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読書備忘録

今年に入ってからこの人の本ばかり読んでいる『白石一文』
作風のせいかみんな同じ話に感じてきている、面白いんですけどね。
でも続けて同じ作家ばかり読むのはイマイチですね
そういえば若い頃も一度ハマると同じ人ばかり読んでいた
面白いけど惰性で読むみたいな
ただ吉行淳之介さんだけは飽きなかったなぁ~
今はそうゆう人はいないけど、それは此方が年をとったからなのか、、、

1️⃣

投身(白石 一文)

この人の書く女性は本当に面白いやや中性的で男っぽい女性に感じますが

ついつい読み勧めてしまいます

下記すべてコピペです

担当編集者より

人はどう生きるべきか。
 古来、あらゆる物語の主たるテーマは、この一点に最終的には集約されるといっても良いかもしれません。
 この世界はどんな成り立ちをし、どんな形をしているのか。そのなかで人はどう振舞うべきなのか。
 私たちの生きる世界と私たちの人生の関係を、フィクションというフィルターを通して見つめることで浮き彫りになる真実がある。小説が持つこのプリミティブな性質を、デビュー以来、最も深く考え、物語のなかで表現し続けている作家のひとりが白石一文さんではないでしょうか。
 そんな白石さんが本作で問うたのは、人間にとっての「最高の人生」とはなんだろうか、ということです。富か? 名声か? あるいは……。
 その研ぎ澄まされた思索は、熟練の筆で紡がれた物語を通して私たちの常識をいとも簡単に揺るがします。極上の筆致とともに、小説本来の妙味を味わってください。

作者の言葉

ここ数年、千枚(四百字詰め原稿用紙)を超える長編を三作、立て続けに書き、短いものは一本も書かなかった。

私は長編好きで、短編は気が乗らない。それはデビュー当時からなのだが、四半世紀も書いているうちに中編もだんだん億劫になってきた。私にとっての中編とは二百枚から五百枚程度の作品である。

ただ、一方で長いものを書き重ねることで、ほんとうはこの中編サイズの小説において、これまでの鍛錬の成果が最もよく現われるのではないか、という思いはあった。

というわけで、今回挑戦したのが本作「投身」である。

内容について作者があれこれ評するのは慎むが、現在持っている小説技術を可能な限り注ぎ込み、複雑で重層的な構成と内実をはらむ作品に仕上げてある。

小説読みの人は、ある意味、自分の読みの力がどの程度に達しているかをこういう作品で占ってみるといい。例によって非常に読みやすくさらさらと読めるだろうが、しかし、深く読めば幾つもの箇所で渋滞、ひっかかりを感ずるだろう。あっと言う間に読み通した人は、もう一度読み直すことをお勧めする。

最初とはまるで異なった読後感を得られるはずだ。

全編にわたって作者の神経を張り巡らし、随所に細かい仕掛けを施しておいた。自分というかけがえのない人生について、普段とは異なる視点で見つめ直すことができるように計らっている。なんとなれば、それが小説の大切な役割でもあるからだ。

以上コピペでした。

2️⃣

一億円のさようなら 白石一文著

500ページを超える長い小説ですが大変面白かったです

これからという所で話が切り替わり又始まる感じが白石さんらしいなぁ~

舞台は個人的に馴染みがある金沢も出てきて町並みが思い浮かべて懐かしかったです

まぁ~所詮女性には敵わないなと改めて実感及び恐怖を感じましたね、ああ恐ろしいや。。。

以下各サイトの書評のコピペです

コピペはじまり

[レビュアー] 池上冬樹(文芸評論家)

◆絶望から出発 新たに生きる

白石一文は抜群のストーリーテラーであり、今回も読み始めたらやめられない。読者に提示する情報の順序を考えぬき、一つ一つの意外な出来事を事件のように作り上げていくからだ。それが物語の駆動力となり、緊張感を高めて最後まで引っ張っていく。

