「相京文庫」の本懐

某教室の学生部屋の片隅には「相京文庫」(以下「文庫」)が整備されている。名前は見掛け倒しで、単に、私の引越しに際して新居に収まりきらない書籍を置いておく避難所のつもりである(現在14畳の部屋に数千冊のオーダーで書籍が積み上げられており、7畳の新居には全く荷が重い)。とはいえ、一応先生に認めてもらったものであるから、内容には多少気を使っている。本懐なんてものはあってないようなものである(ブルーハーツ風)が、気を使った点については簡単に説明しておきたい。なお、これはあくまで一部の書籍に言及しているに過ぎず、「文庫」の目録の役割は果たさないことを付言しておく。とりあえず公開した上で、気が向いたときに加筆・更新する所存。

「歴史」について

「文庫」には歴史のテキストが何冊か置いてある。何を学ぶにも、歴史的文脈に対する洞察は必ず理解の助けになる。私は個々の歴史事実に対する関心はむしろ薄弱なほうであり、高校に上がるまでは日本史にも世界史にも全然関心を持てなかったが、歴史の文脈を知らなければ社会も学問も全然わからないと悟って以来、ぼちぼち人並みには勉強するようになった。

『くわしい世界史の新研究』洛陽社
高校世界史の参考書としては随一の詳しさである。少し古いテキストゆえ、最近の東京書籍のように世界システム論を重視している様子は全く見られないが、それにも関わらず、ヨーロッパ以外の地域にも隈なく目を配った構成となっており、きわめて優れた内容である。私の不勉強な書き込みには目を瞑って、豊潤な内容を楽しんでもらいたい。
なお、一見してわかる通り、白黒で活字ばかりで、最近の受験生には全然ウケない体裁をしている。洛陽社はこのような参考書ばかりを出版していたため、私が高校生のときには(案の定)潰れてしまった。しかし、本書を含め、いずれの出版物も内容には定評があった。小西先生の古文参考書などは学術文庫として即刻復刊された。とはいえ、本書は科目の性質上、今後も入手困難が続くだろう。それなりに大事にしてあげてください。

秀村欣二『西洋史概説 第三版』東京大学出版会
母が高校時代に読んでいたものを譲り受け、さらに「文庫」に譲り渡す。中等教育の学びはファクトの知識を増やすことに徹している。しかし、高等教育では、ファクトを如何に構築するかが主題になってくる。本書は、そのような高等教育の香りを感じることのできるテキストとして、今でも十分有意義だろう。
最近、大学の教養科目の教科書として『大学の日本史』という四巻構成のテキストシリーズが流行しているようである。ファクトそのものの記述は驚くほど控えめで、ファクト構築のための思考過程を記述することに集中している様子が明らかに見て取れる。ここまで露骨に「大学らしさ」を打ち出した教科書にはえもいわれぬアンビバレントを覚えるが、読んで面白いことに変わりはない。参考図書として、是非。

読売新聞社『20世紀 どんな時代だったのか』全8冊
いわゆる現代史である。読売新聞社自身の歴史を思えば「あなたが20世紀を語ってよいのか?」という疑問を抱かないこともないが、本シリーズはそれなりによくできているように思う(正直ちゃんと読み込んでいないので大したコメントはできない)。先ほど「ファクト」と「ファクトの構築」の二項対立について書いたが、現代史に関して言えば、同時代のすべての言説が「ファクトの構築」の役割を果たしているのであって、敢えて現代史の参考資料を求めるのであれば、ぜひファクトの記述が充実したものを選びたい。本シリーズは、ふつうに読む限りにおいては、十分その役割を果たしてくれるものと思う。

ダニエル・ブアステイン『大発見 未知に挑んだ人間の歴史』集英社
いつぞや、教授と某後輩と話しているときに、「博覧強記と呼ばれた人はみな世界史を書く」といった覚えがある。最近の例でいえば、ジャレド・ダイアモンドや出口治明を意識した発言である。本書もまた、三十年前の「博覧強記の人による世界史」である。
彼らの書き残す世界史はいずれも非常に面白い。自らの世界観を歴史に託けて語るわけである。一流のストーリー・テラーであるからこそ「博覧強記の人」と呼ばれるようになる。彼らの本はしばしば「教養の書」として崇拝される。しかし、これほど「反教養」的な姿勢はないだろう。世界観の対立に自ら直面すること、その知的緊張感のなかで如何に自らを位置付けるかを模索すること、これが教養である。彼らのストーリーは、あくまでストーリーとして楽しむべきである。この「個人的なストーリー」が「遍く共有された古典」になるためには、相応の時間が必要である。ダイアモンドが半世紀後にもまだ読まれていれば、H. G. ウェルズと等しく列しても許されるだろう。しかし、私個人としては、現時点で彼の著作を過剰評価することは差し控えたい。参考までに、三十年前の「過剰評価された世界史」を紹介する次第である。いろいろ書いたが、内容の面白さは折り紙付きである。

