コントロード 第三十二話「王座陥落」
マセキに入って3年目か4年目くらいだったか、とあるコンビが新たに入ってきた。
ニッチェという女性コンビだ。
なんでもキャリアもあり、番組でレギュラーなんかもやってきたらしい。
この頃、まだマセキ若手のエースの座を保っていた僕らツィンテルだが、このニッチェの登場を皮切りにちょうど人気に陰りが見え始めた記憶がある。
このニッチェというコンビは、そりゃあもうすごかった。
見た目のキャッチーさ、江上のキャラの強さ、コントも漫才もできるユーティリティ性、自信と努力、人付き合いのうまさ、子どもウケ、さらには元々役者志望だったニッチェの二人は僕らツィンテルのウリだった演技力をもゆうに凌駕し、その上良い奴らなんだから手に負えない。
瞬く間にレッドカーペットなどのネタ番組に出演し、キャラクターコントで人気になり、番組の密着取材なんかがついたり、どんどん人気芸人の仲間入りをしていった。今日に至るまでその人気は健在だ。
この当時、運悪く? マセキの若手では「マセキユース学級会」と称して、若手の人気投票というのをやっていた。
お客さんの投票でマセキの全若手芸人の人気の順位をつけるというのだ。順位の推移が小出しで発表されるという形式の中、僕らツィンテルは中間発表で1位だった。
だが、内実はどうだっただろうか。
ダジャレのネタでネタ番組を一回りしてチャンスを掴めなかった僕らは、新たなパッケージを探すべく迷走気味で、決して調子良くはなかっただろう。最初の頃の人気でなんとかお客さんはついていたが、ニッチェを筆頭に他のコンビの追随に焦り、その雰囲気がお客さんにも蔓延してきていた。
人気投票の発表当日。
実際にも芸人に結果が知らされていなかったこの発表で、1位となったのはニッチェ、そして2位はジグザグジギー、僕らツィンテルは3位となった。しかも4位の三四郎とほんのわずかな差での3位だった。
この発表の時、僕らが王座を陥落したということで他の芸人たちが狂ったように喜んでいたのを覚えている。それはもう本当に狂喜乱舞していて、発表時はすごい盛り上がりだった。僕らはいつの間にか他の若手芸人の目の上のたんこぶとなっていたのだろう。自分たちの方が面白い、なぜツィンテルばかりがもてはやされる、皆そう思っていたに違いない。僕でさえそう思っていたくらいだ。この時僕らはある意味で若手の中のヒールだったのかもしれない。
たかだか企画ライブのひとつだったが、この日を境に僕らは凋落の一途を辿っていく。
お客さんが離れてゆく。
ネタがウケなくなる。
コンビの仲もギクシャクしてくる。
ライブに呼ばれなくなる。
とあるライブゲストが入ったと事務所から連絡があり、大きなライブだったので嬉しかったが、ただしまだ仮のスケジュールだという。よくよく聞けば、ニッチェに別件の収録が入った場合、ジグザグジギーになるが、ジグザグジギーも別件の予定が入るかもしれないのでその場合は僕たちにお願いしたい、ということだった。代わりの代わりだ。そんなプライドを傷つけられる機会も何度かあった。マネージャーも気を遣って決まってから言ってくれればいいのに!
今ならマーリンズ時代、代打の代打を出されたイチローの気持ちが手に取るようにわかる。
嘘だ。
まったくわからない。
この世は実力の世界だ。仕方ない。
だが、芸人というのは、こういった機会でも必死に歯を食いしばってそれを笑いに変えなくてはならない。逆に言えばそういったことでも笑いが取れなければ芸人ではない。人生における苦難をこそ笑いに変えるのが芸人の仕事だからだ。
優雅な水鳥が水面下で脚をバタつかせているのと同様に芸人は表で笑って裏で泣かなくてはいけない。
僕たちはこれを機に芸人として一皮剥けなければならなかった。
第2ステージに突入だ。
僕たちのコントロードは折り返し地点に差し掛かった。
そんな時、最初の挽回する機会がやってきた。
キングオブコント。
TBSで放送される日本全国のコント師の日本一を決める大会だ。
一昨年は1回戦敗退、去年はダジャレネタで3回戦まで行ったが敗退。
今年こそは行きたい。
行かなくてはならない。
ネタを作ろう。
喫茶アンデスに集合だ!
(第三十三話につづく)
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