お前が死んで喜ぶものにお前の文体の舵を任せるなの呼吸 肆の型

どっこい前回の続きである。こんなに続いてびっくりしちゃうな。
続いているから文章を書く力がモリモリついているかと思うだろう。そんな実感は今のところない。ただ、ある程度の長さの文章を毎日書くことへの抵抗が薄れているような気はしていて、結局それが大事なのではないか、みたいな志の低いことを考えている。みんな知ってたか? 志は低いほうが生きやすいことを(成功はしにくい)。

さて、前回の課題の振り返り。練習問題は「長短どちらも」で、一文の長さの下限と上限を決められた問題である。書き比べて思ったのだが、一文を短くするほうがしんどかった。結論を先延ばしにしてだらだらと文章を連ねる方がずっと楽なのは、短い文では「表現の正解」から少しでもズレがあると違和感が目立つからではないかと思った。長い文章だと「ズレ」を誤魔化しやすい気がする。ということはつまり、短い文でも長い文でも俺は良い文章を書けていないということではないか。薄々わかっていたが残酷な真実だ。突きつけるな真実を。

回答一

 ガムを噛むかのように彼の顎が動く。私は彼に尋ねる。何味のガムを噛んでいるのか、と。彼は口を開けて中を見せてくれる。舌に乗っていたのは苺形のグミだ。ガムではなくグミだったことはスルー。赤いそれはまだ輪郭を保っている。噛んでなかったの? と尋ねる。彼は頷く。噛まずに舌で転がしていたようだ。彼はまた口を閉ざす。顎が再び動き出す。私は動く顎をじっと見つめる。彼は恥ずかしそうにしている。不意に、意地悪がしたくなった。彼の顔にぐっと近寄る。私は、噛んで、とお願いする。噛んで、その後口を開けて。彼は首をふる。そんなに恥ずかしいのだろうか。痴態なら、さっきまで見ていたのに。もっと赤裸々な部分を。

文章がバチバチに断ち切られまくっていて、そのイメージが口の中で噛まれてバラバラになるグミに接続してこんな話になった。ということにしておこう。オチに困って急にエッチにしちゃったな~と書いているときは思っていたが、読み返すと彼の顔をじっと見つめている冒頭からエッチで唐突感はそんなになかった。あと「ガムではなくグミだったことはスルー」の部分だけめちゃくちゃ浮いている。昨日の自分はもっとなじませる努力をしてほしい。課題が「一文十五文字前後」だったので仕方ないのかも知れないが、緩急が弱く感じる。文章の硬軟で緩急を意識しても良かったかも。

回答二

 年に一度の全社員集会の始まりの挨拶でいきなり社長が声も高らかに我が社始まって以来の存亡の危機だと告げて、普段大人しくて会社にやってきても新聞を読んでいるところしか見たことがない社長なのにいきなりそんなことを言うなんてよっぽどだろうなと思うものの、告げられた社員の大半はそんな経営のことなんか知ったこっちゃないし自分の裁量ではどうしようもないと他人事のように感じていたところに、続いて壇上に上がった専務が「とても大きいピンチだがピンチはチャンスであり、大きいピンチはすなわちビッグチャンスだ、何が何でもチャンスに変えろ」と言うので、なんともならないだろうに取り敢えず変えれるところは変えてみようという意識になったらしく、次に登場した人事部長(とても嫌な予感がする)がこちらを見て、私の所属するカレンダー部――雪のちらつく年末に営業が得意先にあいさつ回りに行く時、車の後部座席が埋まるほどたくさんのカレンダーを持って行くが、それを誰が作っているのかご存知だろうか? そう、私達カレンダー部(総勢三名)である――の有用性並びに部員全員の進退を問うてきたので、私は直属の上司にマイクの前に立って鋭い反論をよろしくと送り出したが、我らがカレンダー部部長はしどろもどろにカレンダーがないと困りますよね、何が困るって、今日が何曜日かとか頻繁に分からなくなりますし等と愚にもつかないことを言い出したので慌てて走り寄ってマイクを奪って、取り敢えず有用性だけアピールしてやろうとカレンダーこそが我が社を救う切り札になるのですとぶち上げたが、社長にどうやって救うのかと聞かれて言葉に詰まり、つい「それを証明するにはこのスピーチでは余白が足りません」と言ってしまったために、後日経営陣の前でカレンダーで会社を救うためのプレゼンをする羽目に陥ってしまった。なんてこった。

