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地上の学校

この世に存在している
意味を考えたことがありますか?


なぜ生まれてきたのか、
何のために生きているのか。


さまざまな家庭に育ち、
いろんな人と関わって、
悩み苦しんだり、
笑ったり泣いたり、
いろいろな感情を経験して
大人になって、やがては老いていく。


人の生涯に意味はあるのか、
なにか意味があるとしたら、、、


10代の頃から
そのようなことを考えていました。

私が特別だったのではなく、
思春期は悩み多いですから、
誰でも
考えることなのかもしれません。


以前読んだ本で、
心が救われたことを
体験を交えて書いていきます。

私の両親は今でいうと毒親でした。


それが次第に変化していきます。
孫ができると、
子にしてやれなかったことを
するようになると、
聞いたことがあります。


両親は、
私に対して親切になりました。
なんだか逆です。


地元を離れ、
遠方に住む私への優しい言葉かけ、
気遣い、最も愛を感じたことは
経済的な援助でした。
これには泣きました。


小学生の頃、
図画で使う絵の具がなくて、
土下座して何度も頭を下げて、
どんなに泣いて頼んでも
買ってくれなかったのに、です。


父は、
いつでも経済的に
支えると言ってくれました。
母は、
嫁いびりされて激やせした私のことを
心配して、様子を見に来てくれました。


思えば、父も母も未熟でした。
いろいろな経験を積み、
子が巣立って行き、
年齢を重ねたことで
魂の成長があったのでしょうか。

父も母も過去を
振りかえり、
私へのつぐないの気持ちが
あったと感じます。


私は親に恨みつらみを
言ったことはありませんが、
心に深く線を引いていました。

父と母の変化で、
心の距離がぐんと近づきました。


私が未熟な親の元に生まれたのも、
私の魂の成長のためだったのです。

本を読み、
それに気づいたとき
涙があふれました。


生まれてきた意味、
生きている理由がわかったからです。


介護が必要になったとき、
感謝の気持ちで
喜んで援助することが
できました。

最後のお別れの時は、
心からありがとうを
言いました。


魂の修行を終えた父、
今頃どこで
何をしているのでしょう。
空を見上げながら、
そんなことを考えています。


この世は魂の成長のための学校


邪悪なものにさらされて
試練を受けて苦労して
大きく成長して
進歩する地上の学校。


障害を持って生まれた人は
さらなる魂の進化をするため
プログラミングしてきている
尊敬に値する人々と書いてありました。


“生きがいの創造” 飯田史彦著

心が救われた本は
今も手元にあります。


応援いただきまして、ありがとうございます。