加能鉄平は長年勤めた医療機器の会社をリストラされ、家族と共に福岡にやってきた。父方の祖父が起こした加能産業に拾われ、将来を期待されたものの後継者の従兄弟(いとこ)に冷遇される。五十二歳になり、長女が長崎の看護学校、長男が鹿児島の歯科大学に入り、パートの妻夏代とまだまだ働かなければならなかった。

そんなとき鉄平は驚きの事実を知る。三十年前、夏代は伯母の巨額の遺産を相続して手つかずのまま残していた。結婚生活二十年、金がないゆえに母や子に辛(つら)い思いをさせてきたのに、なぜ妻は遺産の話を隠していたのか。

遺産の発覚と内実も興味をひくが、それと同じくらいに妻と子供たちの秘密も衝撃的で、鉄平は激しく動揺する。会社内での政治的対立、一族の葛藤なども表面化して、鉄平は不信感を強め、福岡から遠ざかる決意を固める。

白石一文の小説なので、ここでも生きるとは何かが問われる。白石一文というとスピリチュアルな題材が目立つが、本書では全くなく、経済小説的な側面(いかにして未知の金沢で飲食店を成功に導くのか)を詳(つまび)らかにしながら、人との出会いの不思議さ、絶望から出発する新たな生の選択をしかと捉えていく。

物語的には、人物に遺産というアドバンテージがあり、読者としては難問を解決する切り札として機能するのではないかと考えてしまうが、作者は、人生がもつ皮肉で残酷で不可思議な要素に変えて、様々な局面の人生考察のひとつの手段にしている。金銭よりも自分の心の奥底にある思いや欲望に忠実であること、それこそが生きる原動力になる真実を静かに打ち出す。幕切れがやや好都合すぎるが、それでも五百四十一ページ、一気読みの面白さに満ちている。

直木賞作家の白石一文氏をして「これで直木賞を取りたかった」と言わしめた自信作が、本書『一億円のさようなら』(徳間書店)である。氏の作品をほとんど読んできた評者も、氏の最高傑作、極上のエンタテインメントが誕生したと祝福したい気分だ。

長年連れ添った妻には秘密があり、とてつもない資産をもっていることが分かった。妻は夫に一億円を渡し、自由に使ってもいいと言う。もし、あなたならどうする?

主人公の加能鉄平は九州・博多の中堅化学メーカーの本部長だ。創業者一族とは言え、従兄弟の社長からうとまれ、本流の事業部長から3人しかいない職場に飛ばされたのだった。県外の学校に通う息子と娘にも疎外され、妻にも秘密が。四面楚歌に陥った鉄平は妻から渡された一億円を手に、わずかな縁を頼りに北陸・金沢へ移り住む。もちろん妻とは離婚する覚悟の単独行動だ。

鉄平は冬の金沢で生まれ変わったようにいきいきと行動を開始する。繁華街の香林坊に1LDKのマンションを借りる。中古のベンツCクラスを買う。金沢でのひとり暮らしに少しずつ彩りが加わる。食べものの記述も豊富だ。いきつけの小料理屋では「手取川の大吟醸を二合と、ブリの叩き、がすえびの唐揚げ、白子のバター焼き」を注文する。

たまたま知り合った若者たちと金沢名物だった持ち帰り寿司の店を始め、これが大成功し、2号店を出す勢いに。地元の人たちとの人間関係も充実する。ところが、どこか店の経営に本気になれない自分がいた。そんな折、博多の古巣の会社から使者がやってきて......。

物語は思わぬ展開を見せ、登場人物たちも一筋縄ではいかない強者ぞろいだ。そして白石作品には欠かせない男女の濃密なかかわりも。541ページの大著だが、あまりの面白さに一気に読まされた。

会社からはリストラされ、家族からも遠ざけられた五十男に突然舞い込んだ一億円。見知らぬ土地での第二の人生はバラ色。言ってみれば、これは男の夢物語だ。ネタバレになるのでこれ以上は書けないが、この物語にはさらに裏があった。

