僕ヤバの市川京太郎に失恋していたという話
この記事は変態記事です。
ご注意ください
単行本発刊前の本編の話を含みます。
藤野個人が思っていることです。
僕ヤバの面白さを損なうという話ではありません。
★ ☆ ★
京ちゃん
性癖にぶっ刺さりすぎる可愛い軍団。
京ちゃんは神。可愛い。
失恋したとか言いながらのっけから性癖全開で何いってんだ?って思ったそこな貴方。
『あー……終わったな。でも好きだな』
これはそういうお話です。
前段
この記事とは全く関係ないので読まなくて大丈夫です。
私は僕ヤバの市川京太郎というキャラクターが大好きで、2019年の夏に出会ってからずーっと追っていました。ほぼ年中無休で。
熱病に浮かされるかの如く、ただひたすら食い入るように京ちゃんの動向や一挙手一投足を食い入るように読み漁っていました。
それこそストーカーまがいに。
もう一巻を読んでからぞっこんでした、二巻では目が離せなくて、三巻で傷つく彼にもうボロボロ泣いたりで、いやホントなんなの?ってぐらい。
もっと見たい、もっと知りたい!
そんな気持ちでずーっと見てました。ホントに、考えない日がないくらい。
あれも可愛いこれも可愛い、こういう時どんな気持ちでどんな表情するんだろ、とか。
僕ヤバは変化を描く話でもあるので、いつかそうなれない日が来るだろう、そう予感しながら。
でも、ずっと先だと思っていました。
毎日毎日悶え狂いながらやってきて、ホントに面白い!ヤバイ!京ちゃん可愛い!ハアハア(*´Д`)ペロペロペロ……。そんなことを考え続ける日々。
この先もこんなこと言ってるんだろうなーって、予感もなんとなく忘れかけていたころ。
それはやってきました。
市川京太郎をロスした日
はい、Karte48です。
市川と山田が心を通じ合わせる日です。
※実際がどうだったかは本編でご確認ください。
本編公開は2020/6/30。
この日はとてつもなくショックを受けてしまい、以後しばらく私は全く筆が進まなくなりました。
Karte36,Karte37の記事を書いていたころですが、全く筆に手が付かない。
何も書けない。あっ、死んだなって思いました。
たぶん、これが最もクリティカルに自分の心情を
吐露した言葉な気がします。
いや、まさか。
本当に美しく、二人心を通わせた、多くの人が感動するであろう場面で、
自分の心が空虚になるなんて全く思っても見なくて本当にびっくりしました。
当時はまったく理由はわからなかったですが、たぶんあの時の自分は、市川の中にあった苦しみが氷解していく未来を確信したんだと思うのです。
私はたぶん、市川の苦しみとそれでもひたむきに山田を愛する姿が好きだったので、それはもうたぶん無いのだろうと思ったのですね。
補足しておきますが、市川自身の苦しみ全てが氷解はしないでしょうし、彼が抱える懊悩のようなものはきっとこの先も生まれては消え、生まれては消えを繰り返していくものと思います。
苦しみが消えればまた新しい苦難や難題が見えてくるのは、人の世の常ですから。
私はこの日、幸福に打ちひしがれるという意味を知りました。
三日ほど飯も喉を通らず、ほぼ死んだような生活をしておりました。
今は元気ですけど、当時は本当に半分死んだような感じでした。
京ちゃんが自分の見えないところに踏み出して、取り残されたような感覚。
告白すらできなかった失恋にも似た、京ちゃんロスを知りました。
ロスして、そして
京ちゃんが行っちゃって、もう死んだような私。
しばらく二人の歩みを受け入れようとして、でもできなくて死屍累々の一人墓地。
でも今は元気にやってます。
じゃあどうして死体の山を踏み越えて、今こうやって僕ヤバの話懲りずに書いてるの?っていうと……。
やっぱり僕ヤバが好きだなって思う場面があったからなんですよね。
例えばKarte50
この回にはね、『シコれない』って単語が出てきたんですよ。
あんだけ綺麗な話をして、ドラマティックに変わって。
でも市川のこういう、山田を性的な目で見てるのは変わらない。
なんていうか、その、変わらない部分を見つけたことにちょっと安心したんですよね。
ぶっちゃけ今ももちろんロスだし本調子じゃないんですけど、こういう変わらない根本を通してなら、少しずつ変わってく二人を見ていけるな、と。
そんな風に思ったんです。
私は泥水に住む魚で、Karte48はこの上なく綺麗な清流には住めないと絶望していました。
こういう性欲を持つ少し汚れた彼らしさに救われたと思っているのです。
下卑た性欲があったとしても、……というよりむしろそれを切り捨てないが故に、心通わせた恋があると言うことが、何より好きなので。
ショックで読むのをやめちゃわなくて本当に良かったな、と思います。
好きの再確認
まあ、そんなわけで。
市川が自分から見えないところに踏み出した事に喪失感を覚えて、でもやっぱり変わらない彼は描かれていて、ちょっと安心して。
それを気付けたのがシコってる市川だったってことに、何か自分の中にも変わらない好きがあったな、って離れた気持ちがゆっくり戻ってきた感じ。
Karte5記事でもシコッて喜んでた。
少しずつだけど、この経験を通しても私はまだちゃんと僕ヤバが好きだし、市川も好きだともう一度知っていくことができました。
あんな風に狂ったような好きに埋没は出来ないけど、きちんと好きでいられるなという実感。
人知れずこの恋にも似た執着は終わったのだけど、前よりも少し離れた場所から見守れるような気がしています。
二人の変化に引っ張られながら、自分の気持ちのありようも変わりながら。
これからもきっと。
まあそんなこんなで
私は今日も元気に市川くんを好きしています。
僕ヤバは最高。
市川くんも最高。
それはきっと変わらない。
そんなことを思った、秋の頃なのでした。
今回は、以上です。
取り止めもない話を読んでくださり、ありがとうございました。心からの謝辞を。
好きなことを好きな時に書く!それがストレスを溜めないライフスタイルなんだよ