なお「文庫」には置いていないが、E. H. カー『歴史とは何か』は是非読まれるべきである。「歴史」について検討するなかで、人文社会科学の基本的な考え方を身につけることができる。私は中学生の頃、クローチェの「すべての歴史は『現代史』である」という警句を本書で知った。講義の書き起こしであるから、岩波新書の青版のなかでもかなり読みやすい部類に入ると思う。

「知」について

自然科学の大文字の方法論は現在経験的に受け入れられている(その方法論に関する科学哲学上の議論はかなり深刻であるが、少なくとも、ふつうの学生の関心範囲で問題になることは少ない)。他方、人文・社会科学については、方法論に関する議論が見渡す限りの一面で燃え盛っている。しかし、それでも、ある程度の経験的な方法論は存在していると言って良い。大学初年次の学生に「ある程度の経験的な方法論」を教えるためには如何なる教程がありうるか、大学の先生方も苦心に苦心を重ねてきたに違いない。その成果の一部を「文庫」に収めた。

様々な「入門書」

一口に教科書といっても、その性質は様々である。その分野を全く知らない人のために、構成を工夫し、一から説明してある本。少しは勉強してきた人のために、手を変え品を変え、重要な論点の理解を深めてもらうことに徹した本。中級者のために、非常に多くの情報を、正確かつ体系的にまとめあげた本。一番最初のものは「入門書」と呼ばれる。「文庫」には、いろいろな分野の「入門書」がある。

森下伸也『社会学がわかる事典』、野村一夫『社会学感覚 [増補版]』
社会学といえば、宮台真司、大澤真幸、稲葉振一郎、こういった名前が真っ先に出てきてしまうのが平成人の通念のような気がしてならない。私はこの状況に違和感を覚えている。社会学のアカデミックなビビッドさと誠実さと多様性とを、個人の名前ではなく、一応学問としての形式を以て知ってほしい(先に名前をあげた先生方を批判する意図ではない:敢えてそのような面倒を起こすつもりはない)。比較的読みやすいものを二冊置いておいた。薦めるべき本はまだまだ沢山あるので、興味を持たれた方には別途紹介します。
私は個人的に、大学生に求められている教養の少なくない部分を「社会学」を通して学ぶことができると考えている。ここで「大学生に求められている教養」としたものは、明らかに大学入試の評論文で求められているものである。その程度の文章を読む人々の間で共有されている、社会現象のモデル・イメージである。つまり、社会学的知識ではなく、社会学的概念である。こういったテキストを一度か二度読んで「なるほどヴェーバーの考えは…、パーソンズの考えは…、ブルデューの考えは…」と知っておくだけで、読解や議論の基礎力が飛躍的に伸びることは間違いない。

藤本隆志『哲学入門』東京大学出版会
私が司法試験予備試験の受験前夜に読んでいた本である。この本で哲学的思考を熟達させたおかげで、翌日の試験の一般教養科目では驚異の全国一位を獲得することができた(ただし、肝心の法律科目では哲学的思考とやらが不利に働いたようで、遂に合格は叶わなかった)。思い出の本である。
これはともかく個人的な話であるが、本書は哲学入門としてもかなり稀有な内容を持っている。著者自身の講義経験を前提として、紙上で「哲学する」ことを目指したものである。したがって、思想概説としては全く役に立たない。しかし、哲学的思考の基礎を学ぶために、本書の活字を追って考えることはきっと効果的である。最近では戸田山和久『哲学入門』なども同様の趣旨をよく達成しているように思うが、取り上げているテーマが少しモダンすぎる嫌いがある。その点、本書は一つの古典として、今でも読み返すに堪えるテキストである。

田中英道監修『西洋美術への招待』東北大学出版会
次の記事を参照。

医学書(基礎医学)

後輩のために、多少の医学書も置いてある。目下の勉強に使うスタンダード・テキストは当然大阪に持っていくから、「文庫」の蔵書には少しクセがある。

医学書(臨床医学)

