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【短編小説】『X WHEEL of FORTUNE 運命の輪』

 

 青年が教えられていた部屋は、個室だった。
 病院の部屋にしては上等の部類なんだろう、きれいで広い。

 所在なさげにそうっと中に踏み込んだ青年は、ハッとして、それから少し困ったような笑顔を浮かべた。

 こっそり花束だけ置いて帰ろうと思っていたのに、部屋の主が目を覚ましたからだ。

「翔、か。久しぶりだな。ようやく、来てくれたんだな」

「うん」
 翔と呼ばれた見舞い客は、視線をあいまいにかわす癖がある。

「冷たいヤツだな、相変わらず」

 青年は慌てて、口を開いた。何を言おうか考えてくれば良かったなと焦る。

「そうかな。ごめん。でも森下がさ、入院してるって聞いたのは、ついこないだだったし。
 本当は、みんなと一緒に来たかったと思ってはいたんだよ。
 あのさ、なかなか都合が合わなくて。・・・あ、この花が可哀想だから花瓶に入れるよ。
 それとも、置いといた方がいいかな?」

「いや。せっかくだから活けてくれよ。空いてる花瓶は、ドア横の洗面の下のところにあると思う」

「豪華だね、洗面とトイレまで付いている個室なんだね」

 背中を向けると、少しほっとした。

「まぁね、ありがたいよ。それより、悪いな、花」

「あ、ううん、どういたしまして」

 洗面台へ向かいながらも、自分の背中に森下隼人の視線を感じた。洗面台のそばに花を活けておいて、そのまま帰りたいくらいの気持ちになる。


 隼人と一対一で会うことは、実は避けたかった、と翔は思う。
 数人の見舞客に紛れていれば、”普通”の友人関係と見えただろうし、隼人の瞳の力に怯えるようなことも、しなくても済む。半径1メートル以上の間合いを保てば。
 だが、隼人と自分とのいきさつを知っている柳田が、変に気を回しそうで嫌だった。

 過去は、過去だ。
 隼人が僕を、欲しがるはずなどない。
 もう、ちゃんと奥さんと子供までいるんだ。
 いや、自分は、逆のこともまた恐れているのかもしれない。
 彼の心に、もう過去もなく、自分の存在もないことを。

 洗面台がもう少し広ければ、花瓶を置けたかもしれない。だが、看護婦さんや家族の置いたものを動かしてはならないと思い、ベッドの方に振り返り、どこに置く?という顔で隼人を見た。

「サンキュー。花はそこのテーブル。お前はここに座ってくれよ」
 ベッドそばの椅子を示した。

「なんか、座っちゃっていいのかな。長居してはいけないらしいから、あのさ、お見舞いに慣れていなくてごめん、一応ネットで、マナーとか調べてきたんだけど、」 

「少しくらい、愛想の良さを示して帰れよ。ちょうど退屈していたんだ。
 手術は終わって、経過も良好。で、あとちょっとで退院なんだぜ」

「そうなんだ、良かったね。早くそれを聞きたかったよ、」

 隼人の上機嫌さに、ようやく心から安堵のため息が出る。
 自分の心の中の小さなちくんとした棘なんか、もうどうでもいいくらいの明るい陽射し、明るい日常。

 これでいいんだ。僕らはただ、高校の同級生だっただけだ。

「本当に良かったね、ご家族の皆さまも安心したよね、良かった」

「いや、良くはない。お前のお見舞いがもうちょっと遅くなってたら、会えなかったろうが。
 無駄足をさせるところだった(笑)」

「あはは、そうか(笑)。
 でも、そういう行き違いなら、良いニュースだから笑って帰るけどね、お花は持って帰って自分のところに飾るし。別のお見舞いを送ることにするよ。
 あ、もしも、そんなすぐに退院ならいっそ、花は邪魔?持って帰ろうか?(笑)」

 こんな風に話せてよかった。様々な行き違いもあったけど、いつか昇華されて、こうやって普通に昔ながらの友人として、話が出来る時がきたんだ。


「今は、翔はなにしてるんだ? なかなか連絡が取れないって、みんな心配していたんだぜ」

「そうだね、ちょこっとバイトしてたんだけど。
 今は、・・・無職。画家の友人のアパートに住まわせてもらってる」

「・・・困っているのか?」

「ま、いつものことだけど。書いてもさ、僕のはお金にならないみたいだから。
 先日、TVで見たんだけど、ホームレスの人がさ、なにかペーパーブックをもらってきて売ったらパン代になるんだそうだ。だから、その、」

