なぜマスコミが「文書交通費」を攻撃するのか?

小野泰輔議員が問題提起して以降「文書交通費」(文書通信交通滞在費)が連日マスメディアによって取りざたされています。
文書交通費は国会議員一人当たり月額100万円で全体でも年間85億円程度。
一般会計歳出106.6兆円からすればごくわずかな金額で、論じたところで節約にもなりません。
なぜ彼らは文書交通費をこれほど問題視するのでしょうか。

「国民の感覚」

「一般の感覚」で言えば、経費の精算には領収書を添付するのが通例です。
「だから添付すべき」という主張をマスコミは繰り返しています。
この件に関して、中立性をかなぐり捨てた報道を繰り返しています。

しかし通例であることは合理的であることを意味しません。
領収書の管理や提出は、やったことがあれば分かりますがかなりの手間が掛かります。
国会議員の場合事務コストは結局国民の負担ですから、歳出が上回らない場合はむしろコスト増になります。
また事務コストを固定するなら、負担の増加は政治活動の質の低下に繋がります。

また領収書を株主に公開する企業は稀です。
本来は株式会社の資産は株主の資産ですから対応するものを間違えています。
「国民と同じ感覚」として公開を迫るのは理に適っていません。
考えれば分かることです。

マスコミの政治操作

ではなぜマスコミは領収書の公開に拘るのか。
理由は簡単です。
領収書のミスや「不正利用」をニュースにできるからです。

ニュースネタが増えるような法律をマスコミが政府に求めるのは当然です。
単純に飯のタネですし、仕事が増えるのは望ましいことです。
領収書の精査は退屈で地道な作業ですが、しかしそれゆえ労力と資金力のあるマスコミが有利に立てます。
しかしそれだけではありません。

マスコミにとって有用なのは、気に食わない政治家を潰せることです。
事務ミスはどこでもあります。
攻撃したい政治家がたまたまミスをしている保証はありませんが、その蓋然性はかなり高いです。
そうであれば気に入らない政治家・政党を攻撃する手段が彼らには常に存在することになります。

政治資金収支報告書

これは既に陰謀論とは言えません。
現実に政治資金収支報告書では単なる事務上のミスに過ぎないものを、あたかも政治家の不正行動のように報道し攻撃する例が多く見られます。
そしてSNS上では素直に政治家の不正活動かのように誤解している意見が大半です。

単純な話で、仮にミスでなく不正であればより容易かつ確実な方法はいくらでもあります。
収支報告書を眺めて発見できるような「誤り」は事務ミスである蓋然性が極めて高い。
にも拘らず報道されればあたかも不正であるかのような世論を容易に形成できます。

「ストーリー」で考えるな

インターネットの出現以降、マスメディアの嘘は多数指摘されてきました。
現在ではマスコミへの信頼は過去最低に近いレベルと言っても良いでしょう。
しかし条件され揃えばマスコミに否定的な人でも容易に騙されます。

それは「ストーリー」という文脈です。

人には信じる、信じたい「ストーリー」と言うものがあり、それに適合する情報であればろくな検証もせずに丸呑みしてしまいます。
政治に関して大きいのは「政治家は悪人だ」「政治家は無駄遣いする」というストーリーです。

これ自体は無根拠ではありません。
現実に過去には政治家の大きな不正行為がありましたし、何より「自分が政治家なら悪いことする」という素朴な感覚がそれを支えているのでしょう。
税金に対する忌避感もまた理由でしょうが、自分が納めた税金の使い道をよく監視すること自体は悪いことではありません。
しかし統計的/科学的な根拠があるわけではありません。

ストーリーで考えると他人に容易に騙されます。
詐欺でも実際に使われる手法です。
マスコミはこの「ストーリー」を利用します。
そしてマスコミへ警戒しているつもりでも、容易に彼らの手先に転げ落ちるのです。

