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【脳からでまかせ】その1 〜宇宙人について気になるいくつかのこと〜

※散歩してたり風呂に入っている時などにふと思いつく、本当にどうでもいい事を、整理も熟考もせずにただ「書くためだけに書く」というのを楽しむためのシリーズでございます。


昔もこういう文章遊びみたいなことやる時や、ブログなんかでもチラチラ書いてたことなんだけどね。

古くは、大学の時に手書きで作ってたエッセイみたいなもんにも書いてたことがあるから、相当昔から持ってる心配事だ。そんなに心配しているにも関わらずまだ宇宙人には会えていない(たぶん)。

まぁ、せっかくこういう”note”なんていう遊び場を間借りできたので、その長年浮かんでは消えていく(最終的にほとんど消えている)、宇宙人に対する思いつきの数々をまとめてみようかと思う。


宇宙人はいるのかいないのか?

ベタすぎる疑問だが、物心ついた時からこの「いるいない論争」は大なり小なりあちこちで見かけるものであるし、最近はやらなくなっちゃったけど、テレビでもしょっちゅうやってたような気がする。

そもそも、子供の頃見ていたテレビ番組や漫画などには頻繁に宇宙人が出てきていた。
彼らは概ね地球を侵略しようとしていたが、主役となるのはその侵略者から地球を守ろうとする別な宇宙人だったりして、もうそんな事はどっかよその星でやってくれればいいんじゃないかと思うのだが、侵略者は週一回やってくるわ、それを倒す宇宙人は年に一回の交代制で登場するわで、その地球の守護者がいつまでも活躍できるようにと、我々地球の子供達は彼らのオモチャを買い集めたものだ。

のっけから話が逸れた。

そういう「お話」とは別に、いかにもドキュメンタリーチックにUFOであるとか宇宙人の存在を、特に「地球に来ている」という点について追跡調査する番組もしょっちゅうやっていた。あと、写真に映ったUFOが本物か作り物かとかね。

まぁ、今ではほとんどの天文学者とか物理学者とか矢追純一とかは「地球以外の惑星にも何らかの生物、もしかしたら知的生物が存在する可能性は極めて高いかもしれない気がする」という見解を示しているんだが、それが地球に来ているのかどうかってことになるとまた話は別である。
たまに、どこだかの政府とか軍の要職に就いてたって人が、「宇宙人との交流があった」とか「UFOを回収した」とか言ってるけど、別の国に「大量破壊兵器が隠してある」とか言って攻め込んでおきながら、実はありませんでしたみたいな事やってる人達が言う事だから、どうもよく分からない。

おそらく「コンプライアンス的にどうとか」みたいな事があるんだろうけど、昨今のテレビではあまり「超能力」だとか「幽霊」だとか証明するのが難しいものを取り上げては騒ぐような番組を見かける事がなくなった。「スピリチュアルな人生相談」とかもないね。
そして、「宇宙人」とか「UFO」に関しても同じように取り上げられる事がほぼなくなった。要するに、世間的には「胡散臭い」という印象なんだろう。「謎の洞窟探検隊」と同じジャンルという扱いなのかもしれない。

とにかく
以前よく見かけた「宇宙人(またはUFO)は存在するか否か」みたいな議論をする番組などでは、肯定派、否定派それぞれが色々な情報や証拠や科学的理論などを駆使して「だから宇宙人は存在してるんです」とか「この証拠はこういう仕掛けの捏造である」とかやり合っていた。
これさ、同じ証拠物やら理論やらに基づいて検証したとしても、肯定派は宇宙人が存在する前提で、片や否定派は存在しない事を立証しようとして取り上げてるもんだから、いつまでも話は平行線を辿る事になる。
結局両方の主張の要点をまとめると「そんなモンいるわけないじゃん」と「だっているんだもん」ということの応酬に終始していると言える。それを2時間番組にして、シリーズで何回も放送して視聴率を稼いでいたテレビマンというのはものすごく能力が高いのではなかろうか?

