管理と統制からの脱却

学校の在り方の変革として為すべきこと。私は集団行動を減らす、生徒のクラス替えと席替え、そして、生徒のストレスの緩和を挙げてきました。

ストレスの緩和はさらに、業務の削減、管理と統制、競争と序列、の3つの項目に分けられます。この項では「管理と統制」、に関して述べていきま
す。

管理と統制のうち、管理について、みていきましょう。例えば、朝、8時か8時半を定時とし、校門、校舎の入り口を閉める。遅刻をしたら、反省文を書かせる等、何かしら罰を課す。

朝は生活の記録の提出もありますね。前日、の行動について、記録する。といっても、何時から何時まで何を勉強したか、とか、そうしたことを書くわけですが。

高校だと、自転車通学の生徒がいて、そうした生徒の自転車には学校の紋章入りのシールを貼らせるもありますね。

管理と統制のうち、統制、すなわち「そろえる指導」についてはどうか。(同じ格好)、(同じ様式)、(同じ行動)、マスゲームよろしく全員がそろっていないと気がすまない、集団の統一性、同調性を強要していく。

(同じ格好)とは、つまり、校則でしょう。髪型、服装に関する規定。「髪の毛を束ねるゴムの色」「ポニーテールの禁止」「ツーブロックの禁止」「スカートの丈の長さ」「靴下の長さ、色、ポイント」「通学用の靴のラインやポイント(白一色に限る)」「学ランの下に着るトレーナーの色(無彩色に限る)」「肌着の色は白限定」….

(同じ様式)とは、例えば、「ルーズリーフはダメだ(ノートに限る)」「シャーペンはダメだ(鉛筆に限る)」「字を書くにあたって、とめ、はね、はらい、ができていない」「数字を書くにあたって、4と書く、上の線と線がくっついている」「〇と×を書く、〇が縦に長い、ゼロに見える」

(同じ行動)とは、「水筒のお茶を勝手に飲むな」「水筒に氷を入れていいのは6月になってからだ」「水筒にスポーツドリンクを入れてはいけない」「学校の空き時間に学校の側のコンビニに行ってはいけない」

そうやって、わずかなズレや歪みも許さない。少しでも、周囲と違うことをすることを許さない。あるいは自分が想定していることを違うことを始める、それを許さない。過度な干渉ですね。

大学に行くと、上記のような管理や統制が一切、無くなります。髪型や服装もそうだし、持ち物に関する規定もありません。

授業の合間に大学の近くのファミレスにいても、ゲーセンにいても、カラオケにいても、構わない。それで誰から咎められるわけでもない。これぐらい、おおらかであれば、生徒の管理されるストレスもないでしょう。

生徒に細かな規定を設け、守らせようとする教員、それを注意される生徒。双方にとって、これはストレスでしょう。

井本陽久氏は栄光学園に勤務していたある時期、しきりに生徒の服装のズレを注意することがあったそうです。やがて、彼は病んでいき、休職することになります。

生徒にとっても、教員にとっても、どちらも負の効果しかもたらさない。こういうわけで、私は校則をはじめとする、各種の管理と統制を極力、廃止にすることを訴える次第です。

近世以前の教育といえば、平民は寺子屋で基礎的な読み書きを、士族は藩校で教育を受けていました。士族の教育といえば、漢文で書かれた書籍、内容は古代の中国の歴史や哲学、そうしたものを朗読していくわけです。

近代以降の学校教育の目的は有り体にいえば、徴兵制度の発足とほぼ同時期に発生したこともあって、未来の兵士の養成であり、また、工業の近代化も相まって、将来の工場労働者の育成だったでしょう。

そのために、近代以来の学校教育は集団を統制する、命令に従って、一斉に生徒を動かすことを指向してきたのでしょう。そうしたなかで、制服や校則によって生徒への管理と統制を強めていくことになります。

近代以来100年余りの日本といえば、欧米列強に、先進国に、追いつき、追い越せ、が国是でした。そして、それは(富国という点においては)昭和の終わりには達成されたでしょう。

平成を経て、令和へ元号が変遷し、今の日本はどうか。徴兵の必要性も後退し、製造業の割合もかつてよりは低下しています。さらには、少子高齢、戦争や災害に依らない人口減少、そうした史上前例の無い事態に直面しています。教育の在り方も時代に合わせて変わらねば。

変わる、どころか、あらゆる業界に先んじて、未来を先取りするのが学校教育、義務教育のはずです。今、やってることが20年先、30年先、40年先の未来の社会に影響を与えるのだから。

現場の教員の方々も生徒のスカートの丈の長さや下着の色が白かどうかを確認することに躍起になっていないで、もっと生産的なことにその時間を費やすべきでしょう。

生徒への管理を強める、ストレスが高じる、イジメが起きやすくなる、でも、イジメには関わりたくない、ではなくて、生徒への管理、過干渉を止める、ストレスが減退する、イジメが起きにくくなる、それでもイジメがあれば、すぐに介入する、の方が望ましいのでして。

イジメが起きにくい環境をつくる、その一環として、教員による合理性なき、生徒への過度な干渉と統一性の強要を廃止していくべきです。



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