ともかく、金沢の描写が読み応えある。こんな街でこんな風に暮らしてみたい......。吉田健一の名作『金沢』は、東京で事業をする男が金沢にも一軒家を借り、ときに訪れて......という幻想的な作品だが、本書はすべてがくっきり明瞭に描かれたエンタテインメントだ。多くの文学作品の舞台となっている金沢に、また新しい魅力的な作品が加わった。

人生の黄昏が見え始めた、多くの五十男の夢と願望が凝縮された本だ。

2018年に刊行され、「これで直木賞を取りたかった。ぼくは、この作品にまるまる2年間費やした。もうこれ以上おもしろい物語は書けないかもしれない」と言わしめた作品。

妻は48億円の遺産を隠していた

博多の中堅化学メーカーに勤める加能鉄平は、ある日、妻夏代の秘密を知る。30年前、夏代は伯母の巨額の遺産を相続、それは今日まで手つかずのまま銀行にあるというのだ。その額、48億円。結婚して20年。なぜ妻はひた隠しにしていたのか。

日常が静かに狂いだす。 続々と明らかになる家族のヒミツ。 爆発事故に端を発する社内抗争...。 妻は夫に一億円を渡し、自由に使ってもいいと言う。誰も信じられなくなった鉄平は、人生を取り戻すための大きな決断をする。

金沢で新しい人生を始める

鉄平はなんの縁もない北陸・金沢で一人暮らしを始める。地元の人たちとの出会いから新しい事業が軌道に乗る。金沢の街と地元の食材を生かした食べ物が魅力的に描かれる。人生の黄昏が見え始めた、多くの五十男の夢と願望が凝縮されたような作品だ。

本書を原作にしたドラマ「一億円のさようなら」が、NHKBSプレミアムで9月27日からスタートする。連続8回で、上川隆也、松村北斗(SixTONES)、森田望智、安田成美ほかの出演。ドラマでは主人公は故郷へ帰るという設定のようだ。

以上コピペ終わり

3️⃣

道 (小学館文庫 し 12-2)

白石 一文

日常、街角の情景描写が少し多いですが面白かった 「一億円のさようなら」読了ご続けて読んだので女性たちの描写に少し似通った性格に頭が追い付いて行けなかったけれど此方も魅力的な女性たちでした。 物語は少し奇抜で複雑だけどまぁ~タイムリープものですね、この本も500ページ超えの長編ですが一気に読めます

下記は刊行記念インタビューのコピペです

何年も醸成したものがつながった『道』

もう一度、あの瞬間からすべて、やり直せたら。歳を重ねれば誰もが抱く思いを、『道』の主人公・功一郎は、50代の半ばを過ぎて実行する。

本作は人生の仕切り直しを試み、遭遇する事態に心をかき乱される男の心象を、丹念に描出した長編だ。功一郎が人生をやり直すとき、鍵になるのは、ロシア出身の画家ニコラ・ド・スタールの絵画作品『道』。キャンバスの真ん中に描かれている白い三角形が、遠くへ延びる道に見えてくる、不思議な抽象画だ。物語の構想は、この実在する絵から想起されたという。

「小説を書くときは、過去に書き留めていたメモの束から、熟れ時のタイミングを見計らい、1枚抜いて構想を練っていきます。今回は『人生をやり直せたら』という大枠のテーマを取り出し、何か掛け合わせるものはないだろうかと考えていました。

そこでスタールの絵を思いついたのです。

スタールを知ったのは、10年ほど前でしょうか。テレビ東京の『美の巨人たち』という番組で紹介されていて、印象に残りました。僕はパブロ・ピカソが世界一優れた画家だと思っているのですが、スタールの才能は、ピカソを超えていた気がします。残念ながらスタールは41歳の若さで夭逝します。短い活動期間でしたけれど、ピカソの円熟期と重なっているんですね。勝手な想像になりますが、ピカソは少しだけ安心したんじゃないかしら。スタールが自分を超える才能かもしれないと、気づいてたはずです。