ここで私見を述べておくと、自分は宇宙人というか「地球外の別の惑星で発生進化して知的活動を行うようになっている、何らかの生命体は存在する」と思っている。宇宙の規模から考えると、いない方が変な気がするという単純な理由からである。
そもそも「生物」の定義も「知的生命」の定義も地球にいる人間が定めた範囲のものであるが、地球で生命が発生してそれが人間になるまでにも色々と難しい条件が必要となるそうだが、それと同じ条件がこの宇宙のどこにもないというのは考えにくいし、まして地球人の定義には当てはまらないような生命体が、地球では想像できないような条件によって生まれ育っていても不思議ではないのではないかと。

ただ、それが何らかの乗り物(UFO?)に乗って、要するに地球人をはるかにしのぐ科学力を持って、地球に来ているのかどうかってところは、よくわからない。コレはまた後で述べる(まだまだ後があるんですよ)。
なので未確認飛行物体(UFO)が即、宇宙人の乗り物だとは思っていない。ただ、それはそれでまた別に、人間が関与していない何らかの空を飛んだり瞬時に消えたり現れたり、人間の科学力では実現できていない、空を飛ぶ物体はあるんだろうなと思っている。
ただ、それがどこから来ているのかとかって事を述べると、理論物理学の『M理論』だとか何だとかの聞きかじった程度の話を紹介しなければならないし、もしかしたらその辺を使っていわゆる宇宙人が地球に現れてるのかもなとかそういう話になってくるので、面倒くさいから省略する。

話を戻すと、さっきの「そんなモンいるわけないじゃん」と「だっているんだもん」の両方をひっくるめて楽しむのが私の宇宙人やUFOに関する嗜み方だ。

例えば『ミステリーサークル』というのをご存知だろうか?
主にイギリスの広大な農地に、前日は何でもなかったのに翌朝見たら牧草がなぎ倒されて巨大で正確な円(サークル)が出来上がっていたというものである。
中には、円だけではなく美しい幾何学模様をしたものもある。

これを肯定派は「宇宙人がUFOに乗ってきて作った何らかのメッセージだ」というような評価をする。
それに対し反対派は「誰かのイタズラだ」とか「プラズマ現象だ」と説明する。
確かに、明らかにイタズラである場合もある(サークルの周囲に、草を倒したローラーや足跡があるなど)。それにおそらく「プラズマ現象」なるもので出来上がったサークルもあるだろう。
ただ、その「プラズマ現象だ」と言い切った科学者(だったと思う)がちょっと科学的じゃないなと思うのは、自分が取り上げた「プラズマ現象である」という説明に合致するサンプルだけでそう主張しているところだ。

私の見解としてはだ。
『ミステリーサークル』がどうやってできたかと言うと、おおまかに分けて「人為的なイタズラ」「プラズマ現象など、現在の科学で立証できる自然現象」そして「現在の科学理論では説明がつかず、認識もできない何らかの作用」で出来上がったものがあるのだと思う。要するに、一個一個にそれぞれ異なる原因があると言う事だ。
これは自分の生活上の経験から導かれたものである。

例えば、CDプレイヤーをステレオアンプに繋いで、そこからスピーカーに接続して音楽を聴けるようにしたとしよう。
せっかく音楽を楽しもうとしたのに、スピーカーから音が出ない。
この時、よく調べて見たらCDプレイヤーとアンプを繋ぐ線が外れていたせいで音が出なかったとわかる。よくある話だし論理的だ。
しかし、だ。
だからと言って「CDをかけても音が出ない」という現象の全てがプレイヤーとアンプの接続線が外れているからという事にはならない。
考えられる原因はいくつもあるし、都度調べてみないとわからない。
プレイヤー、アンプ、スピーカーのいずれかの内部の故障。アンプとスピーカーが繋がってない。アンプの電源を入れ忘れてた。コンセントが外れていた。CDが不良品だった。鼓膜が破れていた。など、様々な要因がある。中には「プレイヤーが壊れている上に線が外れていて、しかもスピーカーがなくてもどっかから音が出るだろうと思っていた」なんてこともあるだろう。
そうすると、『ミステリーサークル』だって全てが同じ原因で出来上がるとも限らない。中には「人知を超えた存在がプラズマ現象を発生させてイタズラした」ということだってあるかもしれない。

そういうわけで、何事も「こうだ」と決めつけてはいけないし、スピーカーは用意しておいた方がいい。

こんな話をしていてもいつまでも宇宙人が地球にやってくる気配がないので、そろそろ話を進めて、宇宙人がいるとして地球にやってきているものだとしよう。

その時に否定派が突っ込んでくるのは「何のために来るのか?」であり、肯定派もやはり肯定する根拠にその目的を語る事が往往にしてある。

コレについて考えてみよう。


地球に来る目的は何か?

