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私は、親に感謝をしております。スポーツを通して社会で生き抜くためのいろんな角度から物事を学ぶことを教わりました。

小学生から高校生まで野球を行ってきました。こんな私に高校生まで好きなことをさせて頂きありがとうございます。

小学生の頃兄が友達の誘いで野球に出会いました。まだ幼かった私は、母に連れられて兄の応援に言っていました。そんな日々が数日過ぎました。  小学校に上がった日曜日これを着なさいと言われ、野球のユニフォームを着て分けがわからず、兄と一緒に野球に行くことになりました。      兄と一緒に行くことが嬉しかったことは、今も覚えています。      でもなぜこのようになったか、私が20歳の時に母に聞いたことがありました。それは、兄の野球に見学に行った際に、当時の監督に小学生になったら野球やろうなと言われて、「うん」と答えていたから、野球チームに入ったのだよと言われました。 まったく記憶にございません。ここから野球の人生が始まりました。

小学生の頃同級生が少なく、後輩の子たちとチームを組んでいました。中学生になってからは、近くのクラブチームに入りました。そこでも同級生は4人でした。最高学年になった時一人は、試合に出れないならやめると言ってチームを去りました。私自身うまくありませんでした。中学3年の夏甲子園の特集の熱闘甲子園をみていて高校でもこのように熱く野球をして甲子園を目指して高校生活を送りたいと思いました。両親に話をして金銭面の苦労を掛けるが、高校でも野球をやりたいと伝えました。

高校選びをする際に自分自身の野球のレベルが低いと認識をしていました。そこで野球の塾に通うことにしました。そこでは違う学校にいく友達と高校は別だが、お互いにレギュラー目指して球場で会うためにと約束をして切磋琢磨しておりました。

高校は隣の区でそこそこ東京でベスト8位入るぐらいのチームなら自分の実力でも通用するのかと思いました。

高校に入学して周りの実力に圧倒されました。練習についていくのがやっとでした。夏休みに入り一人また一人といなくなってきました。部員は減っていきます。それほど過酷でした。秋になり秋大会のグランド当番高のため係の手伝いをしておりました。そこで他校の方とお話をさせて頂く機会がありました。名門帝京の方話を聞くとびっくりしました。

お弁当箱を二つ持たくるといっていたからです。そんなに食べても消費カロリーがすごいので、やせてしまうと言っていました。また寮生活ではなく通っていることも聞いたので、それでも強い高校はすごいと思いました。

私自身は、寮生活を8月から行っていました。当校は基本全寮制だったので、朝から晩まで野球に打ち込めると思い進学を決意しました。

入った当初は、先輩のお使いは、当たり前でした。でも私は幸せだと思っています。何度もやめようと思いました。先輩に相談をしました。

今でも苦手な先輩でしたが、私に対してこの時ばかりは、親のありがたみを教えてくれました。レギュラーになれなくてもいいんだよ。お前が最後までやり遂げることが親は、それを願っているのだよ。

だからきついけど逃げるなよ。練習がきつくて大変だけどくらいつけと言われました。私は、とりあえず食らいつくことにしました。

二年になり更に現状は、厳しくなりました。特に後輩は、シニアリーグ、ボイズリーグ、ポニーリーグで名が通った後輩ばかり集まることになっていたので、私がレギュラーを取るよりもベンチに入ることすら厳しい現実になってきました。でも先輩との言葉の約束でとりあえず食らいつくことにしました。

最上級生になっても状況は変わりません。でもあきらめずやりましたが、年明けの1月半ば監督に呼ばれました。

選手としてはもうあきらめて夢のスポーツトレーナーになるために今から勉強しないかと言われました。その頃チームでスポーツトレーナーさんを雇ことになりました。しかしベンチでレギュラーメンバーがメインで治療などをしてもらうことがありました。当時はどうしてと思うことが複雑にありました。しかし社会に出て思ったことは、当たり前だと思いました。今逆の立場ならレギュラーメンバーのケアをしっかりしてあげることが、公式戦で勝てる秘訣だと思います。その頃の監督さんは、どこか苦しい思いをしていたと今は思います。

私自身もう限界かと思い、選手コーチを選びました。周りの補助ばかりですが、とても勉強になりました。今では、あの頃練習を外から見せてもらうことができたから、物事を冷静に見れると思います。

一年生が入ってきたので、私は、一年生の面倒をすることになりました。うまくいくこともあればいかないこともたくさんありました。人を育てる勉強をさせて頂きました。

最後の夏の大会では、名門に負けました。本当は勝てた。勝てば決勝で帝京を倒して甲子園に行く夢が途絶えました。その時、私は、誰よりも泣きました。行きたかった甲子園に行けない悔しさでいつまでも泣きました。

あんなに泣いたことは今もありません。

ここまで育てくれた親には、感謝しかありません。実力もない私を私立に入れてくれたこと。寮生活の費用もだしてくれたこと。選手コーチになった時も温かく認めてくれたこと今でも感謝いたします。だから私も今親となり子供のやりたいことにしっかりと声をかけて耳を傾けてあげたいと思います。

また中学までは、ただの練習をしていた出けでも高校で練習を見させてもらい方の荷が下りた時楽な気持ちになりました。それほど自分で自分を追い込んでいることがわかりました。またさまざまな見方を変えることで見えないものが見えてくることがわかりました。

本当に感謝いたします。

ありがとうございます。

今後も素晴らしい学びを次世代に伝えていきたいです。


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