、何かを焦ってばかりだったような二十代でした。
三十歳を過ぎて、色んな意味で鈍くなってしまったし、鈍くなれたかなと思える部分もあります。

どちらがいいかとは一概に言えないことかもしれませんが、自分の中で、必要な「鈍さ」を意識することも大切だと僕は思っています。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

それでは皆さん、よい夢を。

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