姉の葬式

 姉の葬式に出なくてはいけなくなった。
 一応着てきた仕事用のスーツ姿で実家近くの駅に辿り着いても、姉が死んだという事実をどう受け止めるべきか、わからなかった。
 両親のメールは、動揺しているのか酷く文章が乱れていた。何故か連名になっていたので、二人で文章は考えたのだと思うが、誤字脱字は言うに及ばず、論旨がよくわからない部分が多々あり、酷く困惑した。
 姉がというよりも、両親が心配になって、会社に有給休暇を申請して、ここにいる。
 駅に到着して、一息入れるために、近くの自販機でコーヒーを買った。苦い液体が身体の中を満たす内に、頭の中で言葉が生まれた。
 俺に、姉なんていなかったぞ。
駅から実家までは、歩いて五分ほどだ。
 自分の中から生まれた言葉を検討するのには、あまりにも短い時間だった。
 それでも、記憶を辿って様々な「家族との思い出」を確かめてみる。
 誕生日パーティー、学校時代の入学式や卒業式、夏休み、家族旅行の思い出等々。
 だが、どれだけ思い出してみても、そこには、自分と両親の三人しかいない。
 そう。俺は一人っ子なのだ。兄弟姉妹なんて存在しない。両親が言うところの「姉」との思い出なんて、どこを探してもなかった。
 今年七十になる両親のことを思う。
 やっぱりボケてしまったのだろうか。
 その懸念があって、俺はあえて両親のメールに反論せず、ここまで来たのではないか。
 実家の玄関前にかけられた忌中札を見ながら、俺は姉なんていないと改めて呟いた。
 姉の葬式には、親戚どころか、隣近所の人まで来ていた。
 皆、遠くからきた俺のことを気遣い、大変だったね、ご愁傷さまと声をかけてくる。
 両親は目を真赤に泣きはらしながら、闘病していた姉の最期や姉を含めた家族との思い出を、実に事細かく語ってきかせた。
 姉の高校や大学時代の同級生だという女性たちも何人か来ていた。久しぶりですと声をかけられたが、誰一人として覚えはなかった。
 葬式は隣近所の人たちの協力もあって、実にスムーズに終わった。
 俺は、仏間にかけられた一度として見たことのない女性の遺影を眺めながら、茫然と坊さんのお経を聞いていた。
 焼香の際、試しに姉さんと言ってみたのだが、やはりシックリ来なかった。

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