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30章 撫子ホームをつくります

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 二ヶ月前に新わくわく片付け講座の受講途中で帰ったさくらから、相談したいことがあるので、来て欲しいと電話があった。           (12章 きっかけは松花堂弁当)

「何でしょうね。ご用件は? と聞いたのですけど、とにかく、来てちょうだいでした。蔵子さんには心当たりがありますか」
「もしかして、老前整理をしようと思ったのかも?」
「それならいいのですけど、メダカに遺産を残す話だったらどうします?」
「メダカは担当しておりませんって、帰りましょう」
 戸田家は豪邸だった。敷地も広く、背の高い樹木が家を取り囲んでいる。
玄関でチャイムを押すと、エプロンをした家政婦が現れた。
革のスリッパを勧められ、応接間に案内された。

まろみは小声で、こんな大きなお屋敷は初めてですね。迷子になりそうと、暖炉のある部屋を見回した。
 ハワイのムームーのような、派手なワンピースを着てさくらが現れた。
「お忙しいところを、ごめんなさいね。先日はお騒がせしてしまって、申し訳なかったわ」
「いえ、お気になさらないでください。ところで、ご相談ということでしたが」
「わたしも『新わくわく片付け講座』を受講して、いろいろ考えさせてもらってね。決心したの」

 さくらの夫は手広く不動産の事業をしていた。夫が亡くなり、会社は譲渡したが、いくつかのマンションは所有している。
そのマンションを、さくらのようなひとり暮らしの女性用の撫子(なでしこ)ホームにしたいということだった。

「老人ホームなんて、いやな名前でしょ。わたしたちの世代は、大和撫子になりなさいと言われた世代だから、撫子ホームにしたの」
蔵子とまろみは、この話はどこへ行くのだろうかと思いながら、話を聞いた。

「妹のかえでは、わたしがケチで、なんでも貯めこんでるとか、あれこれ言いふらしているみたいだけどね。ほんと、うっとおしいったら、ありゃしない。だから、撫子ホームを作ろうと思ったの。わたしもこの家を維持していくのは大変なのよ。お掃除もしないわけにはいかないし、植木屋だのなんだの」

 失礼しますと家政婦が、ワゴンを押してきた。
 ワゴンの上にはお茶の用意がされていた。
家政婦の佳乃がゆっくりと銀のポットから紅茶を注ぐ手の美しさに、まろみは目を奪われていた。
「そこで、蔵子さんにお願いしたいのは、撫子ホームの企画やプロデュースなのよ」
それは、といいかけた蔵子を遮ってさくらは続けた。
「K社のホームページで蔵子さんのプロフィールは拝見しました」
驚きが顔に出た蔵子に、さくらは続けた。
「年寄りだから、パソコンができないって思っていたでしょう。ほら、顔に書いてある」
蔵子は頬が熱くなるのを感じた。

「話を戻すわね。蔵子さんは過去に建築のお仕事もなさっているし、福祉の現場で働いたこともある。その上、『新わくわく片付け講座』で中高年の女性のサポートもしておられるし、企画も的を得て、面白い。これほど、ぴったりの方はないと思ったのよ」
「あ、ありがとうございます。しかし…」
「シカは奈良公園で充分。さあ、佳乃さんがお茶を淹れてくれたから、冷めないうちに召し上がってちょうだい。イチジクのタルトも焼き上がったところよ」

 かえでの話では、さくらはひとり暮らしで、食事はスーパーの総菜をパックのまま食べているとのことだったが、どうやら違うようだ。
 このようなことはよくある話で、人は自分の立場や見かたで話をする。
しかし、それはその人から見た面であって、必ず、違う角度からの別の面が存在する。
 また、自分の都合のよいように脚色する場合もある。 
そして、真実だけがすべてではないから人は生きていける。

 蔵子とまろみは、薫り高いダージリンの紅茶とイチジクのタルトを前に、口元がゆるむのを感じた。

 このように、ゆったりしたティタイムを過ごしたのは、何ヶ月ぶりだろうか。
 ごちそうさまでした。とカップや皿を脇に寄せて、蔵子は座りなおした。
 「そこで、蔵子さん、さっきの続きだけど」
 はい、と蔵子は手帳を開いた。
「撫子ホームの組織は、法人、つまり、株式会社にしようと思っているの」
「あの、わたしにはさっぱりお話が見えないのですが」
「お金持ちの有料老人ホームなら、たくさんあるでしょう。
わたしがつくりたいのは、お金はたくさんあるけど、わたしのように子や孫がいなくて、譲れない人、もしくは、譲りたい家族がいない人。そういう人たちの集う場所というか、生きがいづくりをしたいの」
「生きがいと申しましても…」
「実は計画書を書いてみたので、見てちょうだい」

撫子ホームは老人ホームではなく、住居と隣接して職場を用意する。
各自の資産の一部は専門家に運用を任せる。あとは、株主として、「株式会社撫子」に出資する。
株式会社撫子には、撫子キッチン、撫子チャイルド、撫子ビューティ、撫子カフェ、撫子ケアの五部門を作る。
撫子キッチンは食堂と近所の高齢者へのお弁当の宅配。チャイルドは保育所。
ビューティはエステやヘアメイク、ネイルなどの美容部門、ただしここの利用は五〇歳以上の女性限定。ビューティにはエステ、ヘアやネイルなどの専門学校と提携して学生も実習生として参加する。
撫子カフェは喫茶店で、コーヒーを一杯飲んでもらえば、嫁の愚痴、舅姑の愚痴、介護の愚痴など、愚痴をきいてもらえる。
ここは、相談所でもカウンセリングの場でもなく、ただ、愚痴をこぼす場である。
撫子ホームの入居者であり、出資者は、それぞれ、働く場を選び、体調に合わせて出社する。