高杉成一、高杉新一『病気の設計図 第3版』俯瞰医学新書出版会
「医師国家試験20年分を網羅した内科書」と銘打ち、レジュメ形式でそれなりにわかりやすくまとまっている。本書の最大の問題は、103回までの知見にしか対応していないこと(2020年2月の医師国家試験が114回)。医学生の勉強量の増加の程度を知るためには最高の参考文献である。本書をはじめとする「国家試験はこれ一冊で大丈夫!」系の虎の巻は、だいたい'00年代で一掃された感がある。とはいえ、CBTの参考書としてなら、今でも十分使い物になるかもしれない。知見が古い可能性には十分注意しつつ、適宜ご参照ください。

高橋茂樹著『腎臓(Simple Step Series)』海馬書房
海馬書房の「STEP」シリーズといえば、医学生向けの参考書市場を一時席巻したことで知られているが、最近はメディックメディアの「病気がみえる」シリーズに押され気味であった。「Simple Step」シリーズは海馬書房が巻き返しを図って企画した戦略的参考書で、「STEP」シリーズを踏襲した説明文のわかりやすさと、「病気がみえる」に対抗するための視覚的なわかりやすさとが高いレベルでまとまっている。(とはいえ、これでも劣勢を覆すことはできず、昨年ついに倒産したそうである。洛陽社の例が思い出される…)
様々な器官系のなかでも、腎臓学は特に体系的な理解が求められる。もともとの生理学的機能が複雑であることに加え、電解質・酸塩基平衡の問題や、腎不全の病理学的診断名など、難所は多い。本書はこれらの難所を誤魔化すことなく、医学生にわかる範囲で、十分誠実に記述している。私は日頃から「STEP」シリーズ全般を薦めているが、なかんずく本書は素晴らしい。なお、私は旧版のSTEP内科を全巻所持しているため、本書を「文庫」に預けても大して困らない。皆さんに愛読されることを願う次第である。

『診察と手技がみえる① 第2版』『同②』メディックメディア
これは本当によくできた参考書である。臨床手技について、丁寧な写真解説が載っている。身体診察に関する教科書は数多くあるが、基本手技の解説がこれほどわかりやすいものは珍しい。私はしばらく手技とは無縁の世界に旅立つので、後輩各位、OSCE対策や臨床実習の参考書として是非ご活用ください。

福井次夫、奈良信雄『内科診断学 第3版』医学書院
吉利和『内科診断学 改訂7版』金芳堂
診断学は器官系ごとの医学知識を臨床につなげるために不可欠のものである。症候から診断を導き出すための思考プロセスを整理して学ぶことで、実践的な知識として理解することができる。学生の勉学事情としても、診断学の観点から医学知識を復習することは知識の定着に非常に役立つ。ここに並べた二書は、いずれも学生向けの教科書であるが、前者は現在の一番手、後者は一昔前の一番手。

以下宣伝。広島大学には「広島学生GIM」という学生のための臨床推論の勉強会がある。実は私はこの会の発起人兼初代代表。結構頑張って作った会なので、皆さんも気が向いたら是非遊びに来てください。

医学書(そのほか)

『最新医学大辞典 第3版』医歯薬出版株式会社
『メローニ図解医学辞典 改訂第2版』南江堂
「医学生は医学辞典なんて使わない」というが、私は結構活用した。特に、低学年の頃ほど。なにせ、レジュメを眺めても教科書を読んでも言葉の意味がわからない。索引から頑張って探してみたところで、適切な説明がない場合も多い。Google先生に頼っても良いが、肝心の医学用語とは無関係の余計な情報が大量に視界に入ってきてしまい、すぐに処理能力を超える。しかも、その大量の情報のなかに適切な語釈があるとは限らない。これらの問題は、はじめから辞典を引くことで簡単に解決される。
ところで、二冊の辞典のうち、前者は一般的な医学辞典であるが、後者はかなり面白いものである。ページの上段にイラスト・スペースがあり、様々な専門用語に関して、非常にわかりやすいシェーマが掲載されている。しかも、比較的専門的な知見まで書き込まれていることがある。少し古い時点ではあるが、基礎医学から臨床医学まで、勉強のお供に使ってみて損はないだろう。

