「月報こんとん」春文フリ特別号

作品

ゲスト  細村星一郎「スウィート・オーシャン」

門をくぐって以来全部が寿司

海亀が嘘の高度で嗚咽する

やさしさの艦隊が来る赤い岸

32ビットで迫る死んだ魚群

不規則に溜池斬ってしまえば

モノクロの花が咲き乱れる臭気

鉛製のラクダが青い雲に届く

二光年先の小さなソーセージ

衛星が日本舞踊に現れる

ピンクな海に落雁の降る島だらけ

松尾優汰「高校生川柳――17歳・現役高校生が綴る爆笑&感涙必至の川柳句群! 嗚呼!! すこやかなる青春!!」

あっ、えっと、そういう川柳ではなくて、

教室のここまで匈奴の領域です

かなしいからだから髭がのび出す。剃る。

鍵盤のうえにせっせこ登ります 音

BABY いいえ 鞦韆はかう奪ふもの

青春にされちゃうね ALL GOOD CHILDREN GO TO HEAVEN.

ばら 📄 ばらばら 🖊📖 ばらばらばら  📐👁 🤚 🦵

あは幼形成熟 あは算数は苦手です

国語の、国って、なんなんだろう

Will The Circle Be Unbroken 飛ばない教室

二三川練「神話論」

心臓のはやさで鯨だとわかる

独房を湧く糞尿の老神父

絞首刑せめて東を向けておく

伏魔殿すら誇大広告

鳩の死がわたしを口説くソクラテス

サバイバルダンス 提喩 サバイバルダンス

替えのきく右心房だよ会いにきて

喉には喉の世界征服

勇敢な自殺  トノサマバッタかな

原爆の顔で頭を撫でてやる

暮田真名「ヒント」

半月は夜な夜なぼくをさしおいて

寝覚めがよくても河口じゃだめだ

ヒントがあれば同じ運命を辿るのに

ビルドゥングスロマンが蒔いた種だろう

さむらいに限って虹を切りたがる

先方はミールワームの回し者

オートクチュールの日差しじゃないか

雨雲に手タレをやめてついていく

おがくずの行方のような肘である

横死してすぐ置き傘を買いにいく

論考

ゲスト 平英之 一句評

地引網にのこって琴を弾いている/暮田真名

「月報こんとん」2月号

友達がみんなでどこか遠くに遊びに行き、自分はそれに加わらなかったとき、誰かに「どうして一緒に行かなかったの?」と聞かれ、「わたしは近所で散歩する。あいつらのことは散歩からハブった」と言ったとしよう。状況的にどちらかというとハブられているのは自分の方だし、そもそもハブられた(ハブった)わけではなく単に参加していないだけなのだが、それでも〈ハブる/ハブられる〉をあえて導入し、なおかつハブった側に自分を置いてみようというわけだ。「どちらかというハブられているのはおまえだ」というツッコミは許容する。どっちでもないことを、どっちでもよくすること。ひとつの無為から別の無為へと移行する無為の遊びである。この場合、主体を交換することは、主体を奪取することよりも過激に無為である。「どっちでもない」とは、どっちでもない別のなにかであるというよりも、どっちにもならないという(無)能力の発揮(能力を発揮しないでいられること)であり、「どっちでもよくする」というのがその発揮の仕方である。「なんだか気が向かなかった、というのは……」と少なからず真面目に超然として理由を語っていく方がより人間的な無為の表明であり自然なコミュニケーションであるが、「ハブった」と言う方が一見作為的ではあっても内に秘められた無為が深いのである。無為に過ごし、人生や時代に立ち遅れて、愛嬌、ユーモア、ふてぶてしさ、不気味さ、調子外れ(エキセントリック)をたずさえて、大事なこと(大事ではないこと)やシリアスなこと(シリアスではないこと)をそのように機能させている社会的・言語的コードを本当に愛すべきものとしてアイロニーよりもリップサービスを送ること。非常に無為な難題である。
わたしが魚介類ならば、地引網に残される(残されない)のであり、残る(残らない)という主体的選択はないはずである。あるいは私は魚介類ではないのかもしれないし、魚介類だったとしても、わざわざ地引網に引っかかってみたという誰得のトラップを実行したのかもしれない。トラップに引っかかったのではなく、わたしがトラップであるというわけだ。みんなは残らずおいしくいただいてもらったみたいだけれど、わたしは遅れてしまい、「のこって琴を弾いている」。サービスのつもりだろうか。どちらがサービスだろうか。どっちでもいいのだけど。
ユーモラスな仕方で遅れをとり、悠々自適に愛するまなざしを持つための無為をつくること。架空の失敗、忘却、悪事を作り出し、それらと反対のものも含めて本当にどっちでもよいという仕方で一旦は言葉のなかで有効化してしまうこと。いかにも無責任だが、むしろ切実に言葉と生の縁を結び直す必要に迫られている人のためにも、今このようなやり方があるのだと思う。〈牛歩なら隕石をとめられるだろうか/暮田真名〉

二三川練「寺山修司はなぜ川柳を書かなかったのか~現代川柳の横断可能性について~」

松尾優汰「新しい川柳のために」

coming soon

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