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10年間、誰にも見せずに絵を描いてきた人間が、NFTアートの世界に”今”飛び込んだ理由とNFTの可能性【Open Sea】

皆さん、初めまして。クラカノコ/KURAKANOCOと申します。

早速ですが、この度、NFTアートの世界に参入した経緯と個人的見解や思いを書き綴ってみましたので、読んでいただけると嬉しいです。


私は、10年ほど前からデジタルで絵を描いてきました。

誰にも見せる事なく、ひっそりと。

私にとって絵を描くことは、唯一の”自分の世界”そのものでした。

初めてペンタブを手にしてから約10年、Windows、Mac、iPad…ハードは違えど、いつも画面の向こうに私の作品達はありました。誰にも見せるとこのない絵は、今下書きだけで1000枚以上…とにかく私はデジタルイラストを描くのが大好きでした。

ところで、皆さんは、何か作った時SNSにアップしたことはありますか?

私もデジタルイラストを描く端くれとして、一度だけSNSに挑戦してみたことがあります。が、すぐに絵をアップするのをやめてしまいました。理由は分かっています。SNSに絵をアップするのに違和感があったから。

それは、SNSをはじめてすぐに気がつきました。共有する喜びより、喪失感が上回るのです。皆がSNSで情報共有し、日々たくさんのイラストや作品がインターネット上にアップされます。
それが、当たり前だと思ってました。私も、そうしなければ、こんなにたくさんの絵を描いたって、何者にもなれないのだと。絵を見てもらえる方法はこれしかないのだと。でもいざやってみると、辛かった。1ヶ月と持たず、更新停止。クリエイター側に回るのは、こんな気分なのかと。私は絵を描いて生計を立てるのは向いていないのだと、はっきり思い知らされました。

きっと私は、自分の絵に執着しているのです。

それでも、私の描いたこの絵を共有したいし、皆で盛り上がりたいし、面白い企画をやって、コミュニティを、日本を、世界を巻き込んでみたい。それは、”自分の絵をSNSという巨大なインターネットの海に投げ入れ、行方不明になる”ことを通過儀礼のように受け入れ、権利を少し蔑ろにされながらでしか到達できないもの、でした。多くのデジタルクリエイターがぶつかる壁を目の当たりにして、”私には、その覚悟と潔さがなかった。”と実感しました。

SNSから離れ、それでも完成させることの出来ない下書きばかりが溜まっていく日々。

そんな中…数日前のことです、”NFT”に出会いました。

きっかけは、カズシフジイさんのTwitterでした。コラージュがとても美しく魅力的で、ホームにあった購入サイトを興味本位で覗くと、初めて見る海外のサイト。買い方も販売する媒体もよく分からなくて、一体これは、この作品の何を売っているのだろうか…?と。疑問だらけ。

そこで初めてNFTを知りました。

まるで、世界の色が全て反転してしまったかのような、それでいて当たり前にずっとあったような、そんな不可思議な気分になったのを覚えています。簡単に言うと、目から鱗というやつです。

私は、これだ、と思いました。
これこそが私が絵を描いてきた意味なのだとさえ思えました。ちょっと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、孤独に誰にも見せることなく絵を描き続けてきた10年分が救われた気持ちになったのを、私は一生忘れないと思います。

”自分の絵をSNSという巨大なインターネットの海に投げ入れ、行方不明になる”ことでしか達成されないものが、巨大なインターネットの海に投げ入れても、私が発行した本物のデータはGPSでもついているかのように、いつどこで、誰に愛されてきたのかがわかる。

クリエイターとして、こんなに嬉しいことが、デジタルの世界で起こり得るのか。

画面の向こう、皆が自由に見ることができるのに、巨大な仮想空間で絵が迷子になることなく本物としてあり続ける…
絵を描く事で創り上げた、わたしの世界を好きだと言ってくれる様々な人とコンテンツとして盛り上げ、本物として作り上げて行くことが出来る可能性を秘めているのです。

そこに喪失感はなく、作品を手放す親心のような少しの寂しさと、ずっと見守れる喜びなのではないでしょうか。

ようやく、私の前に美術館が舞い降りて来て、絵を展示できる瞬間に立ち会える、そう確信しています。

そこから猛スピードで情報収集。イケハヤさんのYouTubeTwitterにはかなーりお世話になりました。

そしてNFTを知っていけば知っていくほど、様々なNFTのクリエイターさんの面白い企画や、コミュニティ、コラボレーションなどファンの皆さんが楽しめるものばかりで発展途上のNFTと試行錯誤し共存しているのが、すごくワクワクして好きだなぁ…と思っているのです。

そもそも”NFT”そのものが、わたしたち人間には、まだまだ難しいのかもしれません。賛否両論、新しいものは正しさが分からないし、怖い。法整備や様々な権利関係、仮想通貨による決済、現実世界との感覚の違いや価値の是非、など挙げるとキリがないのですが…。

それでも、私は今、飛び込むべきだと思いました。

理由はただひとつ。
もしも私が今死んでもNFT化された絵達は、残り続けます。そして、絵の一枚一枚を、誰がいちばん最初に見つけてくれて、そして今、どういう巡り合わせで、誰が持っているのかが一目で分かるのです。歴史を絵そのものと同時に刻んでくれている。本物であるという保証を携えて。

NFTはデジタルアーティストを守る、最強の仕組みなのだと思いました。

そして、コピーし放題のデジタルアートでも、ちゃんと食べていけると証明したい。ここ、とっても大事ですが、お金の話は…ここでは無粋なので、また後日。

私は、現実世界にある”筆の質感や絵の具の凹凸荒々しさと繊細さが残るからこその美しさ”、デジタルや仮想空間にある筆の質感がないからこその美しさ、どちらも”本物のアート”だと思っています。

なので、私は飛び込みます。

仮想世界の美術館に。

そして、私の絵を少しでも気に入ってくれて、あわよくば、あなたと私を同じ絵で繋がることができるオーナーさまになってくれたら嬉しいです。あわよくば、ですが。


最後に…
ここまで読んで頂きありがとうございます。

NFTアートの世界はまだまだ発展途上中だと思います。
ここに書かれている事はあくまで私個人のNFTの感想であり、事実と異なる場合がございます。この文章も一年後には解釈が古くなっている可能性もあります。それは私にも分かりません。多分、誰にも。なので、ここに書いてある事について、一切責任は取れませんのでご了承ください。私もまだまだ勉強中です。

この文章や私の絵で興味を持っていただけた方は、NFTについてたくさん調べて欲しいのです。多分、いっぱい出てきます。賛否両論、どちらが正しいのか、正直わかりません。それでも、私はNFTという存在がとても嬉しかったのです。

この文章は、ひっそりと絵を描いてきた私が、何故NFTをやろうと思ったのか、その想いを伝えたかっただけ…いわば、殴り書きなので、結構噛み砕いていたり、まわりくどい文章になっていると思いますが、ご容赦ください。

そんな文章をここまで読んでくれて、ありがとうございます。
それでは、次は絵で繋がれる事を願って。





2021.11.01 クラカノコ/KURAKANOCO


◁上記でご紹介させていただいたクリエイターさまのコレクション(五十音順)▷

CryptoNinja NFT:https://t.co/d50MqNYSUf?amp=1

School girl collage:https://t.co/Uqg7ZojAQ6?amp=1

他にもたくさんのクリエイターさんがNFTアートに参入しているので調べてみてください!

私のコレクションはこちらから▷https://opensea.io/collection/petanco-creatures

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