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コロンバヌス

ヨセフ・ラッツィンガー氏(名誉教皇ベネディクト16世)による一般謁見演説より、修道院長コルンバヌスについて取り上げたいと思います。

以下、引用となります。

コルンバヌスは約50年間、「キリストのために巡礼者となる(peregrinatio pro Christo)」というアイルランド特有の禁欲的理想に従い、アイルランドを離れて、12人の同士とともにヨーロッパ大陸で宣教活動を行いました。実際、わたしたちは北と東からの民族の移動により、すでにキリスト教化していたヨーロッパ全域が再び異教に戻ったことを知らなければなりません。590年頃、コルンバヌスの小さな宣教団はブルターニュ海岸に上陸しました。彼らはアウストラシア(現在のフランス)のフランク王の歓迎を受けましたが、ごくわずかな未開拓の土地しか求めませんでした。コルンバヌスたちは、完全に破壊されて放置され、今や森に覆われていたアヌグレーの古代ローマの要塞をもらいました。極度の自己放棄の生活に慣れていた修道士たちは、数か月で廃墟の上に最初の隠修修道院を建設することができました。こうして彼らの再宣教は、何よりもまず生活のあかしによって始められました。新たな土地を開拓しながら、彼らは新たな魂の開拓も始めました。外国人の修道士が祈りと厳しい禁欲の生活を送りながら修道院を建て、土地を開拓しているといううわさは、すぐに広まり、巡礼者や回心者を引き寄せました。何よりも多くの若者が、修道共同体に入ることを求めました。それは、修道士たちと同じように模範的な生活を送り、大地と魂を新たに開拓するためです。すぐに第二の修道院を設立することが必要になりました。第二の修道院は、数キロ離れた、古代の温泉町の廃墟であるリュクスーユに建てられました。リュクスーユ修道院はやがて、アイルランドの修道生活と宣教の伝統をヨーロッパに広めるための中心地となりました。第三の修道院はリュクスーユからさらに北に1時間ほどの、フォンテーヌに建てられました。

 コルンバヌスはリュクスーユで約20年間暮らしました。彼はこの地で、自分に従う人々のために『修道規則』(Regula monachorum)を著しました。

一般謁見演説より

聖コルンバヌスのメッセージの中心にあるのは、永遠の遺産を与えられるために、回心して地上の富から離れるようにという強い呼びかけです。禁欲生活と、堕落した権力者に対する妥協のない態度によって、コルンバヌスは洗礼者聖ヨハネの厳しい姿を思い起こさせます。しかし、コルンバヌスの厳格さは、目的そのものではなく、手段にすぎませんでした。それは、神の愛に進んで心を開き、神が与えてくださるたまものに自分のすべてをもってこたえるためです。そこから、自分のうちに神の像を回復し、地を耕し、人間社会を刷新することができるのです。コルンバヌスの『教え』(Instructiones)から引用します。「人間は、神から自分の魂に与えられた力を正しく用いるなら、神に似たものとなります。初めの状態のときに神がわたしたちにゆだねてくださったすべてのたまものを神に返さなければならないことを、思い起こそうではありませんか。神はご自分の掟によって道を示してくださいました。第一の掟は、心を尽くして主を愛しなさいという掟です。なぜなら、世の初めから、わたしたちがこの世の光を見る前から、神はわたしたちを愛してくださったからです」(『教え』:Instuructiones XI参照)。アイルランドの聖人コルンバヌスは、このことばを本当に自分の生活の中で体現しました。

一般謁見演説より

次回は、セビリアのイシドルスになります。

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