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離乳食のはなし

昔家にあった「桃子お食い初め」というホームビデオのタイトルを見て、「え、この日までごはん食べさせてもらえなかったの。どうやって生きてたの。」と思ったことがある。

人間はだいたい生後5、6ヶ月までは母乳やミルクなどの液体だけを摂取して育つ。
そこからペースト状にしたおかゆやら野菜やらを飲み込む練習をはじめ、だんだんと固形物を噛んで食べられるようになるのだ。

そんなことも知らなかった私が母になった。(ちなみにお食い初めというのはまだ食べ物は食べられない段階の赤ちゃんに、食べさせるフリをする儀式なんだよネ。)

もともと料理をするのは好きだった。
好きが仕事になり、職場でお客様に美味しいよと言ってもらえると嬉しかった。
我が子にも美味しいものをたくさん作ってあげようと、かなり早い段階から離乳食の本を何冊か揃え、わざわざノートにまとめなおしたりして張り切っていた。

かわいい食器にかわいい盛り付け。
「雑な盛り付けにすると食べないのに、大人と同じにするとパクパク食べる。」という吉本ばななさんのエッセイの一文にキュンとしたりしていた。

そしてわたしは知った。

赤ちゃんには2種類いるようだ。
離乳食を食べる赤ちゃんと、離乳食を食べない赤ちゃん。

うちの子は離乳食を食べない赤ちゃんだった。

唇を内側に巻き込んで絶対に開けない
スプーンを押し戻す
手ではたき落とす
泣いていやがる
首ブンブンしていやがる
椅子から脱走
コネコネしてポーイ!
パクッとしたかと思いきやベローーーン!!
むんずと掴んで白い壁にドーーーーーン!!!
空気清浄機の吸い込むとこにブロッコリーがゴゴゴゴゴゴゴゴー!!!!!
など多様な必殺技を持ち、さらに日々進化する身体能力に伴う新技を編み出すことにも余念がない。
かなりの数の攻撃を食らったとは思うのだが、まだまだそのバージョンアップから目が離せない毎日を過ごしている。


離乳食が完了する日がきたら本でも出版したい気持ちである。
離乳食を食べない赤ちゃんのお母さんに捧ぐ、アドバイスなどしない、キラキラもしない、これは少しだけ食べたぞ!というリアルなメニューを紹介する、その心に寄り添いたいだけの一冊だ。

環境を整えてみよう!(これ以上となると家具全部撤去)
楽しい雰囲気にしてみよう!(常に笑顔だし話しかけたりごはんの説明したり歌ったりしてるしなんなら踊ってもいいと思ってる)
立ち上がったり遊びはじめたら終わりにしよう!(その子はまだひとくちも食べていません!)
ステキな盛り付けに!(しとるわ!)
お母さんも一緒に食べてみましょう!(ひとくち食べてる間にあれ、いない。)

などなど、そんなん絶対に書かんぞ。(もちろんこれが有効な場合もあると思いますので、一個人の心の叫びです。悪しからず。)


離乳食たべない協会所属のお子さんを持つ親御さんから聞いた

・離乳食はお供え物だと思え。
・ケチャップはトマト。赤ちゃんせんべいは米。栄養とれてえらい。
・3日くらい食べなくても死なん。

このみっつにはかなり救われた。


もちろんそんな言葉を鵜呑みにして安心しているわけではない。栄養バランス良く食べて欲しいし月齢相当の量を食べて欲しい。隙があれば野菜をまぜこみ、やわらかくしたり歯ごたえを出してみたり、味をつけてみたり薄くしてみたり、手を替え品を替え必死の日々である。

それでも、そうやって食べないことを笑いにできたり、頑張っている人が他にもいるし、いつかはその子のタイミングで食べるようになる日が来る。と知れたことは、大きな心の支えになった。

今となっては何をされてもほぼ平常心、食べられるだけ食べてくれたらラッキーと思えるようになって楽になってきたが、はじめのうちは気が強いで有名なこのわたしが病みかけていた。涙が出そうになることもあった。どうして食べてくれないの?とつい口に出してしまい、自己嫌悪に陥ることもあった。ごめんね。まだ0歳や1歳なのに。

少しずつでも食べられるようになってえらいよね。大丈夫大丈夫。今日はこんなに食べられた!たべるのってたのしいね。そんなふうに言えない自分をなんて未熟な母親なんだろうと責めた。
そんなお母さんがきっとたくさんいると思うんだよね。ほんと、ひとりひとり労いたいし、私にお金があったら全員にハーゲンダッツ無料券を送付したい気持ち。


きっといつかこんな日々を懐かしく思い出す日がくるのだろう。
少し大きくなれば、食べるのが上手になって、おなかすいたー!と言えるようになって、友達やゆくゆくは彼氏と外食するのが楽しくなって、そうなれば家族で一緒にごはんを食べられる機会なんてあと何回あるかわからない。

今もたまにつらくて泣きたくなる時はそんなふうに思うようにしている。

そう思うとさ、違う意味で泣けてきちゃうんだよね。


制作代にさせていただくかもしれないし、娘のバナナ代にさせていただくかもしれません。