見出し画像

熱意ってすごい……🌸🌸

 伝わるんですね。

 むかし、障害者の自立をサポートする仕事をしたい、それは、障害者が働く、という意味ではなく、「どんなに重い障害があっても、難病でも、住み慣れた家で親しい人に囲まれて生活することだ」と、友人の水本さんが目を輝かせて話してくれた。

 水本さんは「シャルコー、マリー、ツース症候群」という筋肉が衰えて動かなくなる進行性の難病で、まだ、障害者支援費制度も介護保険も整備されていない社会で、ボランティアを駆使して在宅で、車いすで全介助で生活していた。

 小山内美智子さんの本を読んで、スウェーデンの福祉制度を勉強して、千葉にも自立生活センターを作りたい、と語っていた。

 札幌まで小山内さんに会いに行ったのは1999年、それから自立センターを設立しよう、という活動を始めた。

 水本さんの目には説得力があり、「やればできる」と思わせてくれた。

 とりあえず、仲間を集めて、必要な資格を取ろう。と仲間で相談して「ピアカウンセラー講座」を受けた。

 資金作りに助成金の申請もした。「実績がない所の申請は通りませんよ」と担当者に言われたが、「やってみなけりゃわからないから申請書をください」と言った。

 奇跡のように助成金が通って、小山内さんの講演会や、ろうの弁護士さんお講演会や、色々活動した。

 障害者施設に勤務しながら、活動記録も書いた。

 事務所も借りて、トイレを障害者トイレに改修したときの助成金の申請は「トイレを改修してしまいましたが、支払いのめどが立ちません」と写真をつけて申請した。

 トイレも助成金で回収できた。

 順調に設立することができて「熱意って伝わるものだ」と思ったが、そうはうまくはいかなかった。

 準備に3年かかった自立生活センターの設立はやっと漕ぎ出した。

 水本さんが自立センターの代表に就任したが、体調がだいぶ思わしくなかった。

「脳で何か起きているような気がする」とある人に話したら「井口さんが、水本さんの頭がおかしくなった、と言っている」とうわさを流されてしまった。

 いいボランティアさんだと思っていた人に、そういわれて私は他人が怖くなって、その場に行けなくなった。

 それまでの経験は何のためだったのか、と思ったが行けなくなって活動をやめた。

 無責任だといわれたが仕方がなかった。 

 水本さんには協力してくれる人たちがいたので、私が辞めても自立センターは継続することができた。

 私は障害者福祉の仕事に就くことは怖かったので、高齢者福祉の仕事に逃げた。

 ケアマネージャーの資格があってよかったと本当に思った。

 何年か経って、水本さんの自宅付近の事業所に移動になった。

 水本さんは「また、遊びに来てね」と言ってくれた。

 水本さんが童話作家を目指していた、と亡くなった後で古い友人から聞いた。

「あなた、文章お書きなさい。あなたの文章面白いから」と言ってくれたことが忘れられない。

 自立センターの運営は水本さんが私財を投じて運営していたので、水本さん亡きあとは事務所を閉めた。

 最後のあいさつ文は私が書いた。

 天国からのあいさつ文。

 水本さんが認めてくれた文章力、きっとある、と信じて児童文学を書こう。

 むかしも、いまも、心に傷を持っている子どもは同じだと思う。

きっと伝わる、と信じて、おばあさんは書きます。

頑張ろう。

 



 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?