もちろん、すべての場に、専門家を配置し、撫子たちはお手伝いである。
料理の得意な者はキッチンへ、子育てなら自信があるという者はチャイルドへ。
美容に興味のある者はビューティーへ。
人の話を聞くなら任せてという撫子はカフェで仕事をする。
撫子ケアは介護事業所である。

地域の高齢者介護を担うとともに、撫子の介護が必要になったときにはサポートをする。
撫子たちの報酬はわずかだが、株主としての配当を受け取る。
 また、ホームであるマンションの一角には、歯科、眼科、内科、整体などの診療所に入居をしてもらい、地域医療と共に、撫子たちの健康管理をする。

 撫子たちは、資産があっても使い途がなく、また、社会に役に立つことをしたいと思っても、年齢を理由に、活動できる場を与えられることは少ない。
 そういう眠っている力と資金を、社会の資産として生かそうという試みである。

 株式会社撫子はNPOでもボランティアでもないので、事業として収益をあげられるように運営していく。もちろん、法律や税金、経営などの専門家も顧問として加わる。
 そして、肝心なのは、入院すれば、気の合った他の撫子が身の回りの世話をする。
 また、寿命を全うし、亡くなった場合に、希望者には“撫子の墓”を用意する。これは共同墓地のようなものである。

 手続きとして、生前に弁護士立会いの上、きちんと遺言書をつくり、延命措置について、葬式はどうするか、誰を呼ぶかまで決めておく。

 もちろん、書き換えは自由である。遺産は、特に指定がなければ、撫子ホームに寄付される。 
 ざっと、このようなことが記されていた。
 
 これは、さくらの夢物語なのだろうか。それとも本気でこの計画を立てたのだろうか。
半信半疑の蔵子を見透かしたように、さくらはにやりと笑った。
「ちゃんと、コンサルタントに相談して、採算がとれる見込みは立っています」
「そうですか。すごいプランですね。ひとつ質問させていただいてよろしいでしょうか」
「どうぞ、なんでも」
「どうして女性のホームなのですか」
「理由は三つあります。第一に、女性のほうが長生きであること。第二に、女性のほうが元気でエネルギーがあること」
確かにそうだと、蔵子はうなずいた。
「第三に、女性のほうが、頭が柔らかく順応性があること」

 おとなしく聞いていたまろみが、下を向いて、女性でも頭の堅い人はいるけどなあ、とつぶやいた。
 さくらは聞き逃さなかった。
「それはそうよ。でもね、まろみさん、資産を持っている男たちの多くは、会社の元社長だ、元なんとかだっていう人が多いでしょ。そういう人たちは、引退しても気持ちは社長や、なんとかのままのお山の大将なのよ。人を動かすことはできても、いまさら自分が若い人の下で働くなんて、とんでもないって思うわよ。それに、仕事ばかりで、家事や育児、親の介護まで妻に任せてきた人に、ゴルフ以外に何ができるっていうの?」
「はあ、そう言われれば、そんな気もしますが」
「そういうこと。それに、今の社会のシステムを作ってきたのは男たちなのだから、自分たちのことは、自分たちで考えればいいのよ」

 お山の大将はここにもいるのじゃないのかと秘かに思っているまろみと違って、蔵子はさくらの書類をゆっくり読み直していた。

「蔵子さん、ゆっくり考えてちょうだいね。具体的な仕事や報酬については、二、三日のうちにパソコンでメールを送りますから。それを見てから、決めてちょうだい」

 戸田邸をあとにした二人は、さくらの毒気にあてられたような気がしていた。
「蔵子さん、どうします?」
「まだ、考えられない」
「そうですよねえ。しかし、スーパーおばあちゃんだ」
「おばあちゃんだなんて言ったら、怒鳴られるわよ」
 ほんとだ、とまろみは首をすくめた。

「しかし、さくらさん確か七六歳でしたよね」
「そのくらいかな。でも、あのプランはすごいわよ。ひとり暮らしで資産をもっていると、詐欺とかいろいろあるから不安を持っている人も多いと思う。それに、ひとりで病気になった時とか、エンディングの問題もカバーされているから安心だし、なにより、人の役に立つという、生きがいになるのが一番よ」
「そうですねえ。しかし、なんとか財団とか、NPOでなくて、やっていけるのでしょうか」
「さくらさんの資産をかなりつぎ込むのでしょう」
「なるほど、でも、資産には限りがあるでしょう」
「たぶんね。だけど、そのあたりもきちんと数字を出しておられるから、話をされたのだと思うわ」

 三日後、さくらからの書類が届いた。
 まろみと二人で目を通して、蔵子は訊いた。
「どう思う?」
「これなら、撫子ホームがオープンするまでは忙しいでしょうけど、あとは、なんとかなりそうですね」
「わたしもそう思う」

「しかし、『新わくわく片付け講座』の時は居眠りして、遺産はメダカに遺すと言ってたのに、こんなことになるとは」
「きっかけになったのかもしれない。これも、老前整理の形のひとつだもの」
「そうですね。無駄じゃあなかったわけか」
「そう考えることにしましょう。ところで、次の講座の案内はできたのかしら」
「あっ、まだです。すぐ、とりかかります」

「あれこれしても、仕事の柱は講座ですからね」
「わかっています。次はどんな人が来るか楽しみですね。メダカの次はなんだろう?」

30章 終

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