X年前の関係者たち

高校時代、クイズ研究会に入っていた。

中学の頃の自分は、「高校生になったら高校生クイズに出たい!」と思っていた。別に全国大会まで勝ち残ってテレビに映りたいとかそういうものではない。西武球場で「YES!!」「NO‼︎」を連呼してその結果に一喜一憂したい、という程度のものであった。

ただ、当時はインターネットというものもほぼほぼなかった時代である。高校生クイズに出たいと思ってはいたものの、出場方法が全く分からなかった。
日テレを朝から晩まで見ていたら、何かしらテロップが流れたかもしれない。また、日テレに直接問い合わせたら、何かわかったかもしれない。
しかし、当時の自分には、そんな行動力は全くなかった。

気づけば1年が過ぎていた。
高校生クイズには出ていないものの、他の部活動メインに高校生活を楽しんでいた自分のもとに、昨年度にクイズ研究会のサークルができているいう情報が入ってきた。

通っていた高校のクラブは、部、同好会、サークルの3種に大別でき、予算面で大きな差がある。クラブはまずサークルからスタートし、定期的な活動を行うことで同好会、部へと昇格できた。サークルの設立はメンバーが生徒会関係者に届けるだけであり、その後なんの告知義務もないので、生徒会関係者でもない限りサークルの実態を把握している生徒はいなかった。
だから自分はクイズ研究会というサークルが存在することを知らずに1年を過ごしてしまったわけで、ここのメンバーなら高校生クイズ大会に出るだろうから、彼らにくっついていけばいいやと、1年遅れではあるが入会することにした。
(このようにクラブは流動性が激しかったことから、兼部OKであり、既に自分は3つのクラブに入っていた)

最初の会合に出向いてビビった。3年生の先輩方は生徒会役員と丸かぶりだったのである。
クイズ研メンバーが役員になったのか、役員がクイズ研メンバーになったのか、おそらく前者だったのだろうが、このサークルは生徒会と一体化することで急成長を遂げてきたのだ。深く入り込みすぎると彼らによって生徒会役員の後継者に指名されるかもしれない、そう思った自分は、高校生クイズ以外には深く関わらないことにした。
幸いクイズ研が自分にとって4つ目のクラブであったこと、中途入会の自分は1年生と同じ扱いとなり、1年生の後輩たちも優秀なメンバーが多かったので、自分は深く関わらずに済むことができた。

通っていた高校は、学力的にそれなりに知名度があるところであった。
そうした知名度と、先輩方が生徒会役員を兼ねているという肩書もあったのだろう、他の知名度がある高校のクイズ研と繋がりを持つことができた。
それが日テレの耳に入ったのか、先輩方のプロモーションがあったのか定かではないが、高校生クイズに向けて他校のクイズ研を呼んだイベントに取材が入ることになった。
取材の内容は忘れてしまったが、最後に「一丸となって頑張るぞ!おー!」みたいなのを3回録り直したのはなんとなく覚えている。

ただ、この描写が本放送で使われることはなかった。
他校を含め我々は、高校生クイズ関東大会、3問目で敗退という散々たる結果に終わったのである。

それでも先輩方は日テレの収録スタジオに呼ばれ、テレビ出演を果たしている。早期敗退してしまっていたので、どちらかというといじられ側だったが。

このように、私の高校生クイズ初挑戦は3問目で終わった。翌年も私は西武球場で他のメンバーと共に叫んだ。
このあたりの話は別トピックで書こうと思っているが、もちろん全国大会へは行っていない。でも、高校生クイズはまさに「参加することに意義を見いだす」イベントだった。
その意味で、この2回の大会に参加できたことは、本当にいい思い出になっている。


先日、テレビでクイズ研メンバーか全国大会に出場したらしい。調べてみると、準優勝したようだ。

すっかり忘れていて録画もできなかったのが残念だが、後輩たちの活躍は目に焼き付けておきたかった。

自分が入っていた頃のクイズ研との間には、おそらく断絶期間があるだろう。そこから復活し、全国2位という輝かしい成績を残すに至った。たいして活躍もしなかったOBだけど、後輩たちの活躍を誇りに思う。

……勝手に誇りに思われても迷惑かもしれないけど。

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