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コントロード 第十六話「僕たちのシアタートリム」

初めてのオンバト挑戦が終わってからも僕らは粛々とネタ作りに勤しんだ。

当時マセキの若手ではオンバトのオンエアを勝ち取ったり、なにか結果を残すと嘉山マネージャーが焼き肉を奢ってくれるというご褒美があり、初めての嘉山焼肉会を楽しんで僕らはさらに良いネタを作るよう発破をかけられていた。

もっとテレビに出たい。

当時はまだまだ若手が出られるネタ番組が多く、喋りやギャグで目立つ術を持っていない僕らはとにかくネタを作る必要があった。

しかし誰しも最初から効率的なネタ作りができるわけではない。

僕らは毎月の新ネタ作りでいっぱいいっぱいだった。

1ヶ月のスケジュールはまず構想を練り始め、1週間程度で骨子を決める。その後の1週間で台本を作り、事務所でのネタ見せに臨む。ネタ見せで受けたアドバイスを基に改良を加え2回目のネタ見せ。そしてようやく事務所ライブに。これの繰り返し。その間に事務所ライブ以外のライブ出演をし、オーディションを受け、アルバイトをする。

最もしんどいのが最初のネタ見せ前の数日間で、バイト終わりやライブ終わりの22時くらいから毎日集まって、明け方までああでもないこうでもないと話し合い寝不足の状態で次のネタ見せに向かう。

当時の僕らの稽古場はお互いの家の中間地点ということで練馬区の田柄中央児童公園という小さな公園だった。

改めて場所を調べてみるとお互いの家の中間地点でもなんでもなくかなりセティの家寄りだった。僕は完全に奴に騙されていた。

この公園には「トリム広場」という円形のちょっとしたステージのような部分があって、僕らはお互いに自転車でここに集まりネタ作りをした。

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僕らはこの場所を演劇人なら誰もが知っている世田谷パブリックシアターの隣にある劇場「シアタートラム」になぞらえ、勝手に「シアタートリム」と名付け、僕ら専用の劇場としていた。観客はそこらをうろつく野良猫しかいないのだけれど。

僕たちのシアタートリムは夏は暑く蚊に刺されまくり、冬は寒く凍えるような厳しい環境だった。夏には準備の良いセティに虫よけスプレーを何度も借りたものだ。


ちなみにその後1年ほど経ってからは僕らの稽古場は少し僕の家に近づき、練馬文化センター前のベンチに移動した。

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ここは練馬文化センターを略して「ねりぶん」と呼んでいた。

これを書くために久しぶりに写真を撮りにそれぞれの場所に行ってみたのだが、当時のしんどい記憶を思い出して今でも鬱々とした気分になる。

その後は段々とネタ作りに慣れ始め、体を動かさずに頭の中でネタが作れるようになっていったので稽古場は喫茶店になった。

練馬駅前にある喫茶「アンデス」である。

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アンデスはかなり老舗の喫茶店で、タバコのヤニで黄色くなった店内の壁と店中に所狭しと並べられたマンガや本が特徴だった。ネタに困ると、そこから発想を得るといって二人でマンガを手に取り、結局何も思いつかずにただただマンガを読む無駄な時間を過ごしたりした。

この喫茶「アンデス」はかの有名な漫画家・あだち充先生の御用達で、あの超有名青春マンガ「タッチ」の南ちゃんの家の喫茶店「南風」のナポリタンはこの「アンデス」のナポリタンをモチーフにしていると言われている。

僕らも腹が減った時にはこのナポリタンか焼き肉定食を数えきれないほど食べたものだ。昔ながらのナポリタンは美味しくて、だけど出てくる水はなぜかすごく鉄の味がして、よく覚えている。あだち充先生も実際に一度お見かけしたことがある。

余談だが解散してからセティに確定申告のわからないところを教えてもらうためにこのアンデスに行ったことがある。芸人時代に一度も話しかけてこなかったマスターが僕らを見て「あれ? お久しぶりですねえ」と声をかけてくれた時は嬉しかった。僕は「僕らが何やってたかってご存じでした?」と聞くとマスターは「もちろん」と微笑んで厨房に戻っていった。出された水はやっぱり鉄臭かった。


さて、若手時代の話。

いつものように僕らの劇場「シアタートリム」でネタを作っていた。

僕らの強みは演劇で培った演技力だったので、とにかく当時は映画やドラマでよくあるシーンを着想に作っていくことが多かったのだが、この日は当時出ていたライブで「若手のネタは恋愛要素が入っていると女の子にウケやすい」という考察から恋愛を絡めたネタ作りをしていた。

好きな女の子が海外に行ってしまう当日に「今から空港に行ってこい」と親友に言われたが「本当はお前だってあいつのこと好きなんだろ?」と逆に問いかけられるというドラマでよく見るような導入だけ決めていつものようにエチュードを重ねていた。

女の子の名前は、シアタートリムの壁に当時してあった落書きから「セイコ」という名前にした。

何度目かのエチュードでセイコが行ってしまうのはイタリアということになり、流れでセティが、

「今がアルデンテだぞ」

と言った。

今がタイミングだぞ、という意味のボケだったのだが、そこからイタリアっぽい言葉のボケをどんどん言うコントにしたらどうだろう、と僕が提案をして、その結果歳がいっている僕らはダジャレしか出てこなかったのだが、次の日がネタ見せだったのでなんとか一本のネタに仕上げた。前半は何の笑いも無くただドラマを見せるだけ、後半だけ申し訳程度にダジャレがたくさん入っているという不思議なネタができたわけだが、これが思いのほか評価が高かった。

ネタ見せ終わりで現在は解散してしまった先輩コント師のキスキスバンバンの高橋さんに「良いパッケージ見つけたなあ。これ何でも行けるやん」と言われ、これが僕らが初めて作ったパッケージネタ(シリーズものとなる形が決まっているネタ)となる予感がした。

この時から数年にわたり、良くも悪くも僕らはこのダジャレネタの呪縛に縛られることになるのである。


(第十七話につづく)


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