タバコはなぜ廃れたか

某SNSでの話題を元に、一度だけちょっと深く考察するだけの文章です。
今回も、昔話です。

タイトルのような内容について語っていきます。出自はSNSというよりは、某雑多掲示板が主ですかね。
ま、未だ喫煙者と呼ばれる方はいらっしゃいます。
理由はもちろん、辞められないから、なのでしょう。
まぁ、それはいいのです。

ほぼコンスタントに、嫌煙者の立場が語られ、それに対する喫煙者側の肩身の狭さが伝えられていく。元喫煙者だった自分としては、少し身につまされる感じがします。
昭和の話になりますが、昔はほんと、どこででもタバコが吸えました。電車のホーム。電車の中。デパートの休憩所。タクシー。病院の待合室だって、分煙なんてされておらずでん、と灰皿があったものです。
それらは現在。ほぼ全撤去。居酒屋に灰皿がない、なんてことにもなりました。

それが間違っているか正しいかはおいといて、なぜこんなことになってしまったのか、ということに思いを馳せて行きたい、と、今回はこのような趣旨でございます。

……まぁ。原因は。
たき火の禁止、これとも深く結びついている。そのような結論です。

人が、日常的恒常的に、「火」(リアルな意味での、ファイアー)を使わなくなってきたからです。

かつての人たち……おおよそ昭和三十年代くらいまでは、市井の人々は、老若男女、大人も子供も、赤ちゃんも、ほぼ「タバコ状の気体」を吸って生きていたようなものでした。
言うまでもなく、「薪」です。
あるいは、炭。
モノを燃やして暖を取る。煮炊きをする。あるいは、モノを燃やすことこそ主目的で、各家庭に一つは焼却用の炉があったものです。燃やせるゴミや刈った雑草を、ここで燃やすのです。

今、そんなことをしてるご家庭はほぼなくなりました。農業を営んでいる地域で、ほぼ「お目こぼし」というか、見て見ぬふりをされているというか、で、雑草を野焼きしたりしていますが、これは例外的措置というやつでしょう。
理由のきっかけは、多分プラスチック燃焼によるダイオキシンのニュースあたりで、はっきりたき火そのものの禁止に傾いていった、という感じではありましたが、実はそちらに傾く前に、キッチンが「ガス火」→「IH」に変わったあたりで、たき火の命運は決まっていた、と考えるべきでしょう。

つまり。
昔は、あの木が燃える匂いというのは、「アタリマエに存在していた」ものだったのです。自分のうちだってモノを燃やしてその臭いを出しているのだから、他人様に文句をいえた義理じゃない。というより、文句を言う、という発想自体がなかったのです。現在の感覚で言えば、洗濯洗剤の匂いが洗濯物から匂う。それくらいアタリマエの臭いでした。

ですから、キャンプファイヤーでじゃんじゃん火を焚いたりもできましたし、近所の人が草刈りをしたあとの野焼きで焼き芋を焼いたりなんてのも、格別な許可なく出来ました。「アタリマエにやること」だったからです。どの家も。
洗濯物に臭いがつくじゃないか? いえいえ。その臭いは、「あってアタリマエ」のものなのですから、気にならない。というより、人間ってのはあまりに日常的に香るものだと、その臭いを感じなくなるそうです。
日本人って、外国人からするとかつおぶしの臭いがするそうですよ。お前ら全員異次元の体臭なんだよ。自覚せよ。

しかし、キッチンから煙が消えると、煙の臭い、というものに改めて気づかされ、敏感になっていきます。
そしてそういう人たちが年を取り、代わりに生まれてくる子供達は、「煙の臭いを知らない」子供達。
その子達が大人になれば、「煙をクサいと思う」人間がそこら中に爆誕するわけです。

で、近所の年寄りが、それまでの習慣で野焼きをすると、
「え! なにそれ! クサいんだけど! 洗濯物に臭いがついちゃうじゃない!」
という不満がたまります。

ただ。

これは、こういう「煙がクサい人たち」というのが、世間的に過半数を超えないと問題が顕現しません。静かに、彼らは不満を募らせていました。

そこへ、「ダイオキシン問題」が提言された。
これは「煙クサい党員」からすれば、福音であり、きっかけであり、チャンスだったのです。
瞬く間に野焼きは「悪」とされ、具体的には2001年、廃棄物処理法の改正により野焼きは原則禁止となりました。

町中から煙が消え、田舎や広場、原っぱからも煙が消えると、人が煙を吸うチャンスはなおさらなくなります。
タバコが目を付けられるのは、時間の問題だったと思います。

美味しんぼ、という漫画で、タバコの臭いの問題が取り上げられたのは、いつだったか…………。タバコの煙は臭いが沈着します。洗った肌着だとて、喫煙者と非喫煙者の肌着は臭いがはっきり違う。そのくらい、タバコの煙というのは臭うのです。

まぁ、既にバブル期の頃から「ホタル族」という、ベランダでタバコを吸うおっさんの話がちらほら見えることから、この辺から喫煙者の雲行きは怪しくなっていたとみるべきでしょう。
タバコの地位を貶めたニュースとしては、やはり「肺がんの危険性」が叫ばれ始めたあたりでしょうか。(※実はタバコと肺がんの因果関係は、まだはっきりとは証明されていません。が、他の肺病……COPDなど……との因果関係は既に既知のものとなっております)

ただ、真の意味でタバコが忌避されたのは、やはり臭い、からなのではないでしょうか。
そう考えると、少しもの悲しい気がいたします。

我々は文明人。そう言うと聞こえはいいですが、要は、タバコを忌避し嫌悪する、ということはすなわち
「火を忘れた人類」
だ、ということです。

これが、進化なのか、退化なのか。
私が判断する話でもないのですが、火を忘れる程度の人間にタバコの害云々を説かれるのは、元喫煙者として少し、「はんかくさい」感じがいたすものですねぇ、と。

(不愉快な言葉を最後に残さないと何も語れないのかお前は)

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