Karte48まで読んでの話
Karte48の扉絵
言わずとも伝わること。
伝えたいと口にすること。
はじめに。
今回をもって本編についての話は終わりにしたいと思います。
今までありがとうございました。
特に内容について語ることはありません。
私が一つの節目としてとらえている回であり、この回で感じた大きなものや、今の作品に対するスタンスは下記の記事にまとめています。
もし、気になる方がいらっしゃればこちらをご覧ください。
☆ ネタバレがあります ☆
"僕らはゆっくり歩いた"まで読んで。
伝えたいこと、わかりあっていること。
綺麗な理由は視界の真ん中
改めまして。
今回を持って本編を読み解く形での記事を書くことは終わりにしたいと思います。
理由はいたって簡単で、このKarte48において明確に二人が「わかりあう」という形へ進んでいくだろうと予感したからです。
これまでの『無理解』『わからない』『わかられなくてもいい』そう言った形から徐々に『知りたい』に変わっていった気持ち。
まだまだ自分からの一方通行であった二人のアプローチは
読者側から物語に働きかけて読み解くフェーズでもあったと感じているこれまででしたが、
Karte48では
『わからないよな』→『わかる』
『伝わりそうで』→『伝えられそう』
という形でひとつ、結実したかな、と。
これまでの不可解でわからなかった理由も、お互いが理解し合いたいという気持ちを持ったことで、わからないこと・知らないことを物語から自発的に語り掛けてくるように変わったとはっきりと感じ取りました。
もともと記事を書き始めたのは、市川京太郎と山田杏奈が何をもってその行動をしたのか知りたいからでした。
そういう動機の中で、行動の理由を二人の仕草の中からガサゴソごそりと探し出し理由をこじつけて形にしてきました。
でもわざわざ探しに行かなくても、もう二人の気持ちや理由は痛いくらい伝わってくるようになりました。
そういう流れの中にあって、この記事そのものが蛇足であるように感じるようになった……というのが理由です。
というより正確には、あーだこーだ読み解くよりも
たぶん今は二人の挙動に一喜一憂するのが一番楽しいときだろう
と思うのです。
こういう物語が繰り広げられている以上、私の記事は不要です。
わかり合い、伝えあい、支え合おうという二人の心の動きがあり、これまでの困難を乗り越えてきたしなやかな強さがある以上、ハッピーエンドはもはや疑いようがない、と言うこともあります。
折れそうになっても、きっと大丈夫です。
だから後はもう安心して青春の無謀さや苦さ、酸いも甘いもひっくるめて楽しんでいればいいと思うのです。
以上をもって私はここで筆をおきます。
こんな記事群に価値を見出して読んでくださった方々、本当にありがとうございます。
これからはどうぞ
美味しい珈琲なんかを用意して、部屋の片隅で二人の物語の薫りを楽しみながら、素敵なお時間をお過ごしください。
本当に本当に、ありがとうございました。
最後に
いつでも この気持ち
いつだって、私は二人を応援しています。
伝えられるように、伝わるように。
伝わらないことがあっても、秘密があっても、相手が大切だとわかり合う二人でいられるということを。
今回で、私の報告は終わりです。
また何か別の形で言語化したくなった時には、こっそり戻ってきたいと思います。
それではまたいつか!
好きなことを好きな時に書く!それがストレスを溜めないライフスタイルなんだよ