見出し画像

ある日の日記

 普段は一日中オフィスでパソコンと向き合った仕事をしていて、社外の人と会うこともなければ太陽の光を浴びることもない。

だから数か月に一度、機会があるかどうかといった出張には胸が躍る。

もちろんしっかり仕事はするのだが、どこか中抜けをしているような、言ってみれば授業だけど授業でない遠足や修学旅行のような思いがあった。

そのために普段よりも1時間早く家を出ることも厭わない。

電車はいつもよりも空いていて、こうして晴れやかな気持ちで仕事に向かえるならば今後時差出勤でもしようかと考えていた。


 出張の用務は立ち会いだった。

特段私が何かするわけでもなく、顧客先で業者が行う作業をただ眺めているだけである。

問題やシステム部門への確認事項が発生したら取り次ぐが、基本は見知らぬオフィスで立つことに耐える楽な仕事だ。

普段やり取りをする担当者と業務を名目に世間話をしながら、時折窓の外に広がるビルの海の中に作られた不自然な緑を眺めていた。

最寄りの駅から続く公園は、都会の巨大な土地の代名詞である駅ほどに広く見え、そこだけが切り抜かれた夏休みを継続しているかのように平和然としている。

ボールを追う子供たちもベンチで日傘を差す老女も、それぞれのゆっくりと時間が見えてきそうだ。

 この仕事に就く前は、関東の田舎で働いていた。

県庁所在地の位置する土地の離れで、五階建てのビルの四階の窓から外を眺めては、天気のいい日にどうやって仕事を抜け出そうかと考えていた。

とにかく上司のパワハラが重くて外へ抜け出したいと思っていたが、職を変えてある程度恵まれた環境になっても、ふらふらと外へさまよい出たくなるのは変わらない。

オフィスはいつでも鳥かごのようで、LEDの光よりもあたたかな陽の光を求めてしまっている。


 9時から始まって12時を迎える頃、作業がひと段落ついたということで帰社することになった。

やり取りをしていた現場の担当者に同伴し、夜は居酒屋を営む飲食店で昼食を取った。

700円ばかりの鶏天定食と、自由に取ってよい惣菜バーを食しながら、よく東京の地価にこの値段で商売ができているなと考える。

その一方で、業務用であろう不思議な味をした惣菜の小鉢を、出されたものを残さないという信念だけで口にしているのは味気無さを覚えずにはいれなかった。

 食事を終えて帰社する途中、同伴していた先輩が「お土産を買っていく」と言い出した。

都内勤務で都内の出張にお土産とはおかしな話だが、そういう先輩なのだ。

まだ仕事に戻りたくない気持ちを引っ張っていた私は「いいですよ」と快諾した。

しかし、東京でのお土産とはどこで何を買っていくものなのだろう。

東京生まれ東京育ちの先輩の後についていくだけで入っていったのは、三越だった。

ただの三越ではない。

三越前駅から直結する、三越の本店だった。

 いかにも高級な雰囲気のある焼き菓子を先輩が買う間、私は柱にもたれかかって携帯を眺め、時折煌びやかなフロアや身なりの良い貴婦人たちに目を向けていた。

一生を田舎で終えるものだと思っていた私の生涯で、こんなところに足を踏み入れるとはつゆも考えたことはない。

よく年寄りが憧憬を持つ事物に対して「様」を付けて呼ぶことがあるが、私もそんな気持ちで”三越様”の空間を借りている気分だった。

どんな名所よりも私にとって名所らしいと、私の中の田舎者の部分が畏まっていた。

だいぶ待たされていたはずの時間をあっという間に感じていたらしい。

先輩はレジを終えて来るとやたらと申し訳なさそうにして、会社に戻った時にその上等なお菓子を私にも一つくれた。


 都会の街を歩いていて、空を眺めたり、人の背中を追ったり、聳えるビルを見上げたり、私の視点は定まらずに流れて行って情報を仕入れようとする。

ただ歩いているだけでも電車に乗っているだけでも退屈を感じることがなくて、時には情報の洪水に疲労を覚えることがある。

首都圏での生活を始めて2年半が過ぎた。

私は未だに慣れないままで、どうしてここにいるのだろうという思いが抜けない。

私が本当にいるべき場所は、行きたい場所はどこなのだろうか。

どんな仕事をして、誰のために生き、何を残していけるのだろうか。

会社の近くで珈琲店に入って熱いコーヒーを飲みながら、1杯500円を超えるそれがそれほどの価値を持つものなのか、狭い席で身を縮めながら考えるのであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?