感性ないし独創性に見切りをつけないということ

数年前、友人に薬師寺を案内してもらったことがある。ご本尊の薬師如来を前に、感想を求められた。「如来様の常人とはかけ離れた独特の存在感と衣装のリアリティとの明白なコントラスト。それでいて全てがシームレス。この二つの性質が共存していることには驚きを隠せない」等々と捻り出す。間髪入れず「和辻が古寺巡礼で同じようなことを書いていたね」と返された。彼の相変わらずの教養に感服させられると共に、何とも言えない落ち着かなさがあった。そのときの気分も、今なら少しは言葉にできるかもしれない。ひとつには、自分自身の感想が思いがけず「型」にはまっていたこと。もう一つには、彼自身の感想を聞けなかったこと。

思いがけず型にはまっている感じというのは、しばしば経験することである。たとえば、自分の考えを少し書き留めておいて、そのままの関心に従って文章を渉猟してゆくと、同じような思索の痕跡がすぐに見つかる。そういう文章の書き手が同時代人であれば、時代精神というには具体的すぎるかもしれないが、何らかの社会状況に応じた思考の道筋が共有されているのだろうと思う。そうでなければ、人間の本質に触れたような気持ちになる。これは、言ってみれば諦めである。自己の感性や独創性に対する諦めである。

彼自身の感想を聞けなかったのは、彼において私以上の強烈な諦めがあったからではなかろうか、と思うことがある。彼は非常な教養人であった。もっとも、本人がこういう考え方を肯定することはないだろう。

自分の感性のオリジナリティを妄信するのは愚かである。しかし、自分の感性にすっかり諦めをつけて、人類の蓄積の総体に身を委ねてしまおうというのも、一つの思想的態度に過ぎない。

最近、私は木村杢太郎という人に関心を持って、気の向くままに手に取っている。彼は文筆も絵画も為した。この人の本名は太田正雄といい、太田母斑に名を遺す医学者でもあった。もっとも、多才に焦点を当てて紹介したいわけではない。私はむしろ、この人の多才の背景にある感性の持ちように惹かれるのである。

彼杢太郎の観照態度の基本には、自らの眼で確かめるための予備条件をいろいろと組立て、そのための資料を漁る知的作業に、多くの興味関心を示した点がみられる。現今の旅行ブームには夥しい数の案内書・解説書の類が生産されて、多くの人たちは好んで携えてゆく。例えば和辻哲郎の『古寺巡礼』は、いまだに大和路の古寺巡りの伴侶となっている。その事それ自体結構なことに違いないけれど、巡礼者は和辻の眼で仏像をみ、古寺のたたずまいをみようとする。その視形式決定において著者にひきずられることが問題なのだ。その理解への参入は一冊の本、案内書で済ませてしまえるものではない。視形式を決定するため、自分なりの情調を得ようとするのなら、やはり労を嫌わずに根本資料を探しだして、醗酵母菌を創りださなくてはなるまい。そうでなければある人の視形式の奴隷となることしかない。その点、杢太郎は常に本源資料に遡るだけの思惟の贅沢さと、他の視形式だけでは満足できない、自由人としての潔癖さとエネルギーをもっていた。彼の思惟や観照の態度には、創造に直結する執拗ともみえる追及欲が裏腹にあったのである。

杉山二郎『木下杢太郎 ユマニテの系譜』平凡社(昭和49年)p73-74

旅行といえば、しばらく前、伊東の地を訪れた。ここには杢太郎の生家があり、記念館となっている。この旅行には同行者がいたが、私一人には偶然ここに立ち寄る時間があった。それゆえに、今の彼への関心がある。こういう偶然もまた視形式、つまり感性に寄与するものではなかろうか。日々の偶然の積み重ねは、非常に個人的な、オリジナルなものである。そこに明白かつ積極的な自主性はないかもしれないが、自主性との相互作用があることは疑いようもない。偶然の経験は、結果的に、感性と独創性の源泉のひとつとして重大な機能を果たしているように思われるのである。

実のところ、ひとつの対象物に対する一瞬の観察において感性や独創性を発揮することは、誰にとっても困難であるように思われる。偶然によって経験された複数の対象物について、その選択の経緯から観察態度の変化まで、全体として語るなかに感性や独創性らしきものが立ち現れる。世の中の対象物のそれぞれに対して人類の総体が向き合うのではない。向き合うべき人を私一人に定めて、経験される限りの世の中の全体を感性の対象物とするということである。このような考え方をすれば、経験こそが感性や独創性を充実させるということになる。杢太郎は経験の質量ともに類稀であった。

私が薬師如来について述べた感想は、確かにいけなかった。目の前の対象物について語っているだけであった。そこには私の感性も独創性も立ち現れようがない。こういう語り方はむしろ、自身の鈍感さを覆い隠すために敢えて選択される種類のものでもある。目の前の薬師如来に、可能な限りの経験を照らし合わせ、私がその対象物との出会いをどのように経験したかを語るべきであった。私の友人は、もしかしたら、私の語り方に拙さを感じて、あるいは語り方から臆病さを読み取って、意図的に返事を疎かにしたのかもしれない。

今の私には、反省も希望もある。

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