「その真似をするって?
 やめとけよ・・・安売りするなよ」

「あ、ありがと。でもさ、書くことのリハビリにもなるしね、ちょっと考えてるんだ」

「その友人って恋人か?」

 ”恋人か?”という言葉にどきっとしたが、隼人の口調は以前のと全然、違う。

 翔の心の中で、安堵と落胆が交錯しかけるが、さりげなく答えた。

「あ、いや、違う、違うよ。一度、僕の小説を気に入ってくれて、それから仲良くなった人だよ。
 絵のポージングをね、あ、人体模型よりいいだろうということでたまに、モデルのバイトをさせてくれてるんだ」

 ちょっと話を端折ったかもしれないが、この明るい陽射しの中の、この日常の中では、それが正解な、気がする。

「妬けるな、」
 低い隼人の声。

「いや、だから、そんなんじゃないって、」
 もう少し上手い説明を考えようとしていたのに、病人にあるまじき力でぐいっと腕を引かれた。

「!・・・何を、
 ていうか、だ、大丈夫なの?
 どこか、い、痛くないの?」

 翔は、抵抗できなかった。手を振りほどいたら、隼人のどこかに悪い影響が出るかと一瞬、躊躇してしまった。
 病人だと完全に油断していたところ、ではある。
 そうだ、隼人は僕よりも圧倒的に強くて、気持ちも強くて、僕はいつも・・・。
 こうやって抱きすくめられて、それから隼人に押し切られる。

「いつまで表面的な言葉と、愛想の良い顔をしてんだ?」

「そ、そんなこと、言わないでよ。もう、昔のことじゃないか」

 隼人の指が翔の頭を撫で、頬を撫で、首を撫でる。

「や、やめてよ。誰か来たらどうするのさ、」

「しばらく誰も来ないんだな、これが。それよりお前、相変わらずきれいな肌だな。・・・少しは世間ずれしてやつれているかと思ったのに」

 顎に手をかけてくるのを、首を振って払おうとする。
 隼人が喉の奥で笑った。

「な、何がおかしいのさ。具合を悪くさせちゃいけないと思って、、。
 こっちは、すごく心配しているのに」

「心配してくれていたのか?」

「もちろんだよ、」

「俺が死ぬかどうか、確かめにきたのかと思ったが、な」

「そんなこと、言わないでよ!・・・・!」

 言い返して睨み返そうとして、視線がまともにぶつかった。

 隼人の唇が自分の唇に落ちてくる、身体を引こうとしたが、隼人の力は強かった。

 そこからは、無言で伝わる。
 隼人の導きに自分が応じていく。
 隼人の舌が自分の唇をこじ開けて、自分の中を探りにかかる。
 僕は、隼人を愛していない、のに。
 隼人だけじゃない、僕は、誰も愛せていないのに。
 キスだって、気持ち悪い、ことのはずなのに。

 隼人が自分の中の小さな欲望をかきたてる。探し当て、掘り起こし、引きずりだす。
 その欲望が膨れ上がり、今度は、それが僕の本体の方を引きずり始めるんだ。
 僕の唇が、僕の身体が、隼人の欲望のありかを探そうとする。

 それを知っているから、逃げたかったのに。会いたくなかったのに。

 柳田のヤツ、嘘ばっかり。
『お前、会わないと、見舞いに行かないと、一生後悔するぜ』
 とか言いやがって。


 何回かの口づけの後、ようやく身体を離した。

「名残惜しいけど、場所が場所だからな、」

「だから、最初からそう言っているじゃないか、」

 うつむいたまま、翔は返事をする。何を言っても隼人に見抜かれている気がする。

 自分の身体の反応、心の反応。泣きそうなくらいの矛盾さえ、、。

「翔、相変わらず素直なんだな。嬉しいよ。
 こんな世の中でお前だけ、心もきれいなままで、さ。
 ちょっと心配してたんだ、本当は世間ずれもして欲しくはなかったから」

「買いかぶらないでよね、ただの変わってるねって子供が、変なおっさんになっただけじゃないか」

「お前が本当におっさん化するまで見届けられないかも、だけどな、俺は」

「え・・・?」

「いや~、そんな顔してくれるなって、」

「どっちなんだよ、大丈夫なんだろう?」

「人間はいつか、死ぬさ」

「・・・・。」

「混乱させて、悪いな。とりあえず、退院したら、そのうち会いに行く」

「ええ、あのさ、今は僕は居候だよ? それにそろそろどこか見つけてその家、出て行こうかなって思ってる」

「ああ、じゃぁ、俺が用意しようか、部屋を。
 どこか、空気のきれいな所で、一緒にさ」

「バカ言わないでよ、家族の元に帰りなよ」

「ホスピス代わりだよ、ああ、でも俺がやつれて死にかけたら、翔は逃げるかもな」

「当たり前だよ、僕、病人の世話なんてしたこと、ないんだよ?
 それにさ、前も隼人に言ったよね?、ごめん、だけどさ」

「わかってる。お前は俺を愛していない、ってな。だが、死んじまう前に、本当にお前とつきあいたい。
 今も誰もいないんならさ、お前さ・・・。
 俺の手に落ちてくれよ、」

