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ある夏の思い出のはなし

共働き家庭で育ち、更にバスや電車を乗り継がないと行けない小学校に通っていたため近所に友達のいなかった私は、よくひとりで家の周りを散歩して遊んでいた。

決まって通る砂利の敷かれた小道があって、そこにはいつも太った三毛のタヌキみたいな猫がいた。
子供ながらになんとなくここは他人様のお家に繋がっているから入ってはいけない道だなとわかっていたので、砂利道の入り口からタヌ猫を眺めたり、目が合えば手招きしてみたり、鳴き声を真似たりして暇をつぶしていた。

ある夏の暑い日、いつものようにしゃがんで猫と見つめあっていると、頭上からお声がかかった。

「いつも来てるねぇ。上がりなさい。」

見上げると、シュミーズ姿にターバンを巻いたおばさんが布団叩き片手にベランダから顔を出していた。

一瞬怒られたのかと思って固まった私に、おばさんは言った。
「その猫はね、ポン太って言うのよ。猫が好きなんだね?中にもたくさんいるよ。おいで。」

いまの時代なら、もう少し人を疑わないとダメよと言われてしまいそうだが、私はタヌ猫の名前を教えてもらえたことが嬉しくて、吸い込まれるように家の前まで歩いて行った。

おばさんは玄関を開けて出迎えてくれ、ポン太はおばさんの足にすり寄ってから、こちらを見てニヤァと言った。

中に入ると、そこは薄暗く、新聞紙が床一面に敷かれていた。大量の空いた猫缶。砂の散らばった猫トイレ。
そして目が慣れてくると、猫、猫、猫。

全部で30匹の猫がいるとおばさんは
言った。
目が濁ってビー玉のようになっている子や、足が一本ない子、毛が固まってバサバサになっている子もいた。

おばさんはどこからか取り出した座布団をザッとはたいて私を座らせると、大きなコップに冷たいお茶を入れてくれた。

あまり人と話すことが得意ではなかった私は、黙って猫を見つめ、寄ってくる子を撫でたりした。
おばさんもおばさんで、私を招き入れておいて特に何を言うでもなく、しばらくするとスッとどこかへ消えてしまった。

私は突然不安になった。
どうしてここに来てしまったんだろう。このお茶を飲み干さないと帰れない。だけどあまり早く飲み干しても失礼なんじゃないか。ところでこのお茶ペットボトル1本分くらい入ってない?こんなに飲めないかもしれない、でも飲めないとおばさんが帰ってきて、いやおばさんは本当は猫で、猫が帰ってきて私も猫に...


そんなことを考えながらまた固まっていると、おばさんが戻ってきて

「帰りなさい」
と言った。

おそらく15分程度の滞在だったのだが、家から出ると空は夕方の色に変わっていた。


仕事から帰ってきた母に猫のおばさんに会ったことを話すと、彼女は猫の保護活動をしている人だと教えてくれた。
家に上がらせてもらったことは、なんとなく言えずに黙っていた。

それからも幾度となく砂利道に足を運んだが、おばさんがベランダに出てくることはそれきりなかった。

そして私達一家はその街から引っ越した。

先日、当時住んでいた駅に用事があり、ついでに住んでいた家の前まで行ってみようということになった。
歩いているうちになんとなくいつもの散歩道を思い出したが、猫おばさんの家に通じる砂利道だけはどうにも見つけられなかった。

まあ30年近く経っているから無くなっていても不思議ではないのだけれど。


※写真は我が家のスーパープリンセスキャットちぴ子です。


制作代にさせていただくかもしれないし、娘のバナナ代にさせていただくかもしれません。