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ただ美味しいから、だしをとる。

先日、出雲市の乾物屋さん「松ヶ枝屋」さんにお邪魔したときのこと。

松ヶ枝屋さんは、いりこ・かつお節・昆布など、日々の食卓をおいしくしてくれる乾物を販売されているお店です。

奥さまとお話していてひょんなことから、いわゆる「手間をかける暮らし」についての話題になりました。

奥さまいわく、「自分たちは煮干しとかかつお節とか、使うのに手間のかかるものを販売しているけれど、料理は手を抜いても全然OKだと思う。だしをとることをお奨めするのは、それがとっても美味しい!と思うから。でも、その行為に意味づけをする人もおられますよね」とのこと。

そーなんですよ!!!!と、店頭であまりにも賛同しすぎてご主人が爆笑されてましたが、本当にそうなんです。

ただ美味しいから、だしをとる。できあがった料理の味に家族が喜んでくれる。好きなお皿に盛り付けて、みんなでおいしく食べて、あー楽しい。

それがすべて、だと思うのです。

そこに、「手間をかけることこそ、料理の神髄」とか「ナチュラルライフこうあるべき」とか「ロハスな暮らし」とかいう定義づけをされると、途端に窮屈になりませんか?

「おだしをとりましょう」と言われて、「そうか、やっぱり手間をかけたほうがおいしいんだな」という考えにはなっても、「手間をかけたほうが正しい」となってしまうと、必然的に「手抜きは悪」みたいな概念も生まれてしまう。

そんな、ゼロか100かの議論じゃないと思うんです。

以前SNSで、1人暮らしをするにあたって割烹料理店を営むお父さんに料理の基本を教わろうとしたら、「最初は市販のだしで全然かまわない。最初から凝り固まって慣れない料理をして、結果作ることが嫌いになってしまったら元も子もない。手抜きしてもいいから、料理を作ることをまず楽しい、と感じられることが大切」という答えが返ってきた、というエピソードを読んだことがあります。

そう、楽しむことが一番。

「自分でだしをとって料理をするとおいしい!楽しい!」と思う人がいたならそれは素晴らしいことだし、そんな人がたくさんいたらいいなあ、と思う。その「手間」の部分に楽しみを見出す人に、いりこや削り節をご提案したい。そして、そんな人がひとりでも増えたらいいな、というのが松ヶ枝屋さんの芯にあるコンセプトだと思います。

私たちも、松ヶ枝屋さんに全面的に賛成!時間をかけておいしいものを作る、ということが「楽しい」と思うから、「楽しいですよ~やってみませんか?」という提案はしますが、「インスタント食品は食べないようにしましょうっ!!」みたいな提案はしない。マイナスなことを引き合いに出して「だからこっちが正しい!」と言うよりも、「楽しいからやってみませんか?」というポジティブな提案を行っていきたい。

同じように「楽しい!」と思ってくださる方がいたなら嬉しいし、ひとりでも多くの人たちとその気持ちを共有したい。そこに楽しみを見出す人は、きっとほかの部分でも私たちの思いと重なることが多いはずだから。

その「楽しい」という気持ちの延長線上に、こころ豊かに暮らす、という私たちのコンセプトがある、と思っています。何事も楽しく、真剣に。



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