宇宙人はなぜ地球にやってくるのか?
「地球を侵略するため」「地球人と交流するため」「惑星間で戦争があり、地球人を自分の味方にするため」「地球の研究」「実験」「監視」「もともと彼らが地球に生物を創った」などなど、いろんな理由が語られている。

さっきのCDの例でもわかるように、理由は一つとは限らないし、宇宙人が一種類とも限らないので色々と話は複雑になりそうである。
ともかく、どんな目的で来ているのかを説明する方というのは、どの回答にしろ自信たっぷりに答える。しかしどうも「本人から直接聞いた」という人はあまりいないようだ。芸能ゴシップ記事などにある「事務所関係者によると」とかそういうのに近いかもしれない。

私に言わせれば宇宙人が何をしに地球にやってくるのかなんて分かるわけがない。
だって、同じ人間同士だって何を考えてるんだかさっぱり分からない奴もいるくらいである。下手すると自分自身の事ですら「オレはなぜあの時、あんな事をしてしまったのだろう」と思って頭を抱える事だってあるのだ。それなのに、そんなどこの星から来たのかも分からないような相手が何を考えてるかなんて、当然分かるわけがないだろう。

そもそも、この「なぜ地球に来るのか?」という問いには「地球人に対して何の用事があるんだ?」という心算があるように感じる。用事があるのは本当に人間に対してなのか?

おそらく「はるか遠くの惑星から地球に来るぐらいの高度な知性を持っているのだから、地球で最も高度な知的生命である人間に用事があるんだろう」と思っているのだろうが、果たして地球人はそんなに高度な知性を持っているのだろうか? 自分の知り合いには思い当たるフシがない。

だいたい、「人間は高度な知性を持っている」という判断は、人間が決めたものである。自分らの基準によって他の生命と比較して秀でている(と人間が感じる)部分を「これを知性が高いという事にしよう」というふうにしているだけだ。臆面もなく「自分は高度だ」と言ってのける、その「程度の低さ」はどうなんだろう?

「人間は他の生物よりも繁栄を誇っているのだから高度だ」という主張も、理屈はそうかもしれないが「人間は他の生物を大量に絶滅させて、自らも滅ぼしかねない」という点ではそこらの肉食動物よりも劣っている。

もしかしたら宇宙人は地球人など眼中になく、クジラかなんかと交流を持ちたくて来ているのかもしれない。

地球の侵略とか、あるいは星間戦争の同盟を結ぼうとかって話なら、わざわざ地球に来るだけの科学技術を持ってたって、結局やることはソレかよって事なんで、あまり関わりたくない。子供の頃、大人の人に「付き合う相手は選んだ方がいい」って言われたし。

地球に来ているからと言って、地球に関心があるとも限らないしね。
私も散歩の途中に通りがかった公園などでぼーっとしたりするが、別に公園に行こうと思ってたわけでもないし、立ち寄る事に目的を持っているわけでもない。
ベンチにいる時に誰かに「何故、いまここに来たんですか?」と尋ねられても「そこに公園があったから」と、偉大な登山家みたいな事を言うしかない。

「おそらく太陽系外の惑星という、とんでもなく離れた場所から」
「きっと光速を超えるとかワームホールを利用できるなどの科学力を持って」
わざわざ地球にやって来たのだから、それ相応の理由があるのだろうと思わずにいられないのだが、考えてみると、地球人の科学力をはるかに凌駕しているのである。
となると、彼らにとっては、何光年も離れた場所へとやってくるのは大した事ではないのかもしれない。

彼らが地球にやってくるのは、気晴らしにドライブに出かけて、途中の道の駅でトイレに立ち寄ったくらいの事なのかもね。

そうすると、前述の『ミステリーサークル』だって、そういう宇宙人の暴走族みたいのが、壁に「〇〇見参!!」とか書いてるような感覚なのかもしれない。

こやって考えていくと、この章ではせっかく宇宙人が地球に来たのに、いつまでたってもコンタクトを取るに至らないまま文章は進んでいってしまう。
だから、ここで思い切って、宇宙人は地球人となんらかの関わりを持つためにやって来ているのだと仮定してこの後の話を進めていく事にする。いささか乱暴な展開ではあるが、宇宙人の人がこれを読んでいても気を悪くしないでほしい。


コンタクトは取れるのか?

