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異国の地で見つけた意外な日本文化

海外旅行でフィリピンに行った時の事。

セブ島やマニラで10日間思う存分遊んだ最終日。
さぞかし名残り惜しいかと思ったら、そうでもなかった。

なにせ私はひどいホームシックにかかっていたのだ。

働き詰めの毎日でようやく手にした休みを贅沢に使っての海外旅行。さらば日本!だなんて言ってやってきたのに、今は猛烈に新鮮なマグロのお寿司が食べたくてしょうがない。

もう、酢の入ってないシャリのマンゴー寿司や、買ったばかりのナイキの靴のような臭いのするカニなんて食べたくない。

土産を買いに外へ出たが、私の心情を映すかのように今日の天気はどんよりとした空模様だった。

ショッピングモールで職場や家族に宛てた土産はしこたま買ったが、自分の旅の思い出になるような土産は「これだ!」という物が見つからず、結局買わず仕舞いで帰りのgrab※の車の中で悶々としていた。早く日本に帰りたいが、せっかくなら記念に残るものが欲しい。

※grab…東南アジアに普及している配車サービス。比較的安い価格で利用できるタクシーのようなもの。

そんな事を考えながら車の外をボーッと眺めていると、ボロボロの衣服を纏った物売りが重そうな荷車を引いて幹線道路を歩いており、信号待ちをしている私達の車に近寄ってきた。

物売りの老人は窓にノックすると、私の目の前に一つの植木を差し出して微笑む。

見たこともない形のその植木は、小さいながらもまるで大自然を表したかの様な雄大さと美しさを放っており、私の目は釘付けになった。

思わず私は「欲しい!」と手を伸ばすと「ガチャッ」と窓はロックされ、車は動き出してしまった。

運転主にあれはなんだと尋ねると、盆栽だという。フィリピンで日本の盆栽は有名らしく、あれはブーゲンビリアの盆栽だそうだ。

一見「盆栽」と聞くと横に芸術的に葉と枝が広がった、アシンメトリーな物を想像するが、その盆栽は空に真っ直ぐ伸びた木に、シンメトリーな枝。枝先には小さなピンク色の花が散りばめられたように咲き、日本文化は異国の地で独自の変化を遂げていた。盆栽の概念を打ち壊すような斬新さがその盆栽にはあったのだ。

その後帰国してから調べてみたが、似たようなブーゲンビリアの盆栽はいくつか出てきたがどこか日本的だ。あの横にくねくねとしている感じだ。


今思うと、ピーナッツやジュースの物売りは至る所にいたがなぜ盆栽だったのだろう…。
謎は深まるばかりである。


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