完成させるために塗っているわけじゃない かも
埼玉県北本市と桶川市の間あたりに、北本団地商店街はある。
1971年に北本団地と共に誕生して以来、長きに渡って団地の暮らしを支えてきたのだが、2022年現在では団地の少子高齢化も相まって立派なシャッター商店街となってしまっている。
私たちはそんな商店街の端っこに「ジャズ喫茶 中庭」という場所を作った。ジャズ喫茶、音楽ライブを中心に、レンタルスペースとしても開けているので、日替わりキッチン、福祉団体の交流の場、手話カフェ、フリースクールなど、様々な活動が行われている。
去年の6月から始まったので今、一年半くらい。最近はジャズ喫茶と名乗るのもどうかと思うくらい本当に多種多様な活動が行われており(占い、アフリカ雑貨、モンゴル雑貨、和紙の製本ほか)、もはや自分達でも全体を把握しきれない、訳の分からないモノコトヒトのうねりが生まれている。グルーブ。
この間、所属する商店会の忘年会に出た時「何がやりたいのか分かんない」と近所のお店の人に言われた。酒の席の話とはいえ、なるほど確かに。
分かりにくいだろうなー、俺もよく分かんないしなー。頑張ってはいるんだけどなー。何ていうのかなー。。。と、その日はうまく説明できずに終わってしまった。少しモヤモヤは残った。
そこから数日モヤモヤを残したまま仕事をしていたのだが、
ひたすら漆喰を塗る作業をしていた時に、ハッと思った。
「でもまあ、分かってもらえなくても良いんじゃないかな?」
そうなのだ。分かってもらえないままでも共に存る、近所にいることは出来るはず。うねりがあって、グルーブがあって、何か面白いことが起こりそうな気配があれば、勝手に面白いことが起こる。と、俺は思う。思わない人もいる。それで自然なのだ、たぶん。分かったり分からなかったりしながら、一緒に近所で歳をとっていくのだ。地域とか商店街とか、そういうもんなんじゃないでしょうか。社会もそうでしょうか。
深夜、漆喰を塗りながら、そう一人で納得したのだった。
しかし、俺は何をやっているのだろうか。塗っても塗っても終わらない。
だけど、塗っていると色んなことを思うのだ。まあいいか。楽しいし。