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青空が悲しい

長崎の鐘という曲の冒頭、

こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ

という一説が近頃胸にしみています。

以前なら水遊びできるとこに行きたいな!川や海も今年はどこにいこう?とワクワクしながら見上げた青空。
いまはただ私はこんなに悲しいのに、空は関係なく明るく、爽やかなものなんだなと思ってしまいます。

長崎の鐘は朝ドラの「エール」の中で歌われており、ご存知の方も多いと思います。
原爆投下により犠牲となった長崎の方々への鎮魂、そしてその後も生きなければならなかった市井の人びとへの慰めの歌です。

私が人生で最大の悲しみを受け取ったのは今年の冬。
それ以来季節が変わるのを、どうしようもなく寂しい気持ちで見送ってきました。
このままずっとこの冬の中にいたいと願いながらも春が来て、梅雨が明けるともうすぐ夏がやってきます。

春の桜は散る姿にただ涙しました。
毎年見に行っていた紫陽花は、今年はどうしてもみられそうにありませんでした。
ピクニックも、ホタルを見に行くのも、ただただ時の無常を感じて辛くなるので行く気になれません。

冬以降私の価値観や物の見方は変わりました。
青空を見てこんな気持ちになるなんて、今まで想像もしませんでした。
長崎の鐘は以前から好きな曲でしたが、この曲に込められた想いが痛いほど伝わってきて、聴くのが苦しいと同時に慰められてもいます。

私は今季の朝ドラ「虎に翼」が好きで欠かさず見ています。
戦時中、多くの人びとがたくさんの大切な人やものを喪いました。主人公の虎子も、義姉の花江も夫を戦争で亡くしています。
そんな家庭や人が本当に数えきれないほど多く存在し、命を終えるまで悲しみはそばにあったと想像します。
だけどそんな中でも懸命に生きていきてくれた人のおかげで、今を生きる私たちが存在できています。
「長崎の鐘」や「虎に翼」を見聞きすると、人には、昔から悲しみと共にいきる強さのような逞しさが備わっているから私もきっと大丈夫と思わせてくれます。

今日は晴れ晴れとした青空です。
私が気持ち良く、純粋に青空を楽しむ日はもうないでしょう。
どんなに時間が流れても寂しく見上げるでしょう。
だけど、そうしながらも人は日々生きるし、そうやって感情が層のように積み重なっていくのが人生なのかなと感じています。

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