番組をきっかけにスタールに魅了された僕は、日本で開催された個展の図録を取り寄せ、何度も見返していました。いつか小説に書いてみたいと思いながら……」

小説の構想中に図録をめくるなか、ある作品に目が留まった。気になったのは2作。そのうち、すっと胸に入ってきたのは『道』だったという。

「絵としては、もう1作の方がいいんだけど、『道』は何ていうか本当に天才的なんです。あれは誰にも描けない。具象と抽象の境目を超えています。この1点だけでも、間違いなくピカソに肉薄しています。

メモの束とスタールの絵、何年も前から醸成してきたもの同士がつながり、『道』という小説を書こうと決めました」

このタイトルは、過去に自身が読んだ、名作短編に感じた気持ちも重ねている。

「高校時代に、三浦哲郎さんの芥川賞受賞作『忍ぶ川』を読みました。大人の恋愛の話で、映画化作品がとても評判良かったんですね。童貞ボーイだった僕は、どんな凄い恋愛が描かれているのかと期待して読みだしたのですが、ひどくがっかりしました。つまらないのではなく、『忍ぶ川』って、主人公たちが出会う小料理屋の店名なんですね。物語を象徴する、重い意味を含んだタイトルかと思えば、ただのお店の名前か! と。あのときの僕の落胆を、今回の『道』の読者にも共有してもらえたらと考えました。

悪い意図ではありません。がっかりした気持ちをずっと記憶しているのは、何かの意味があるはず。フォローするわけではないですが『忍ぶ川』は本当に優れた作品ですし、実際に高校時代からずっと覚えています。

凄いとか素晴らしいじゃなくても、心に永く影響する何かを読者の方に届けたいという思いで、このタイトルに決めました」

時空を飛び越える現象はあり得なくもない

どのような仕組みかは不明だが、『道』の絵の前に立った者の身には、功一郎が「あれ」と呼ぶ現象が起き、願った過去の時間に遡ることができる。

かつて高校受験で「あれ」を経験した功一郎は、再び時間遡行に臨んだ。2年半前に事故で亡くした娘・美雨、娘の死以降、心を深く病んでしまった妻の渚を快復させ、渚のケアのために負担をかけている妹の碧を解放するのが目的だった。

人生2度目の「あれ」にも、功一郎は成功する。いったんは大切な家族を取り戻したが、思いがけない問題に直面してしまう。

「渚と碧の関係や、美雨の新事実などは、物語を面白く読んでもらうために手をかけた部分です。七面倒くさい設定でも、まずエンターテインメントであることを第一にしています。一方で、面白いだけじゃなく、僕が持っている世界の認識を小説で表現したいと思いました。

ジャンルで分けると『道』はタイムリープもので、荒唐無稽かもしれない。でも人が時空を飛び越えるのってあり得なくもないでしょう? と考えています。時間って、ほとんどの人は過去から現在、現在から未来へと、飛び石が移るようにイメージしていますが、実はそんな正しい規則性はない。時間から時間へ移動する中間点はとてもぼんやりした、曖昧なものなんです」

白石一文さん

数学や物理学の世界では、更新されていく「いま」を、厳密な意味において正確に予測することはできないという。

「多少の予測はできるかもしれませんが、たまたま次に現れる『いま』は、無限の数の『いま』のひとつでしかない。幸せか不幸せかは、関係ありません。

だから、人生のやり直しには意味がないんです。やり直せたとして、『道』の先が願い通りの人生である保証はないですし、別の辛い事態が起きることもあります。

結局のところ、喪失がすべて満たされるようなやり直しは不可能でしょう。微細なズレを含んだ『道』の反復を無数に繰り返すだけ。功一郎は目先の望みは叶えられたかもしれませんが、やり直しの無為に気づき、時間の隙間で途方に暮れていると思います」