高橋玲『キクタンメディカル 1. 人体の構造編』アルク
医学英語なんてふつうに医学の勉強をしていれば頭に入ってくるものである。とはいえ、はじめのころは日本語すらわからないわけで、こと英語で勉強する際の助けがあるに越したことはない。解剖学用語ともなれば猶更である。医学英語の単語帳は昔から沢山出版されてきたが、語呂合わせなどを中心に構成されているものが多く、そのなかで本書はまっとうなやり方を取っているといえる。「キクタン」というからには聴覚メインかと思えば、視覚的にもよくまとまっている。本書に限らず、高橋先生は大変教育的な教科書を書かれる先生である。低学年の学生には『Dr. レイの病理学講義』もオススメ。

神田橋條治『神田橋條治 医学部講義』創元社
神田橋先生は精神科の世界では非常に高名な先生である。本書は母校・九州大学医学部における先生自身の講義録。コミュニケーションの問題に力点を置き、長年の臨床経験から積み上げてきた考察を披露する。スタンダードからは少々離れたところにおられる先生なので、あくまで参考程度に読まれるべきものではあるが、大変勉強になることは間違いない。

『神経症と文学 自分という不自由』鼎書房
皆さんは「病跡学」という学問領域をご存じだろうか。平凡社の世界大百科事典(第2版)から引用する。

傑出した人物の精神病理的側面を検討し,それが彼らの創造活動に及ぼした影響や意義を明らかにしようとする研究をいい,〈病跡〉または〈病跡学〉と訳される。古代ギリシア以来の長い伝統をもつ〈天才と狂気〉論の流れを,精神医学の土壌で引きついだ形になっているが,これを19世紀の末から20世紀の初めにかけて精細な分析によって基礎づけたのはドイツの精神医学者メービウスP.J.Möbius(1853‐1907)で,〈パトグラフィー〉という用語も彼の論文《シェッフェルの病気について》(1907)のなかで初めて使われた。

ヨーロッパでは1950年代には病跡学の衰退が指摘されていたが、日本で学会・学会誌が立ち上がったのは60年代後半のことであり、好事家の集まりといっても差し支えない。第66回大会では病跡学の現状批判に加え、将来に向けてこれを如何に学術的に基礎づけるか、というセッションが大変盛り上がり、ラカトシュのリサーチ・プログラム論などが援用されていたが、このことはむしろ病跡学の「学」としての現状がどのようなものであるかを示唆している。しかし、それでも人が集まるということは、それだけ面白いということでもある。この手の本としては『神経内科医の文学診断』などが有名であるが、本書はオムニバス形式で、また一風違った楽しみ方ができる。十分一読の価値はあるものと思う。

マイケル・マーモット、リチャード・G・ウィルキンソン『社会的健康決定要因 ~健康政策の新たな潮流~』未出版
未出版の邦訳。同著者による『健康格差』などはかなりの話題書になっている。事情により数冊拝借しているため、一部こちらに置いておく。

そのほか、以下の記事に掲載しているテキストも一部置いてある。

法律書

私はこう見えても法律屋の端くれである。自分の名前を冠した「文庫」に法律書が一冊もないのは寂しい。しかし、専門書を残しておいたところで、医学部の学生や先生方の役に立つことは期待できない。そこで、これまでに友人や先輩に読んでもらって好評を得た入門書に限って「文庫」に加えることにした。

南野森編『別冊法学セミナー 法学の世界』日本評論社
「法学」と一口に言っても、その内容は多様である。オムニバス形式で、法律学の色々な分野の先生方が集い、自らの分野に関する初学者向けの論考を寄せている。少しマイナーな本かもしれないが、実はその筋では高く評価されていたようで、昨年、単行本として新版が刊行されている。この手の本は司法試験受験生のための勉強の導入を意図して書かれることが多いが、本書は「法律学」の魅力を伝えることに専念しており、誰が読んでも楽しめる。

吉田利宏『法律を読む技術・学ぶ技術 第2版』ダイヤモンド社
吉田利宏『法律を読むセンスの磨き方・伸ばし方』ダイヤモンド社

自然科学

私も一応は理系分野の実績を買われて大学に受からせて頂いた身の上である。理学書はその性質上、あまり余分なものは買わないし、安易に譲ることもできないが、それでも一部「文庫」に供したものがあるので、簡単に説明を付しておく。

『科学の事典 第3版』岩波書店
百科事典が流行した時代にはこのような本も少なくなかった。大項目式で、関心を持った事柄について調べれば、ある程度の系統だった知識を得ることができる仕様になっている。もちろん流石に記述が古くなっているところは少なくないが、「辞典」ではないから、今でも時には頼りになる。なんでもかんでも扱っているため、とりあえず手元に一冊置いておき、何か関心を持った事柄について簡単に検索・勉強したのち、より適切な文献にあたる、という使い方が良いだろう。