「長くしろと言われたから長くしました」以上でも以下でもない文章。まぁパッと見で破綻がないように思えるし、及第点ではないだろうか(俺は自分に甘い)。カレンダー部という見るからに弱小部署の存在はちょっと面白いが、余白が足りませんで逃げるところは陳腐に感じる。書く俺も逃げ腰ではないか。情けない。あと台詞部分にカギ括弧を使うか使わないかの判断基準がよく分かってない。よく分かってないなら何も考えずに全部に使った方が読みやすいのではないだろうか。

では本日の課題。
今日は繰り返し表現である。同じ言葉が同じ文章で何度も同じように出てきたら下手に見えるからやめろと言うのはよく聞くが、それについてもル=グウィンせんせーはお怒りのご様子である。

練習問題④重ねて重ねて重ねまくる

問一:語句の反復使用
 一段落(三〇〇文字)の語りを執筆し、そのうちで名詞や動詞または形容詞を、少なくとも三回繰り返すこと(ただし目立つ語に限定し、助詞などの目立たない語は不可)。

問二:構成上の反復
 語りを短く(七〇〇~二〇〇〇文字)執筆するが、そこではまずなにか発言や行為があってから、そのあとエコーや繰り返しとして何らかの発言や行為を(おおむね別の文脈なり別の人なり別の規模で)出すこと。

回答一
 RV車で行ったビーチには、まだ七月なのに殺人的な日差しが照りつけている。車内で紐みたいな水着に手早く着替えると、パラソルとビニールシートを抱えて砂浜に向かうが、急いで設営しないと体力が削りきられてしまうかもしれない。砂を掘って棒を突き刺す、傘を広げて日光を遮る、端を紐で固定する。この作業を終えただけで既に肌は汗でびしょ濡れになっている。日焼け止めも大半が流れているだろう。黒い肌に白い線が走る体は色っぽいかも知れないが、あまりそんな形で目立ちたくはない。やり過ぎを咎めるように太陽を睨めつけると、目眩がした。視界の中で無数の紐のようなクズが飛蚊症のようにちらついている。「お姉さん一人~? 日焼け止め塗ってあげようか~」と声をかけてくるのは、遅れてきた彼氏だ。設営を全部彼女にさせやがって、このヒモ彼氏め。