世のなかは、わからないことだらけになっている

物理など理系書を大量に読み、さまざまな思索を重ね、白石は60代半ばを迎えようとしている。この10年ほどの間には、『神秘』『ファウンテンブルーの魔人たち』など、超常的な世界をとらえた意欲作を書き上げた。現実への信頼が、いい意味で薄らぎ、起こり得ない出来事をリアルに描きとることが、作家の主眼になりつつある。

「この世界は数学的な理解と、非数学的な論理展開の複雑な交わりで形成されていて、真の意味で荒唐無稽な現象など、どこにもない。それが真理じゃないでしょうか。

たくさんの他世界が、『いま』と一緒に、同時並列的に存在しています。世界と世界とが、どう接続しているのか、法則はまるでない。ただ、隙間はすごく曖昧で、どろどろしています。その曖昧なところを小説に書いてみたいと思うじゃないですか。

曖昧な隙間をとらえたい気持ちは、僕の作家としての野球のボールの芯です。固い芯に糸を巻いていくように、いろんな小説的技巧を凝らし、ボールの形状に整えて、読者に投げています。芯を投げても届かないですよね。まず、小説として面白くなければいけない。近年はそういう心構えで作品を書いています」

シンクロニシティなど、スピリチュアルな現象を白石は強く信じているという。これまで政治や経済、不倫など多彩な題材で高く評価されているが、すべての作品に共通しているのは精神世界との深い親和性だ。

「最初は封印していたつもりなんですけど、結果的に、にじみ出ていますね。僕は自分が、本当に実感しているものしか小説に書けない。ビジネスとか恋愛とか、いろいろ書いてきましたが、そういうのはめっきり興味が向かなくなってきました。グラウンドに何年も降りないで、試合の勘とか最新のプレースタイルを理解できなくなった野球解説者みたいな状態でしょうか。人間関係で深刻に悩んだり、狂おしい恋愛に身を焦がすようなことは、とんとご無沙汰なので、小説に書く意欲が湧かない。身体を使って野球をしてないのに野球を語ってもピントが外れるだけですからね。

そうならないよう自分の実感に根ざしたものを書くしかないとしたら、やはり最初から実感に根ざして持っているスピリチュアルな精神が顕れてきます。世の中って、わかることだけじゃないから。むしろ、歳を重ねるたびにどんどんわからないことだらけになっていくのが人生というものなんだよ、という僕の解釈を、小説でみんなに伝えたくて書いているんです」

長く寝かせて意味を持ち出す瞬間を書きたい

『道』の物語には、もうひとり重要な人物が登場する。九州の大富豪で、スタールの『道』の所有者である長倉人麻呂。超然とした態度で、功一郎の導師のような人物だが、詳しい素性や目的は不明だ。後半、時間の隘路にはまりこんだ功一郎は、人麻呂の言葉によって、己の人生に秘められた真実に気づいてゆく。

多層化した物語の時間軸にちりばめられた違和感が、見事に回収されていくクライマックスは圧巻だ。読了後すぐに1ページ目から、読み返したくなる。

何が起きたのか、理屈ではわからない。だが確実に、世界の認識が揺さぶられる。タイムリープの精密な構造に、時間の境界の不穏な曖昧さを掛け合わせ、読者を条理の外へ連れ出す驚異の文学小説だ。

「人麻呂を登場させた理由は、自分でも説明できません。わからないんです。思いついたのだから書いたとしか言いようがない。柿本人麻呂から想起した人物なのだろうけど、人麻呂の関連書を読んでも、何だか腑に落ちない。でも選択したというのは、何か意味があると思って、とりあえず書き進めます。

直感に従うというか、後々に生み出されるシンクロニシティを証明したいんですね。わからなかったものが、いつかどこかで何かとつながり、意味を持ちだす瞬間を待ちたい。人麻呂も、書き進めていくとやはり、功一郎の人生との共時性が表れてきました。それは事前に、作者の僕も予想できません。意味を持つかどうかは、彼らの人生が決めることです」