高木貞治『解析概論 改訂第三版』岩波書店
スネデカー、コクラン『統計的方法 原書第六版』岩波書店
自然科学の共通言語として数学の学習は重要である。とはいえ、ここに置いてある本をそのまま読む必要は全くない。いずれも古典の部類である。高木解析概論の三版を持っている現役大学生など、世の中広しといえども、指折り数える程度しかいないのではないだろうか。スネデカー&コクランに至っては猶更である。両著で勤勉に学ぶのも良いが、気が向いたときに参照するに留めて、もう少し最近の教科書を用いて勉強することを薦める(英語を学ぶために佐々木高政や山崎貞の著書を手に取るようなものである)。これはあくまで、「現代の古典」としての価値を重視して、書棚の彩のために並べてみただけのこと。とはいえ、「医学生が学ぶべき数学は解析学と統計学である」という主張には言及しておきたい。たとえば、解析学は生理学、統計学は臨床研究の理解に役立つ。最近の機械学習ブームを踏まえると線形代数も重要かもしれないが…ともかく、余力があれば、理系の一般教養程度の数学は押さえておきたいものである。自戒を込めて。

博物館・美術館の図録

もとより興味の幅が広い人間であり、博物館や美術館の特別展には目がない。これらの展覧会ではしばしば図録が販売されているが、これは単なる作品の写真付き目録ではない。監修者や学芸員さんが心血を注ぎこんで作っているものである。そういう背景事情を知ってしまうと、特に出来が良いものに関しては買わざるを得ない。しかし、なにせ場所をとるのである。そういうわけで、「文庫」に寄贈したものが少なくない。

北斎とジャポニスム至上の印象派展 ビュールレ・コレクション
みんな大好き、印象派の展覧会である。前者はとにかく画が豊富で、影響関係などを端的に指摘する説明文が魅力的である。後者は一枚一枚の画に充実した解説がついている。展覧会の構成も図録の内容も対照的だが、どちらもかなり質の高い部類である。

プラド美術館展
展覧会のひとつひとつの作品のインパクトが強烈で、この迫力を図録の紙面で再現できているか不安であったが、現物を見たところ、全く無用の心配であった。余白を残さない手法で紙上からも鮮烈な印象を受ける。本図録のもう一つの魅力は総論的解説の豊富さである。先の印象派の2つの展覧会ともまた異なる、第三軸の図録である。

生命大躍進 脊椎動物のたどった道
こちらは国立科学博物館の特別展。東京会場でも複数回、さらには岡山会場にも足を延ばした覚えがある。そもそもの展覧会の構成が非常にうまく、体系的な内容でありながら、「眼」の進化などに注目することでメリハリを与えている。この美点は図録にも引き継がれており、あたかも図鑑として使えそうな体系性を維持しつつ、掲載論文の質も高いものになっている。論文部分については英訳も同時販売されており、これも一緒に置いてある。

「大英自然史博物館展」
正直メッセージ性の弱い特別展だったような印象があるが、図録の見かけが格好良すぎたため、つい買ってしまった。ジャケ買いである。そして、内容も決して悪いわけではない。直前まで開催されていた「生命大躍進」と比較するからいけないのである。

「深海 2017 ~最深研究でせまる”生命”と”地球”~」
取り扱っているトピックスの幅が尋常ではなく広い。深海生物から、災害・資源・環境・調査機器まで、よくこれだけ色々な話題をまとめたものだと感心する。「深海」に期待するすべての人に。

「古代アンデス文明展」
これもジャケ買いである。なんだかんだ解説も充実していているのだけれども、なにせアンデス文明であるから、他の話題と関連付けてどうこう理解しようというモチベーションが湧いてこない。しかし、図録なんてものはジャケ買いするくらいで丁度よいのではないか?視覚が満足すればそれでよいではないか。

「人体 神秘への挑戦」
医学生としては外せない特別展であった。まず間違いなく、坂井建雄先生の書かれた本が読みたくなる。

とにかく読みやすい本

ここまで様々な本を紹介してきたが、どれもそれなりにボリュームがあるから、活字慣れしていない人が一気に通読するのは難しいかもしれない。いくつか簡単な読み物も置いてある。読解力向上の第一手は、内容は何でもよいから、とにかく活字を読むことである。個人的には講談社現代新書とちくま新書の乱読を推奨しているが、「文庫」には新書・文庫は置かない方針であるから、以下に紹介するものはすべて単行本である。

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