東洋のマチュピチュ

こんにちは。和のこころアドバイザーのゆうです。

東洋のマチュピチュと呼ばれる別子銅山東平(とうなる)地区をご存じでしょうか。
別子銅山は、愛媛県新居浜市の山麓部にあった銅山です。
1690年(元禄3年)に発見され、翌年から1973年(昭和48年)江戸時代・元禄4年の開坑に始まり、昭和48年の閉山に至るまでの283年間の歴史を有し、また、四国山地の海抜1300mの旧別子の山中から瀬戸内海の四阪島まで新居浜市を縦断する距離約40kmという広大な範囲に及びます。
地中深く掘り進められた坑道の延長は東京-岡山間と同じ約700km、深さは地下1000mまで掘り続けられました。総産出量は約65万トン、世界有数の産出量を誇った時期もあった日本三大銅山の一つです。

東平(とうなる)地区は、1916年(大正5年)から1930年(昭和5年)まで別子銅山採鉱本部が置かれていました。このような山中に、かつて多くの人が鉱業に従事し、その家族共々生活し、小中学校まであった「街」があったのかと信じられないように現在は山中に静まり返っているが、閉鎖された坑道や鉱物輸送用の鉄道跡などが残っています。付近は再整備され、歴史資科館や、保安本部跡を利用したマイン工房、花木園、高山植物園、子供広場などがある。また東平小学校、中学校の跡地には銅山の里自然の家があります。

銅山があったことも、東洋のマチュピチュと呼ばれていることも全く知らず、数年前にこの場所に行きました。『天空の音楽祭』というイベントがあったのです。
新居浜駅からバスに揺られて小一時間。途中、生い茂った木がバスの天井にあたる音を聞きながら、対向車が来たらどうやってよけるの?と思うような道を登っていきます。
会場の駐車場に着いた後、グループごとに観光ガイドさんが説明をしてくれました。丁寧な説明に、当時の生活の様子が目に浮かぶようでした。
最初に220段の階段を降りたのですが、途中で足が痛くなり、普段の運動不足を感じました。この階段は、街があった当時に物資を運んでいた施設インクライン跡が整備されたもので、貯鉱庫・索道跡へ行くにはこの階段を降りる必要があります。降りたら、当然上がらないといけないのですが。最後にガイドさんおすすめの見晴らしのいい高台に行き景色を楽しみました。残っているレンガ造りの建築物と木々の緑が美しく、まさに天空。
天気も良く、その後の音楽祭もとても楽しかったです。
機会があればまた行きたいです。

(参考)新居浜市観光サイト
https://www.city.niihama.lg.jp/kanko/index.html

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