大草原の小さな家感想録 ~シーズン3 6話・7話 「春の別れ」~

大草原の小さな家 をDVDで観返しており、その感想の備忘録です。内容についてのネタバレ大いにあり。

正直なところを言いますと。
前後編となっている「大草原~」に外れ無し、と思っていたので、期待大きいまま観始めたのですが。
感動の涙どころか、苦々しい現実の連続に、冷めた目で画面を見つめていた、というところが正しかった。
ですが、最後につながる、たった1シーンで、それまでの評価ががらっと覆りました。こんな経験は初めてです。

ランスフォードはチャールズの父親です。夢見がちで少し軽いところがあるが、「家出する!」と言い出した子供の頃のチャールズに語る言葉に、優しさと人生を見通す確かさを秘めているあたり、苦難も経験してきた生き様の深さを感じさせます。
「なぜ家を出るんだい?」
「兄さんのピーターは命令ばかりだし、勉強はつまらないし、もう家にいるのは嫌だ」
「じゃぁ、父さんも家をでよう。母さんも命令ばかりだ。俺ももう疲れた。家を出て好きなように暮らすよ」
賛成されることは予想外だったのか、急にしおらしくなるチャールズ。
――母が亡くなり、故郷ウィスコンシンに向かう列車の中で、幼かった自分をチャールズは思い出すのでした。

ですが妻を亡くしたランスフォードは生きる意志をなくしていました。
家に放火し自殺しようとする彼を命からがら救い出し、雨の中倒れ込むチャールズと、助け出されたランスフォード。
観念し、彼はチャールズと共にミネソタのウォルナットグローブに移住することを承知します。

ローラとの交流で、ランスフォードは少しずつ、英気を取り戻してゆきます。しかし、悲しい事故が。
ローラの操る愛馬バニーが鉄柵に足をかけ、ローラもろとも転倒してしまいます。
現場に急いでやってきたチャールズが出した結論は、「予後不良」。

馬という生き物は、サラブレッドなどに特にその傾向が高いのですが、その馬体重のため足を骨折してしまうと他の足に負荷がかかり、蹄葉炎などの足の病気を併発しやすくなり、最終的には死に至ります。
そのため、苦しみを長引かせぬよう、安楽死させることになるのです。
チャールズもその決断をし、致命的なシーンを見せぬようランスフォードにローラを連れ去るよう願うが、なぜかランスフォードは聞き入れません。
「私が治す」と言ってしまいます。
約束、したからだ。馬と転倒しすがりつくローラに、「父さんがきっと治してくれる」と、出来もしない約束をしてしまいました。
当然、約束は守られない。バニーはチャールズの手にかかり、ローラは傷つき、ランスフォードを憎みます。
このことがきっかけで、ランスフォードはウォルナットグローブを離れ、ウィスコンシンに帰ることを決断します。

ローラはエドワーズの言葉で改心し、ランスフォードのもとへ謝罪に向かいますが、彼は去ったあとでした。
無賃乗車に失敗し、駅舎で寝ているところをローラに発見され、彼はローラの謝罪も「うちへ帰ろう」という懇願も聞き入れず、ただ死なせてくれ。私に構うな、とにべもありません。

……ここまで。
老いたる麒麟は駄馬にも劣るとは言いますが、逞しく正しかったはずの父親(ローラにとっては祖父)が、衰えて弱気になり、悲しみと失意にまみれて誇りを失っていく姿は、物語の美しさを色あせさせ、ただただ現実という醜い縛りを露出していくようで、観ていて辛いだけの時間が過ぎていきました。
正直、この前後編の感想は書くまい。そう思っていた……のですが。

この後のローラの一言で、これまで観ていた全ての感想と私の主観がひっくり返りました。

「……ボストン行きの列車の切符をください」
「ローラ、なんだって?」
「ボストンに行くの」
「家を出るというのか。なぜそんなことを」
「もう家にはいたくない。人の言うことを聞いて、家の手伝いをして、嫌いな学校にも行ってきたけど、いいことなんてない。だから街を出て一人で勝手気ままに生きるの。おじいさんのように」

この言葉を聞いたランスフォードには、かつてチャールズに同じようなことを言い聞かせた時の光景が、甦ってきたはずです。

同じ言葉を、自分の孫娘がこんどは、同じやり方で、自分に言い聞かせている。
ローラの諫めを、聞き入れないワケにはいきませんでした。
それは、かつて大切な息子に語った自分の言葉自体に、嘘をつくことになるからです。

人を思うと言うこと。血が繋がっているということ。
そこには確かに絆があり、見えない糸で結びついている。
その結びつきを、信じるか信じないかはその人の心次第ですが。
見えない糸は、確かにいつまでも繋がっている。

初めてです。
家族っていいなぁ、と思えたのは。

ただ。
ハッピーエンドではありましたが、苦々しい現実の方もまた、我々は見ていかなくてはなりません。
人には生活があります。労働は過酷で、親は老い、過去との区別は曖昧で、見たくもない醜悪な争いをぶつけ合うこともしばしばです。
そして、いつか、死んでいく。
それが苦しくないとは、誰にも言えません。
笑い合ったまま死にたい。それが家族だ。願うのは誰しも同じ光景でも。
それはたいてい、叶わぬ夢幻です。

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