情報公開が民主主義を破壊する

情報公開が民主主義を破壊するというのはパラドキシカルな結論です。
しかし公開された情報にアクセスできる人が少数なら、その少数が不当な影響力を行使できるのは当たり前です。
そして誰でもアクセスできる場合も、公開された情報を精査できる人が少数なら、やはり不当な影響力を行使できます。
あるいは彼らに何らかの政治的な傾向がある場合でも。
こうなればもはや民主主義は容易に破壊されます。

その対処は四つ考えられます。
一つは皆で情報を精査する。
しかしこれは実際には不可能です。
そしてそれが不可能である間、民主主義は少数者により支配されます。

二つは仮に精査されても問題がない行動を心掛ける。
これも実際には不可能です。
ミスはどこにでも起きますし、ミスを起きない前提で制度を設計するのは愚か者です。
何よりやはりこれもマスコミを喜ばせるだけの結論です。

三つはそもそも公開しないことです。
飽くまで次善の策に過ぎませんが、社会の側で公開された情報を分析する能力が限られている間、民主主義を守るにはこの方法しかないように思われます。
しかしそうでしょうか?

私の考える四つ目はさらなる中立性の保証と検証です。
仮に情報を精査する側に関する情報も公開され、その客観性を保証したり検証できるかもしれません。
つまり領収書の分析を行う場合は、ランダムなり全議員なりで公平に分析する。
第三者に分析を依頼するような仕組みも可能かもしれません。
そしてそれらの情報を公開し、外部から中立性を検証する。
また何かを見つけたら即座に公表し、自分の都合の良いタイミングまで隠しておくなどあってはなりません。

情報の公開が民主主義に必要だというなら、それは政治家や政府に限りません。
マスメディアにも当然同じことが言えます。
つまり情報公開自体が問題なのではなく、途中の段階でブラックボックスがあり、そこで何をしているか保証がないのが問題です。
仮に彼らが中立だと主張するなら何の問題もないはずです。
ついでに彼ら自身の領収書も公開したらどうでしょうか?

ただ現状では文書交通費について、単純に領収書を公開しない方が賢明だと思います。
単純に領収書処理は事務が煩雑になりますし、結局国民の利益になりません。

政治家への攻撃

また政治家への資金攻撃自体がマスコミへの利益になります。
政治家が職業として魅力的でなくなれば、政治家の質が下がります。
そうすれば反論や考える能力が失われ、マスコミの言いなりになってしまいます。
定数の削減もまたマスコミにとってはかなり強力です。

こうした「政治家は無駄遣いをしている」という主張は、マスコミ出身者や元経営者などで多く見られます。
別の言い方をすれば金持ち議員です。
既に自活できるだけの資金なり収入源なりがある場合、こうした主張を行う傾向がみられます。

これは当然のことです。
政治家への支出を削減し、資金力でライバルを枯渇させれば自分が当選しやすくなります。
そうでなくとも自分が他の議員より価値があるとアピールする理由になります。
「無駄遣いに厳しい」という態度は、彼らが持つ強いカードの一枚です。

皮肉なことですが政治家への支出を控えれば、金持ちや資金力のある組織に政治が支配されることになります。
貧乏な人ほど目先の金を惜しんで、結局は自分が損をすることになるのです。
戦略と言う視野を持たなければなりません。

なぜ維新なのか?

この件に関しては維新の議員が問題視をして、橋下徹氏などが厳しく問題視していることが知られます。
これは日本維新の会自体が橋下徹を祖とするものであり、マスコミと親和性が高いことから来ています。
今でも橋下徹がテレビに出る機会は多いですし、当初は一部の番組が全面的なバックアップを行っていました。
現時点でマスコミの言いなりになるメリットがどれ程あるかは疑問ですが、思想に大きな影響を与えているように見えます。

不断の努力

日本国憲法第12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」とあります。
民主主義を守る戦いは我々が常に行わなければなりません。
テレビやネット記事の言いなりに、安易な政治家批判をしていれば民主主義は失われます。
愚かではいけません。頭を使わなければならないのです。

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