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もう、見てもらえないから

この写真はまだ、母が元気だった頃にいけばな小原流千葉支部みんなの花展に出品した時のものです。

いま、見ると元気そうには見えても、認知症が発症していたのだろうと思う。

この母の名前は「かね」さん。

十年ほど前に妹が家に引きこもってしまったときに、ケアマネの仕事をしていたわたしに「おめ、仕事辞めて、恵子が仕事に復帰できるように面倒みてやれ。おめの給料じゃ住宅ローンは払えねえけんが、恵子の給料があればあの家で生活できるぞ」といった。

さらに「おれは、元気だからおめの生活費はおれがあげる」なんて、いったのに、5年前に亡くなった。

どうしてくれるのよ、あたしの生活費は、まだまだ、年金は貰えないのに。とお葬式が済んでから思ったものだ。

この母は突拍子もないことを平気で言った。

ある日、テレビで劇場中継の「放浪記」を見ていた。

「おめよぉ~ 小説書けよ。おめ、こんくれえの文章書けっべ」といった。

友人の水本恵子さんは「かね」さんのファンだと言って、かねさんの話を書いてくれるなら、「わたしが出版費用は出してあげるわよ」といった。

そんな二人に押されて、小説教室に通い始めた。

通い始めて一年半で「かねさんのひだまり」が出来上がった。

二人のおかげで本ができて、出版祝賀会も開いてもらって、二人とも嬉しそうに笑っていた。

2013年の5月のことだ。

水本さんは翌年の新年に肺がんで亡くなり、母はその次の年の11月にやはり肺がんで亡くなった。

上の写真は、亡くなる前の年に写したもので、「すげえなぁ、こんなホテルで花活けられるなんて、おらが子がお花の先生だなんてすげえなぁ」と言って喜んでいた。

でも、もういけばなを続ける余裕はないからやめるね。小説家になることはあきらめないよ。次の目標もできたからね。頑張るよ。

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