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コントロード 第十三話「二つの約束」

幸運にも2つのプロダクションからお声がかかり、僕たちは決断を迫られていた。

どうする。


まずはツィンテルの他のメンバーに相談した。

お誘いを受けたこと、今後5人での活動は制限される可能性があること、それぞれの人生のこと。

何度かお笑いライブを一緒に経験したデビだけはほんの少し淋しい顔をしたような気がしたが、皆喜んでくれ、快く受け入れてくれた。なにも一生一緒にやれなくなるわけじゃない。

両親にも相談した。

両親には留学をする時や演技の大学に行く時、そのまま俳優を続けると決めた時、いつだって何も言われたことはなかった。今までさんざんお金がかかり、その結果まさかお笑い芸人の事務所に行くかもしれないと言った時もそれは変わらなかった。母はいつだって僕の舞台を観に来て応援してくれていたし今回も何も言わない。父はと言えば、留学時代帰国前に改まって感謝の気持ちや迷惑ばかりかけてすまないと手紙を書いた時、父からもらった初めての手紙には書き慣れない汚い字で一言「何も気にするな たかが人生」と書いてあり、今回も「意外と良いんじゃないか」なんて笑いながらお気楽に答えていた。


舞台は整った。

整ってしまった。

僕らは、お笑い芸人になる。

のだろうか?

本当に、なれるのだろうか?


セティと相談した結果、リーダーには大変感謝しているが、この歳から本気で芸人になるのなら事務所として実績があり、なるべく早く結論が出る事務所が良いということと、子供の頃からテレビで観て憧れていたウッチャンナンチャンの事務所ということからマセキ芸能社を選ばせてもらった。

リーダーへご連絡してからマセキ芸能社若手チーフマネージャーの嘉山さんにそう伝え、晴れて僕らは若手を見るのが嘉山さん体制になってから初の嘉山チルドレン第1号となったわけである。2008年の4月、桜がもう散ってしまった頃の話。


セティと二人歩きながら、マセキ芸能社の事務所のほど近くに東京タワーが見えた。


「セティ」

「ん?」

「ちょっと東京タワー行くか」

「え、なんで?」

「……なんとなく、記念に」

「……行くか」


その日、30手前の男二人で東京タワーの中間地点150mのところにある展望台に登り、僕らは二つの約束をした。


4月現在から12月まで、今年一年の内、一度も芸人としてテレビに出られなかったらお笑い芸人はあきらめること。


万が一いつの日かお笑い芸人として冠番組が持てたら、その時はまた東京タワーに来て、今度は地上250mの特別展望台に登ること。


僕たち二人は、コントロードを走り始めた。

この4年後、東京タワーの倍ほどの高さのスカイツリーができるとも知らずに。


(第十四話につづく)






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