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気づくことができる人は幸福♡

病気で半身マヒになり、健康上の理由から
食事制限もある知り合いの女性は、

『私は誰よりも不幸。』
『こんな体で生きていてもしょうがない。』
『死んだ方がまし。』と言うのが、
口ぐせでした。

ご家族はそんな彼女を献身的に支えています。
彼女は何度もやり直しを要求します。

彼女が満足できるレベルまで
上着の襟を直したり、
ズボンのゴムがウエスト位置だと
かゆくなるから腰パンにするとか、

食事、服薬のタイミング、飲み物の温度、
食べる順番など、いろいろあるのです。

ご家族の表情に疲れが見えることも
ありましたが、不満も言わず淡々と
こなしていらっしゃいました。
なかなか出来ることではありません。

それなのに、
彼女はご家族への不満を言ってました。

私は驚き、
彼女がどれだけ幸福の中に生きているかを
何度も話したことがありますが、
彼女の心にまったく響きませんでした。

『私は病気なんだから、仕方ないじゃない。
家族はあたりまえのことをしてるだけ。
1番つらいのは私なのよ。』

と、話す彼女にあ然としたものです。

彼女に圧倒的に足りないものは、感謝でした。

足りないことを数えて不平不満、
足りていることは出来てあたりまえ。


そんな彼女でしたが、
体調を崩して入院することになりました。

コロナ禍で面会もままなりません。
家族のありがたみをやっと知ることになります。

甘えられる家族も話し相手もなく、
孤独感が不安を呼び
死の恐怖を感じたそうです。

退院後は別人のようになっていました。

『家族に感謝してなかった。』
『不満ばかり言ってた、、。』
『わたし、まだ死にたくない。生きていたい。』

彼女は、
ありがとうを何度も言うようになりました。
やっと、あたりまえではないことに
気づいたのです。

気づくことができる人は幸福です。


私も今ある命を考えることがあります。
実際に接したことがあるのは
両親と祖父母だけですが、
会ったことはなくても
曾祖父母もいたわけです。

その前の祖先も確かに存在していたから
私がここにいるのです。

親族や近所の人と支え合ったり、
もしかすると見ず知らずの通りすがりの人に
救われたりしたこともあったかもしれません。

1人でも欠けていたら、
私は存在していたでしょうか。

何代も前の祖先はどこで
どんな生き方をしていたのか、

命がつながってきたことを、
あたりまえとは思えません。

地球が太陽から
ちょうど良い場所にあって
ちょうど良い速さで
ちょうど良い角度で
その周りを回ってることは、

あたりまえ、でしょうか。

呼吸できるのも、水が飲めるのも
作物が収穫できるのも、

あたりまえ、でしょうか。

宇宙の仕組みを考えていると、
誰かが、設計して造ったとしか思えません。

人も他の動植物も、
仕組みがよく出来ています。
完璧に造っていただいて感謝です。
創造主のパワーを感じます。

眠りから目覚めるとき、
生きていることに感謝します。
就寝中、体が自動メンテナンスを
していることに感謝します。

起きてお湯を沸かすことが出来る、
美味しいコーヒーを飲めることに感謝します。
そのあとも次々と、
感謝することがいっぱいです。

私の住まいは、
築40年の集合住宅です。
浴室の排水溝にも心の中でありがとうを
言いながら掃除しています。

40年前に、
この排水溝をキチンと作った人がいます
今も問題なく機能していることに
感謝しています。

実際に会ったことはないけれど
いろんな人の関わりがあって、
便利な生活ができているのです。

見えないことを見る力、想像力、
気づいた人から幸せになるように思えます。
感謝がすっかり習慣づいてしまいました。

不思議と満たされていきます。  
ダイエットにも効果があります。

実は、他の動物にはない
人間の脳の仕組みがあるのです。

人や物、出来事などに感謝したとき、
幸福感が倍増するのです。

これも設計のときに、
組み込まれたことのように思えます。

高価な物を所持する幸福感とは
比較できないほどの幸福感を、
身近なことで感じられるように
なっているんですね。

と、いうわけで苦手な同僚に
感謝することもあります。
彼のふるまいの中に自分を見ることが
あるからです。
見せてもらっているように思えます。

気づかせてくれてありがとうと、
心の中で無理にでも感謝します。

自分の幸福感を倍増させるために、
呪文のように唱えます。

でも、苦手なことに変わりはないので
普段はなるべく目を合わせないよう
離れています。

今日も空を見ながら、
恵みの中で生きていること
ありがとうございます。


最後までお読みくださり、感謝いたします。


応援いただきまして、ありがとうございます。