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全社員に配布した資料の一部を公開します(#1)

2020年に初開催を予定するもコロナで延期となった経営計画発表会。くらしケアの集いという名称に変えて2023年、ようやく開催できました。
そのときに配布した資料の一部を公開します。
創業者目線での思い、創業当初の様子など、新しい社員、若い社員にも知ってもらえたらと書いたものです。少し長くなるので、3回に分けて公開したいと思います。あいにく文章力がなく、たいへん読みづらいかもいしれませんが、もしよかったらお目通しください。


あとがきにかえて

2023年2月17日(金)、夢のひとつが叶いました。くらしケアの集い(経営計画発表会)の開催は、会社をつくるときに思い描いた夢。悲願のひとつでした。この夢は関わってくれる人々、とりわけ社員の皆さんなくして実現することはなかったはずです。皆さんには心から感謝しています。

ここではまず創業時のことを書かせてください。くらしケアの前身の社名は住健トラスト株式会社。住まいと健康とトラスト(信用)を組み合わせた社名で、2011年11月11日に創業しました。建築ではなく健康としたのは空き家問題が社会の病気に見えたからです。そして不動産業界でよくある顧客利益より成約利益を優先することがないよう信用を社名にしました。この日を選んだ理由は、次に1が並ぶのが100年後だから。100年続くつもりで会社をやれば10年20年は持つだろうとの考えでした。

途中、社名は変わりましたが、あれから12年目を迎えることができました。これも社員の皆さん、お客様のおかげです。私一人ではとてもこの日を迎えることはできなかったはずなので感謝の気持ちでいっぱいです。

くらしケアとして生まれ変わったのが2016年。そして2023年の今年、念願の集いが開催されました。これからのくらしケアを創ってくれる皆さんにこの文章を書きましたので少し長いですが読んでもらえたら嬉しいです。



1.創業前夜の様子

「空き家を活用して子どもたちの居場所を作りたい」

空き家活用の取り組みが中日新聞に取り上げられ、記事を見た方からの問い合わせを受けて、岐阜県可児市のとある場所へと出向きました。

その場にいたのは重症心身障害児のお子さんたちとお母さんたち。車いすには座るというよりも「寝ている状態」の重い障害のお子さんの姿が。しかしなぜかお母さんたちは笑顔で明るい。「こんな重い障害児の世話はきっと大変なはずなのに、なぜこの人たちは笑顔でいられるのだろう・・」あまりのギャップの大きさに違和感を覚えました。

この出会いがきっかけとなり、お母さんたちのお子さんが通う通所施設を運営するNPO法人の経営を担うことになりました。実はこのNPO、かなりの経営難に陥っていたのですが、当時の私は「頼まれごとは試されごと」「返事は0.2秒」をモットーにしていたので、依頼を受けて即答で引き受けることにしました。

しかし私は障害福祉の世界などまったく知りません。まずはとにかくご家族の声を聞こうと親御さんの声に耳を傾けました。するとあるお父さんが「子どもを残して死んでいけないんです」と悩みを打ち明けてくれました。誰に頼っていいかわからない、いくらお金が必要か分からない、おちおち病気もできない、交通事故で死んでしまったら明日からどうなるのだろうと夜も眠れない、成年後見人も悪い弁護士もいるとか噂も効くから信用できない、そんな声でした。このお父さんは役所に勤める公務員で収入もあるようでしたがそれでも困っていたのです。

他のお父さんお母さんにも聞いてみました。すると「よくぞ聞いてくれた」とばかりに誰もが同じことで悩んでいることを知りました。ここにいるほとんどの方が「明日が来たら困る人たち」だったのです。

振り返れば私もがんで闘病していたとき「来年生きているんだろうか」「生きてたとしてもこんな自分が世の中で存在していていいのだろうか」と思っていた。お父さんお母さんの話を聞きながら生きることに前向きになれなかった時代を思い出しました。そして生まれて初めて今までに経験したことのないような熱い思いが腹の奥底から湧き上がるのを感じたのです。「この人たちを笑顔にしたい」と。もし私に生まれた意味や生きる意味があるとすれば、そんな悩みを持つ人たちのために残りの人生を捧げたい。それで何かが残せたら私の感じている劣等感、怒り、苦悩、それらすべてに意味があったと報われるかもしれない。そう考えたらいてもたってもいられなくなりました。

2015年8月のこと。このときの思いが「明日が待ち遠しい」のくらしケアの理念へと繋がりました。


#2へと続く


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