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雅子さま(天皇陛下)考【婚約会見2】

間が空いてしまいました!この記事 

の続きです。

お2人の婚約会見で印象に残った言葉はほかにもいろいろありました。

まずは、どのような家庭を築いていきたいでしょうか、という質問の答え。

皇太子さま(当時)が「安らぎのある明るい家庭」とお答えになった後、雅子さまは

「基本的には殿下のおっしゃるとおりでございますが、わたくしの言葉で一言付け加えさせていただければ、愛情に満ちた、温かい家庭ということだと思います」

とおっしゃいました。

この時の「わたくしの言葉で」という部分を聞いて、当時子どもだった私は、雅子さまはなんとなくちょっと出しゃばりな人なのかなと感じた記憶があります、、、

今思うとほんと恥ずかしい。

そりゃ雅子さまにも思うところがあるし、むしろ殿下の言う通りです、以上!で終わったらお妃が雅子さまである必要がないですよね。当時から皇太子さまは雅子さまがよくて、そういうことわかってた素敵な男性なんだなと今ならわかります。

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話を戻します。雅子さまは続けて、

「特に、苦しいときや辛いことがあったときに、お互いをいたわりあって、助け合っていくことができるような家庭にできればと思っております」

と話されました。

この雅子さまの言葉は、この後の20年以上のご苦労を知る今見ると、何とも言えない気持ちになると同時に、皇太子さまは自分の約束を本当に守ったんだなとしみじみ感動しました。

しかし、この時から、結構苦しいこととか辛いことがあるんじゃないかなと思ってらしたのかなあ。そういう覚悟があって入ってもなお、大変だったんですね。。。

次は、皇太子さまが雅子さまの魅力について語っていた部分。この動画の冒頭から始まります。

「最初にお会いしたのは昭和61年」と始められ、「その際、非常に強いというか、いい印象を受けました」。なぜかというと、

「非常に控えめでいらっしゃるんだけれども、自分の思っていることをはっきりおっしゃって、それでいて非常に聡明である」

から。べた褒め!!こんなこと言われたら、うれしいなと思いました。

その出会いの後、Wikipediaによると

1992年(平成4年)1月、皇太子は「小和田雅子さんではだめでしょうか」と安嶋のあと東宮大夫になっていた菅野弘夫に告げた。4月27日、藤森は東宮侍従長の山下和夫、菅野、参与の団藤らとともに会議を開き、再び雅子を候補として進める計画を始め、中川は元外務事務次官で国際協力事業団総裁だった柳谷謙介に協力を依頼した。柳谷は、その当時の事務次官となっていた、元部下に当たる小和田恆に働きかけた。終わった話と思っていた恆は、皇太子自身からの希望を伝える柳谷の言葉に驚いたものの、雅子にこれを伝え、彼女はその後の複数にわたる関係者の「一度でいいからお会いしてほしい」という熱心な働きかけに応えて一度は再会することにした。8月16日、柳谷に連れられた雅子は、千代田区三番町の宮内庁長官公邸で皇太子と再会した。

という経過をたどられた。

私がとってもいいなと思ったのは、その再会について語られた部分です。

「それから5年ぶりに会うことができまして、その時は最初に会った時に持ったいい印象は同じようなものだったのですが、外交官として非常に大切な仕事をしているせいか、人間として一回りも二回りも大きくなっている感じがして、非常にうれしく思ったわけです」(1分30秒ごろ)

当たり前のことかもしれないんですが、好きな女性の成長を喜ぶ男性って素敵だなと思いました。偏見かもしれませんが、特にこの当時って、まだ女性は専業主婦になるのが主流だし、男性はキャリアを追求している優秀な女性を素直に褒めないものかと思っていたので。。。私も偏見が過ぎるかもしれませんが!

雅子さまのお仕事を「大切な仕事」と認めたうえで、さらに成長したと。別に仕事でではなくても、「人間として一回りも二回りも大きくなって、非常にうれしく思った」って、言われたらすごくうれしいですよね。

天皇陛下の人間性を垣間見た気がしました。

そして雅子さまが惹かれたのは、「ご自身がお苦しいときでも、ほかの人の苦しみについてまず先に考えられるような大変に思いやりの深い方でいらっしゃるということ。それから大変忍耐強く、根気強い方でいらっしゃる」部分だそうです。

この頃から、素敵なおふたりだったんだなとわかる会見でした。

それにしてもYouTubeって偉大だ。
いまこれを見られなければ、昔の印象だけ(雅子さまってちょっと出しゃばりなのかな)が残っていたことになっていました。恐ろしや。

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