「い・や・だ。
 変なことを言わないでよ、」

 冗談めかして返事をするのが、翔には精いっぱいだった。
 最後のフレーズは、忘れたことはなかった。


 桜の花びら、秋の枯れ葉、それがいっぱい風に吹かれて舞う頃に、僕たちはまだまだ本当に子供で、学校帰りに良くころころと遊んでいた。なんの物思いもなくて、ただ楽な日々で。ただ仲良しで。
 地面に落ちるまで、手のひらに載せられるかどうか、掴めるかどうかの遊びを。

 そんな遊びもいつしか忘れた僕たちは、同じ遊びをしている小学生を見ていたんだ。同じように懐かしがって、ただ眺めていると思っていたのに。
 風に吹かれて舞っていて、虚しく落ちて、誰かに踏まれる前にさ、と隼人が言ったのだ。

 お前、俺の手に落ちてくれよ、と。
 いつお前は気づいてくれるんだよ、と。


 忘れたことはなかった。
 ずっと。
 キスも、どうやら忘れたことはなかった、ようだ。

 だが、僕は哀しいかな、本当に隼人を愛していない、と思うんだけど。

 あの頃のように、そんなに僕を愛してくれていたとしても、僕は。

 だから、隼人の方が、もしも地面に落ちてむなしくなるのを、ちゃんと泣いて惜しむくらい、隼人のことを好きになってくれる誰かの登場を、僕はずっと待っていたんだ。

「そんなに俺、変なことを言っているかな」

「うん、変なこと、だよ」

「退院したら、会いにいくから」

「わかった」

「こんなとこじゃなくて、もっとちゃんと翔を、」

「やめてよ、」

「食い気味に遮るなよ、」

「さっきから、変なこと言うからだよ」

「わかった。とにかく翔に心配かけないように、普通の森下君になって、常識的に振る舞えばいいか?
 友達なんだからさ、また、あそこの牡蠣味噌バターラーメン、食おうぜ、おごるからさ」

「うん、ありがと、楽しみにしてる」

 自分の好物を覚えてくれている隼人に最大限の笑顔を見せて、翔は部屋を出た。

 隼人が、本当に元気で退院して来たら。
 本気であのラーメン屋に行こうと連絡が来たら。

 ちゃんと待ち合わせて、フォローの体制を整えてから言えばいいや、と翔は考えている。

 ごめんね、隼人。
 あのお店は、この間潰れちまった、んだって。
 店の親父さんのせいじゃないんだけど。いろいろあったんだ。

 がっかりするだろうけど。時は過ぎていくんだって。

 君だって、僕だって。他のものだって。

 風に吹かれて、地面に落ちていく運命なんだってさ。
 もう最初から決められていたことなんだから。


 柳田のヤツめ。
 死ねなくなっちゃったじゃないか、僕。
 せっかくだから予定を延期して、お見舞いにいったのに。

 もうとっくに地面に落ちて、木の肥やしになっていこうとしてたとこなのに。

 隼人。
 あとちょっと、風に吹かれるままに、僕たち過ごしてみようか。

 もう僕には、望みなんて大してないから、君の望みを、、、、。

 ごめん、やっぱり、逃げたい気がする(笑)。

 病院の外の空気はすっかり冷えていた。
 だが、オレンジ色の黄昏から紺色に変わりかけている空に、隼人の一番好きだと言っていた2日目の月が薄く白く出ているのを、翔は微笑みながら眺めた。

(了)
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『X WHEEL of FORTUNE 運命の輪』の意味、大まかなものを挙げておきます(様々な解説書から拝借しております)。

 {心を開く}、{運勢を好転させたい}、{タイミングが合わない}、{すれ違いになる}、{物事が停滞すると、気持ちが沈む}


ここにいらしてくれて、ありがとうございます。 『誰かの心に届くような言葉や記事が書けますように』 それが願いです。 まだまだ模索中です。 色々とやりたいのですが、時間もお金も足りません。 仕事に追われていますが、たまに書きにきます。 正直だけが取り柄です。頑張ります!