なりたかったもの……☆☆
漫画家になりたかったけど、えんぴつで絵は描けてもペンでは描けない、自分の手の麻痺を知ってあきらめた。
小学校の教師になりたかったけど、言語障害があるから無理だと言われてあきらめた。
図書館司書ならなれるかと思って、資格が取れる学校に進学したが、オイルショック後の就職難でなれなかった。
結局、なりたい職業には就けなかったが、思いがけない出会いで、身体障害者はほとんどならないであろう職業に就いてしまった。
まず、歯科医院の受付である。言語障害のある私に、電話応対のある受付をやらせてくれた院長は勇気があったと思う。
「あなたの言語障害は他人に通じないほどのものではないから、やってごらんなさい」と言ってくれた。
嬉しかったから、頑張って働いた。医療事務もやった。手書きだったから麻痺のある私にはつらかった。字を書くのが遅いからひとの倍は時間がかかったと思う。
十年目に首が回らなくなって、血圧も高くなって、パソコンが入ったので私でなくてもできる、と思って仕事をやめた。
次は、施設に勤めて、いけばなや編み物、折り紙やワープロを教えた。
成り行きで習った、いけばなや機械編みが役に立って就職することができた。
次は、ケアマネージャーになったけれど、本当は障害者のピアカウンセラーになりたかったのだが、事情が許さず、介護保険のケアマネになってしまった。
ピアカウンセラーを目指していたころに「札幌いちご会」の小山内美智子さんと出会った。何冊も本を出版している障害者で、なぜか、どこか私に似ていた。
「わたし、千葉の小山内美智子を目指します」なんていってしまった。
20年も経ってしまったが、まだ、物書きになることはあきらめていない。
障害者が見た社会の矛盾を子どもたちにわかるような言葉で書きたい。
児童文学を書きたいと感じたのはこういう意味だったのかもしれない。
頑張るぞ。
できればお金になるようなものが書きたい。」
はしたないが,10年間妹の介護をしていて無収入なので、きれいごとはいっていられない。
よく、いままで生活できたものだと感心している。
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