さて、宇宙人が地球を侵略したりあるいは地球人を配下に治めようとしてやってくるのだと仮定しよう。
そこでまず疑問に思うのは「なぜさっさとやらないんだ?」って事である。
はるか遠くの惑星から地球にやってこれるくらいの科学力があり、しかもUFOの目撃映像で見るように、あんな地球の航空力学的なアレを無視したような飛び方とか、急に消えるとかできるくらいの技術を持っているんだから、侵略くらいあっという間にできてしまわないか?
あと、たまに「宇宙人に拐われてUFOに連れて行かれた」とかって人がいるくらいだし、畑に模様書いてるヒマがあったら、いくらでも侵略とか植民地化できる筈だ。
それともアレか? 侵略しようとしてるのは宇宙人の政府とか軍部のごく一部で、あまりあからさまにやると世論が許さないから、影で何かコソコソやってたりするのか?
それだと規模の差こそあれ、やってることがどっかの惑星の中の話とたいして代わり映えしない。壮大だったりショボかったりと、ちょっと各要所のスケールのつじつまが合わないように感じるんだが…。

逆に、地球と友好関係を築きたいとか、なにかしら慈善的な警告を与えに来たとか、なんらかのステップアップを促すために指導しに来たのだとしても、同じ疑問が湧く。
なぜさっさとそうしない?

さらに、侵略でも教育や救済でもなく、あくまでも対等な関係を作ろうとしている場合はどうだろう?
やはり同じ疑問が出てこないだろうか?

一説によると宇宙人は大国の政府指導者かなんかと結託して何かを企んでるらしいが、それは政府指導者にはもしかしたらメリットがあるかもしれないが、高い科学技術を持って(という事はおそらく文明そのものも高度なんだろう)いる宇宙人が、わざわざ自分たちよりも劣る存在と対等な関係になったり、一部と密約する必要のあることってなんだか分からない。

そう、その「分からない」が、このコンタクトを取れるのかどうかのポイントである。

さっきまで書いていた、結局「なぜさっさとやらないんだ?」という疑問は、あくまでも地球人の思考や価値観などに照らし合わせるとって事である。
地球人同士だって文化文明が違えば、理解しがたい考え方や風習が数多くある。挨拶の仕方一つだって、ある文化の中では友好を示す動作が、別な文化圏では相手を侮辱する仕草だったりすることもある。

そうするとだ。
こっちにとってはまったく意味不明なんだが、宇宙人は地球を征服するつもりで畑に模様を書いて「やったぜ、これで地球は俺たちのものだ!」と喜んでいるのかもしれないし、アメリカの田舎に住んでるおっさんをUFOに連れ込めば、地球人と仲良くなれると思っているのかもしれない。

そもそも、生命の発生の仕方が地球とはまったく異なる仕組みから進化して来た生物かもしれないのだ。宇宙人が地球にやって来ていたとして、地球人がソレを生物だと認識できるかどうかも怪しい。
意外と「脳は持ってない」とか「身体は鉱物とヘリュウムで組成されてる」とかだとどうしていいんだか分からないではないか。
ヘタするとUFOっていうのは乗り物じゃなくて、アレがそのまま宇宙人の生身だったりするかもしれない。素っ裸で宇宙を飛び回って、光速を超えて地球にやって来るという、地球で言うと「鳥が空を飛ぶ」とか「魚が水中で生活してる」とかと同程度の特徴として「光速を超えて移動できる動物」だったらどうする? もう「高度な科学力」とか「高い知性」なんて何の関係もなくなる。
「なぜ地球に来たんですか?」という質問は、魚に「なぜ水の中にいるんですか?」と聞いているのと同じになってしまう。

もう話が散らかり放題だ。

まぁ、脳ではないにしろ、ちゃんと思考できる器官を持っていて、技術力や科学力があって、なんらかの文明と呼ばれるものを持っているのが宇宙人だとしてもだ。
結局その思考パターンや価値観や文化風習は全然違う(なんせ、向こうは現在の地球人には不可能な距離を移動したりできるのだ。そして広大な宇宙を旅したり、よその惑星の生命にちょっかいを出したりできるのだから、地球人と同じ価値観な訳がないだろうし、物事の捉え方や考え方もまったく違う筈だ)相手とちゃんと意思の疎通ができるのか疑問である。

その上、相手の進化パターンが地球人と違うなら、おそらく目の構造だって違うので、同じものを見ても、同じ形や色のものとして認識されているかわかったもんじゃない。
地球上の生物だって、昆虫や鳥など他の生き物と人間では脳に入って映像化している視覚情報は大きく違う。以前、蝶々が見ている景色を予想した画像を見たが、蝶はドラッグなしでもかなりサイケデリックな世界を見ているようだ。

