「怒り」を噛み砕く

人から何かを言われてカーッとしてしまい、売り言葉に買い言葉で不用意な発言をしてしまい人生を誤る場合がある。
 
ところが、同じことを聞いても「ちょっと待てよ。これは辛辣な言葉だが、私の将来を思って言ってくれたことだ。言う人も辛かったろう。これからは改めよう」と思えば反省と感謝の気持ちも湧いてく。

同じ言葉を聞いて、地獄になればクスリにもなるのは、自分の心の受け止め方次第だ。
人の話を聞いた時、すぐに反応するのではなく、まず素直に「この人はこう言っているが真意はどういうことだろうか」と自分で咀嚼し熟慮することで、失敗を避けることができる。

わかりやすい例で言えば、政界での失言問題なんかが挙げられる。入ってきた情報を、咀嚼する、熟慮する、心の中で練るという思索がおろそかにされている結果だ。

「花を花と見て、花と見ず」(仏教の教え)

「花を見る」とは、自分の立場から発した行為。人間の先入観でそう見えるので、実はそうでないかも知れない。今自分が見ているだけがすべてと思わないこと。

この言葉はそれを教えている。

(ある書籍の記述を再構成したもの)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?