見出し画像

属性に応じた対応のこと2

以前の記事では生徒の属性「荒れる」「歪む」「萎える」とその属性に応じて分けることを考察しました。今回はさらに重篤なケースを想定した対応を考えてみます。

荒れるタイプ

「荒れるタイプ」、深刻なイジメの加害者になりかねない、そうした児童は、その問題の程度に応じて、「教室を分ける」「昼休みは別室で対話」「放課後、別室で対話」「授業時間も別室で過ごす」

「クラス替えができない場合、職員が側についている」「同じ校区内で専用の寮に入る」「近隣の学校に転校、専用の寮へ」「遠方、他県の学校に転校、専用の寮へ」「問題行動を起こす児童に特化した学校へ」

「少年院に準じる矯正施設へ」となります。決定的な問題行動を起こした児童は「児童自立支援施設へ」「少年院へ」となりますが、そうなる前に、兆候があった時点で、その児童を家庭から地域から学校から分ける必要があるでしょう。

「少年院に準じる矯正施設」としては児童自立支援施設がありますが、私が提唱したいのは入所型のフリースクールです。民間でも従来からありますが、体罰、威圧型の施設ではなく、家族然として、児童に接する、そうした施設へ。

歪むタイプ

「歪むタイプ」はどうか。これなども、昼休みや放課後等、然るべき役割の大人と対話、でしょう。イジメの当事者になれば、相性に応じて、クラス替えを、また、登下校時、放課後、休日、誰とどこで過ごすか、も指定する。

特に誰かにイジメをする場合、その生徒への接近禁止を命ずる措置も必要でしょう。他の生徒の協力のもと、イジメを受ける生徒には他の生徒が終始、ついていてもらい、加害生徒にも他の生徒がついているようにすべきです。

荒れる生徒もそうですが、歪む生徒も家庭のことに難があります。このため、家庭を訪問し、親との対話を重ねます。場合によっては、親のケアが必要な場合もあるでしょう。

それで、改善が見られたらいいのですが、それもなければ、子供は同じ校区内の専用の寮へ移すべきでしょう。年齢に応じて、習い事のため、資格受験のため、などと、名目を設けつつ。

それでも、問題行動、動物を虐待する、器物を破壊する、イジメをする、があれば、「そうした児童ばかり、集めた学校(名目は山村留学など)」へ移すことになるでしょう。

さらに問題行動の程度によっては、医療少年院に準じる施設へ、そして、重大な過失があった場合は、医療少年院へ、と移ることになるでしょう。

萎えるタイプ

このタイプもまずは対話です。いくら話しかけても、まともな返事もできない、表情も固い。このため、大抵の人は返事がなければ、ずっと、黙っていれば、それ以上、話しかけてこなくなるし、以降、相手にされなくなりがちです。

それでもメンター的な役割の大人が辛抱強く、話しかけ続ける。これを何カ月でも、1年でも、2年でもやる。やがて、言葉と表情をとりもどしてくれます。

萎えるタイプもまた、親との関係が背景にあります。親から連日、罵倒、罵声、会話や交流を拒まれる、いつも嫌な事ばかり、言われる。幼少時から、こうした接し方が日常であれば、子供は表情が固い、悲しそうな顔をしている、生気がない、そうした子供になっていきます。

そうした児童はまた、群れで孤立がちだし、イジメもうけやすくなるものです。そうならないよう、早期、1歳や2歳からの親子の関係に介入していくべきです。

それができなかった場合、いわば、家庭教育の失敗を学校でフォローしていかないといけないわけです。

萎えるタイプは、校内フリースクールなど別室とすべきでしょう。そこで、対話を重ねつつ、相性の合う、理解ある他の生徒と話し相手や遊び相手になってもらうと。

また、登下校、帰宅後、休日など、誰とどこで過ごすのか。孤立しないよう、同じ学年、他の学年の生徒にも協力してもらい、相性の合わない生徒と一緒にならないよう、配慮すべきです。これもメンターの役割ですね。

そのうえで、家庭のことを丁寧に聞いていく。親子の関係を。親子で、互いの顔を見て、話しがあるか、といえば、ないはずですから。そうした児童も同じ校区内の寮に入れると。

名目としてはピアノやソロバン、書道の習得などが考えられるでしょう。寮の側には児童の居場所を設けることです。雑談ができる、勉強ができる、雨の日に過ごせる。ここでもメンター的な大人を配置し、話し相手になること、そうやってエンパワメント(力を与える)ことです。

これなども、地域によっては、そうした児童に特化した学校を設立してもいいでしょう。名目は例えば、山村留学という形で。

ただ、精神疾患など深刻な状況であれば、心療系のグループホームを、それも希死念慮があれば、精神病院に入院させる措置を取る場合もあるでしょう。そして、そうした深刻な事態に発展さないためにも早期の介入が必要になります。

親子の関係に介在を

「荒れる」「歪む」「萎える」といった児童らは全員ではないですけど、ほぼ、家庭、親子の問題を抱えています。心の問題は人間関係の問題、イジメ、体罰、虐待、DV、パワハラ、性被害と何かしらの被害によって、人間、心を病んでいくのです。

それが若年者、子供期であれば、多くはまず家庭、親の在り方に原因があります。こういうわけで、幼児期、1,2歳から親子の関係に福祉機関が介在していくべきでしょう。

私の感覚、自分の同窓生を振り返るに、15%ぐらいの児童は親から分けたほうがいいと考えています。この数字はおそらく、どの地域、どの時代(昭和、平成、令和)でもそう変わらないのではないでしょうか。

また、親子を分けるにあたっては何かしら技能の習得などを名目に分けるのが賢明な手法でしょう。そのあたりについてはまた、別の機会に。





皆さまのサポート宜しくお願いします。