作家として充分なキャリアを重ねたいま、書きたいものをすぐ書くのではなく、あえてテーマやアイディアを寝かし、シンクロニシティの立ち上がる瞬間を待つこともあるという。

「今回の『道』も言ってみれば、形になるまで10年かかっているんです。構成を細かく練り、本格ミステリのように小説を組み立てていく方法も否定はしませんが、僕は向かない。短いものは書けても、それだと長い小説は書けないんです。

僕の場合、樹木そのものではなく、地面の下に隠れている複雑な根っこの絡まりを、小説で表現したい。あるいは、きれいな音を奏でるより、ボールの核に巻いた糸が回り出して、頭の中で鳴る音を楽しみたいんです」

子どものイマジネーションの強さは本物

白石は「いいものを書きたい、だけでは無理。長い小説を書くために、時間がかかっても遠回りをする」と語る。

「僕の親父の白石一郎もそういう考え方だったから、遺伝なのかもしれませんね」

近年は特に、プリミティブな気持ちで、小説を書いているという。

「子どもの頃の希求に従って書いている感じがします。『いま』とは別の世界があって、自分の人生を入れ替えられるとか、子どものときは本気で信じていたわけじゃないですか。また誰か大切な人を失ったとき、『いま』からは消えたけれど、その人はどこかの平行世界でまだ生きていて再会できると感じていたわけじゃないですか。大人になるとみんな分別がついて、そんなのあるわけないじゃん! という態度になりますが、いろんな経験をして歳を取ってくると、いやいやそうでもないよ、と。若い時分のイマジネーションって単なる妄想ではなく、意外に本物だから、馬鹿にはできません。

ユング的な解釈における集合的無意識に通じますが、平行世界が存在するという頭のなかの認識は、空想で片づけられるものではない。すごく強いんです。イマジネーションを現実世界に再現するエネルギーを僕たちは生まれながらに持たされていると思っています」

白石一文さん

『道』は、第一級のエンターテインメントで、人々に潜在するイマジネーションを再起動させる物語でもある。読者を常識の縛りから解放する、新たな名作の誕生だ。

「僕は10代のとき電車内で、一度タイムリープを経験しています。あれは錯覚でも、思い違いでもない。たしかに現実の出来事でした。『道』の功一郎のような体験は、突飛なフィクションではないし、あり得ない話だとは思っていません。

僕はどの小説でも、嘘は書かないと自負しています。できるだけ面白くするよう努力はしますが、身についた本当の実感だけを書いています。『道』も、嘘はひとつも書いてない。作り物だという先入観を捨てて、是非読んでほしいですね」

以上 コピペ終わり。

4️⃣

ここは私たちのいない場所

白石一文

物語は日々の出来事や日常を淡々と書き連ねている感じでハラハラドキドキする場面はあまりないですがスイスイと読み進めてしまう所はさすが白石さん。

最後の解説でこの小説は、中瀬ゆかりさんのために書かれたものらしい

事実婚の相手である白川道さんが2015年4月16日の朝、自宅で意識を失っているところを中瀬に発見され、病院に搬送されたが、大動脈瘤破裂のため死去69歳没。

解説にもあるように中瀬ゆかりさんの旦那さんを思う気持ちはひしひしと感じられて本文に改めて感心しました。

下記記事

中瀬ゆかり地獄エピソードも面白いですね。

8000万円の印税が? 新潮社・中瀬ゆかりの“地獄”エピソード

『いただき物のTバック事件』

いまは亡きイケメン政治家からパンツの詰め合わせセットをいただき、喜んで履こうとしたら、全部MサイズでしかもTバック。どうしても履きたくて無理やり尻をねじ込んだら、すべての紐が食い込んで見えなくなり、死にそうに苦しくなった。

中瀬「ちょっとした小包みたいな感じになり、Tバックというよりゆうパックみたいでしたね!」

「このままでは死ぬ!」と這うように台所にたどり着き、キッチンばさみで紐をきって脱出したときに、引田天功ショーのような快感があったという。

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