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概説・谷中中学事案(後編)

誠一郎君が座り込みを始めたのが2019年1月ごろ、彼がいつも正門の前にいることは学校の誰もが知るところとなります。教員らは彼を敵視する空気が共有されていたのか、校門に面した校舎の窓、一帯のカーテンを閉めて、校舎内から彼の姿を生徒らに見せないようにします。

父親はこの時期、弁護士を立てて、学校、区の側と話をするようになります。学校側もまた、区の顧問法律事務所を立て、校内には弁護士がいつもいるようになり、事態は難しくなっていきます。

父親はまた、区の市民相談窓口に件のことを問い合わせます。返答としては「当事者(生徒A、Bと誠一郎君ら)同士でよく話し合ってください」というもの。父親は話に応じる意思はあるのですが、いかんせん、学校の管理職は会おうとしません。

投資を本業とする父親は時間の都合がつきやすいこともあり、毎朝、車で息子を学校へ送ります。誠一郎君は毎朝、校門のインターホンで問い合わせます。「学校に入れますか」「校長や副校長と話はできますか」しかし、対応する職員の返事はいつもの通り「管理職は不在なため、対応できません」

区の教育委員会は「登校しても構いません」という判断なのですが、学校の管理職は頑なに彼の登校を認めようとしません。教育委員会は制度上、学校に命令する権限はないのです。

父親は、一方で、区長あてに内容証明郵便で事態を問い合わせますが、返答は「区としては適切に対応しているものと考えています」というものでした。

2月になり、日数は経過し、彼は学校に入れる様子はありません。副校長は彼に「謝るか」と迫っていました。それならば、謝罪の機会を設けましょう、ということで誠一郎君が生徒A,Bに対し謝罪する場を設けますから、A,Bをはじめ関係者はお越しください、と提案するのですが、用意した会場にA,Bらは現れることはありませんでした。

3月になり、学校は卒業式を迎えます。彼は依然として、校門の前。自来也さんをはじめ、数名の市民が誠一郎君とともに、校門のあたりにいるのですが、その日は警官が派遣され、校門の付近に立っており、それとなく、騒ぎにならぬようけん制している様にみてとれました。

また、この時期、テレビ局(キー局)が父親に対し、取材を求め、父親もそれに応じるのですが、あいにく、他の報道(千葉、野田の女児虐待死)が優先され、谷中中学の件が報じられることはありませんでした。

報道陣がカメラを副校長に向けると副校長氏は「顔は映さないで」と顔を撮影されないようなしぐさをした、そうした映像が父親氏が自身のスマホで撮影した動画にあったものです。何かやましいことでもあるのでしょう。

また、副校長氏は報道陣に対し、「あの父親は地元でもいわくつきの人物で問題視されてきた人なのだ」などと根拠なき誹謗をしていたことを後で父親氏は報道の人から聞いたそうです。

年度の終わり、学校からは通知表が送付されてくるのですが、民間の業者(ヤマトか佐川)を使って送ってきます。通知表は信書に該当するので「郵便局」(あるいは郵便局から委託された民間の業者の送付手段)から送らねば、郵便法違反になります。このことも父親は問題視します。

そして、4月、校長は他校へ異動、対応の中心だった副校長や誠一郎君の担任、副担任は留任となりました。新しく赴任してきた校長と父親は電話で話をします。「昨年の9月から7か月以上、授業に参加できてない、この遅れをどうやって、取り戻してくれるの?」父親の問いかけに赴任して間もない、校長はまともな返事ができません。

校門越しに父親、誠一郎君、自来也さん等、市民らが学校の職員、学校側の弁護士らと対峙し、話が続きます。父親からの問いかけに応対する数名の弁護士らはあいまいな説明に終始するばかり。

そして、新たなトラブルが起きます。いつものように、校門の前にいた、誠一郎君の支援者の1人である市民(Dさん)に副校長が足早に使づいてきて、その方の腕を強く取ります。

Dさんがスマホで撮影している、と副校長は受け取り、それを妨げようとしたようです。(実際には、Dさんはスマホを手にしてはいなかったそうですが)。副校長はDさんの腕を強く握る、Dさんはそれを振りほどこうと体重を落とし、座り込むような姿勢を取る、場所は校門の外、学校の敷地の外です。

この様子は父親がスマホの動画で撮影し、X(当時はツイッター)に投稿されるわけですが。動画では2人が腕を取る、ふりほどく、の場面だけでしたが、どうも、その後、Dさんは勢いあまって、転倒したのか、腕を骨折する怪我をされたそうです。

次に、その校門前に数台の消防車が赤いランプを点灯させながら、停車している動画が投稿されます。通報を受けた警察側の処置だったのでしょう。問題を大げさにしてくれるな、と。

Dさんはその後、自来也さんと共に病院へ行き、治療を受け、警察に被害届を出し、警察から受理されます。

後日、市民(Eさん)が例の動画の件で学校に電話をします。その電話の会話は録音され、ツイッターに投稿されます。Eさんからの問いかけに対し、副校長はDさんが生徒に対し、危害を加えようとしていたから、その生徒を守ろうとしたのだ、と謎の弁明を展開したものです。

そして、5月になり、誠一郎君はようやく、入校を認められるようになります。学校側から何ら、説明はないまま。

後に父親は国家倍書請求を起こし、例の副校長は健康上の理由で、退職。裁判になっても、明確な説明はついにないままだったそうです。

3年生になった彼は、その後、とくに問題もなく、残りの中学生活を送り、高校へ進学します。当時は報道されることのなかったこの事案は、後日、フリーライターの渋井哲也氏によって、谷中中学の校門を背景に誠一郎君の顔を映した写真も載せた記事となり、ニュースサイトに掲載されました。

学校側が初期の時点で誠意ある対応をしていれば、ここまでこじれることもなかったでしょう。最初の対応でつまづき、問題はこじれ、副校長は退職、誠一郎君は8か月近く、学校から締め出され、怪我人まで出してしまう。

トラブルには教員ではなく、公平性ある第三者機関があたるべきだと、類似の事案を思い返しながら、その思いを強めたものです。

(追記)
今回の記事、谷中中学事案は、ある時、自来也さんから「ブログの記事にしてくださいよー」との依頼があり、2つ返事で引き受けたのですが、それを記事にするために、ずいぶんと時間を要しました。

私自身、生活上の変化もあり、他に考えること、やるべきことも多く、なかなか、この件が手つかずでした。父親氏とは電話で話をしたのですが、そうやって知りえた話も情報が断片的だったり、時系列が前後していたり。そして、今ようやく、それらを整理し、記事として、ここに投稿します。

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