言語だってそうだ。
まず、相手が「音声言語を使うのか?」という問題もあるが、仮にそうだとして、地球人が相手の言語を解析するにはかなりの長い年月がかかるのではないか?
今でこそ、おおよそ地球にいる人類の言語というのはお互いの長い研究の末、何を言っているのか分かるようになっているが、特別な教育や訓練を受けたり、機械に頼らなければ、他の国どころか他の地域に暮らす人の言語すら理解できないこともある。知り合いの中には同じ言葉を話してるのに、いつも「こいつ何言ってるんだ?」って思う奴もいる。

それが他の生き物って事になると、私がまだ幼かった頃は「言葉を話すのは人間だけ」と言われていたのだ。ようやく最近になって象やイルカなどが数十種の単語を組み合わせた音声言語でもコミュニケーションを取っているとわかったようだが、人間が解明できたのがそれだけで、実際にはもっと言語数は多いかもしれないし、他の生物もそうした言語を持っているのかもしれない。
大抵の動物は、しばらく一緒に暮らしていると人間の言ってる事は理解できるのだから、本当に人間が最も高い知能を持っているのかどうか怪しいものである。

と、いうくらいなので、よその星の人の使う言語は文字にしろ音声にしろ、すぐには理解できないだろう。もしかしたら向こうが優れた科学力を持って、翻訳機かなんか用意してくれるかもしれないけど、その使い方を理解するのも苦労しそうだ(ちなみに、テッド・チャンという作家の『あなたの人生の物語』というSF短編では異星人の文字が三次元構造になっているのを解読してコミュニケーションを取るという内容だった。『メッセージ』というタイトルで映画化もされている)。

で、どうにかして言語が理解できるようになったとしてだ。
では内容は理解できるのか?

何度も言うように、生まれた星も違えば、おそらく進化の過程も違うし文明の発展の仕方も違うのである。それに加えて、身体的な構造の違いで、視覚や聴覚などによる五感で認識する世界の在りようも異なるとすれば、多分話はまったく噛み合わない可能性の方が高いだろう。
まぁ、同じ人間同士だって、育って来た環境が違うと夏がだめだったりセロリが好きだったりするのだと誰かが歌ってたくらいだから、やれるだけ頑張ってみるしかない。

さぁ、いよいよ宇宙人と出会って、翻訳機も用意してもらって、話ができるようになって、こう聞く
「あなたは何故地球にやって来たのですか?」

それに対して宇宙人は質問を理解した上で正直にこう答える
「上を向いて歩こう、涙がこぼれないように」
どうだろう?
少なくとも直ぐには理解できないし、おそらくどんな意味があるんだろうかと色々と詮索したり、何かこちらが不利益を被るようなウラがあるんじゃないかと疑心暗鬼にならないだろうか? もしかしたら「その歌、宇宙でもヒットしたんですか?」という新たな疑問が生まれるかもしれない。

だが、それが宇宙人が地球に来た理由の全てで、その答えに至る思考過程が地球人にはまったく理解できないだけの話なのである。
加えて、相手としては友愛の情を称えた笑顔のつもりでいる表情が、こちらにとっては何かやましいことのある人がなんとか気付かれないようにしている挙動不審な顔に見えたり、友好の証としてこちらの右の頬にビンタをくらわそうものなら、左の頬を差出せる人間はごく一部の信心深い者に限られるだろう。この前までどっかの大統領みたいな事をやってた人のようなタイプだったら、躊躇なく核のボタンを押しているかもしれない。

言語のみならず、その時の表情や仕草までも理解できないどころか、こちらの価値観や偏見によって必要のない敵対心を持つことだってある。
同じ人間同士でも、ちょっと皮膚の色が異なるというだけで良好な関係を持つことができないでいる程度の知性や精神性では、まだ異星の文明と交流を測るのは難しいだろう。


まとめ(まとまらない)

このようにアレコレと考えていると、宇宙人がいたとして、その宇宙人が地球に来ているとして、そして宇宙人と実際に対面したとしてだ。
それは長年の夢が叶う瞬間のような気はするのだが、結果的には期待した事は何も起こらずに、なんだか「失敗しちゃった感」に苛まれるような気配が漂う。
どことなく「理想の女性を思い浮かべて、実際に出会ってみたら上手くいかなかった」みたいなアレに近い。

しかし私は考える事をやめない。考えずにはいられないのだ。
それは、結局は私が「きっといるはずだ。そして既にすぐ側にいて、いつか出会える筈だ」と思っているからに他ならない。という事に気付かされる。
そうして私は夜空の星々を見上げ、いつか出会える事を今日も夢見ている。

宇宙人にしろ、理想の女性にしろ。

あ、できれば先に後者に会いたいです。よろしくお願いします。


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