回答二
「その後の彼の行方は、誰も知らない。これで私の話は終わり」フーっと、ロウソクを吹き消す。「じゃあ、次に話すのは誰?」
 夏恒例となった百物語の会に、佐藤が死神を連れてきたときは驚いた。佐藤が言うには「ちょっと特殊な仕事をやってるだけだよ」らしいが、人の命を奪ったり寿命を管理したりする存在はちょっと特殊ぐらいではすまないだろう。と思っていたのに、会が進むたびにその認識は少しずつ変わっていった。死神のくせに、怖い話でちゃんと怖がってくれるのだ。今も私の定番の話に、肩を擦って寒さに耐えるような仕草をしている。こんなにも蒸し暑い夜なのに。
 百物語の会といえば、参加者が怪談を話すたびにロウソクを一本吹き消していき、百本全部消されたときにはなにか恐ろしいことだ起きると言われている、日本の夏定番の催しである。とはいえ実際に参加したり開催した人はそう多くはないだろう。なにせ、やる前の準備が大変だ。参加者集めに会場押さえ、火の用心に怪談の準備。気楽にやるにはやることが多いし、それに百本も怪談を集めると、その大半はノルマ達成のための定番ものやクオリティの低いものになりがちで、会の大半は退屈な時間になりがちだ。しかも百話終えたからといって、これまで怪異が起こった例もない。リターンが少ないのだ。
 でも今回は違う。百話終える前にすでに死神が登場し(……よく考えたら、フライングでは?)参加者に程よい緊迫感を与えているし、そのリアクションには新鮮味があって、話し飽き始めていた話者の表情も生き生きとしている。久しぶりにやってよかったと思える百物語になりそうだ。
 残りのロウソクは八十九本。「そろそろ、死神さんも話してみない?」と振ってみると、意外にも乗り気で「あてくしも、そろそろ話したほうが良いかと思っとりました」と二つ返事で引き受けてくれた。
 あてくしはね――と、死神は話し始める――皆さんもうご存知の通り、死神です。今日は鎌を持ってませんし、黒いフードも被っとりません。顔もこの通り骸骨ではなくて、おまけに中々のイケメンです。おや、異論がお有りですか? 勇気のある方だ、寿命が惜しくないんで? と、ははは、冗談です。あてくしは仕事には真面目でやすから。人の寿命を私情で左右したりはいたしません。友達に土下座でもされたら別でやすがね。
 死神の仕事についてはご存知でしょうか? 落語に詳しい方なら馴染があるやもしれません。死が近づいた人間のそばに佇んで、お迎えの瞬間が来れば魂を回収する。そんな仕事でございます。どうやって死が近い人間を見つけるかと言いますと、死神の目には皆さんの寿命がロウソクとして見えておるんですな。長いロウソクに小さい火が燃えているだけだと、まだまだ死にやしません。短いロウソクが普段より灯りを増すようになると、これはもう危ない。死ぬのは時間の問題です。あてくしの就労時間ってわけですな。ロウソクの火が消える瞬間、命も尽きるわけです。たまに勘違いされる方がおるんですが、これは比喩ではございやせん。人の命がロウソクの火のようなのではなく、人の命はロウソクの火なのです。
 そしてあてくしたち死神は、この目でロウソクを見るだけでなく、手でロウソクに触れることもできるんでございやす。つまり、人の死に立ち会うだけでなく、やろうと思えばその寿命に関与することもできるんですな。なんてことを、先日居酒屋でそこの佐藤さんにお話いたしやした。べろべろに酔っていた佐藤さんは面白がって、あてくしをこの会に誘ってくださいやした。面白い趣向を思いついたと言って。どんな趣向なのか、あてくしは聞きました。そしてはじめは断りやした。プロフェッショナルの矜持があてくしにもございやすから。でも先程も言った通り、土下座されたら話が違います。大事な友人がなけなしの矜持をなげうって頼んどるんです、応えなければ嘘でございましょう。酒の勢いがあったとはいえ、です。
 その趣向というのが、この部屋に並べられているロウソクでございやす。あてくしは皆様の中から一人事前に選んで、その方の命のロウソクをこの中に一本混ぜやした。今まで吹き消された十一本のロウソクは、運良くその命のロウソクではありやせんでしたが、次の一本がそのロウソクではないという保証はございやせん。ロウソクの火は命です。吹き消されれば、当然その人は、お亡くなりになりやす。
 おや、佐藤さん。顔色を青くしてどうなさいやした。あてくしはあんたが頭を下げたからこうやって協力しておるのです。もっと楽しげにおやんなさい。
 いえ、百物語なのですから、怖がることが楽しむことなのかもしれやせんな。あてくしの話はこれでおしまいでございやす。
 話し終えた死神は、フーっと、ロウソクを吹き消す。「では、次に話すのは誰でございやしょう?」

今回の舵取りは以上である。思った以上にちゃんとしたのを書いてしまった。ではまた次回、よろしくベイベ!