ネオダーウィニズムとトァン族

ダーウィンとその著書『種の起源』を知らない人はいない

では進化論っていまどうなってるのか、自信を持って言えますか?

僕は無理だったので適当にゾンアマで本買って読んだらめちゃくちゃ面白かったので紹介します

読んだのは池田清彦先生の『進化論の最前線』

まず前提としてこの本は「ネオダーウィニズム」と呼ばれる現在主流の学説を説明したり批判したりしている(あとはゲノムとか、もはや懐かしいSTAP細胞への言及なんかもある。超面白い)

ネオダーウィニズムってのはダーウィンの『種の起源』とメンデルの遺伝の法則が融合したものらしくて、ようするに「生物の進化は遺伝子の変質と自然淘汰による」という考え(のはず)

まあ世間で広く「進化論」として扱われるイメージの土台というわけだよね

ただこのネオダーウィニズムでは説明しきれないことが生物学の世界だとたくさんある……とのこと(ネオダーウィニズムは間違っている!って話ではないです、念のため)

そしてこのネオダーウィニズムで説明がなされないものの一つとして、細かな変化の連続(遺伝子単位の突然変異で起きる変化はそんなに大きくないらしい)でどうして魚が陸に上がったり空を飛ぶまでに変わっちまうんだよ!(意訳)という、つまり「大きな変化」の問題が取り上げられる

で、ネオダーウィニズム的には、「まず環境が変化し、その後突然変異と自然選択で生物の形態が変わり、新しい環境にうまく適応できたものが現在まで生息しているのだ(『進化論の最前線』82P)」と考えるわけだ

面白いのはここからで、しかし著者は「生物の形態が先に変化し、その後その形態に適した新たな環境へ移動していった(同ページより)」という能動的適応の可能性を提示する

さらに同じページから引用させてもらうと「動物は自らの意思で移動することができ、(中略)その体に合う環境を求めて移動しようとするはず」なのだという

まさに目から鱗だよね

これは完全に個人的イメージの話だけど、なんというか、ダーウィン流の進化論は冷たい理論だ

ようするにネオダーウィニズムの語るテーゼは「環境と遺伝子が全てさ」なんていうニヒルなものだ

そこには「あなたは進化した表現型ですか? それとも自然淘汰される側? 」という問いかけが潜んでいるような気さえする

学歴主義、成果主義の根源たる能力主義のレースが森羅万象の基本ルールだと見せびらかされているような気がするんです!!(被害妄想)

その点で能動的適応は暖かい理論じゃないですか?

みんなはえら呼吸なのに君は肺呼吸? じゃあ地上に上がれるじゃん!

みんなは腕があんのに翼しか持ってない? じゃあ空で暮らそうぜ!

っていうメンタルを生物は持ってるよ! ってな理論なわけですよ(たぶんね)

でも今の社会は、さっきも言ったけど能力主義でまわってるところが大きいし、つまりネオダーウィニズムなドグマを押し付けてくる

そしてこれは、前の記事に書いたトァン族な若者を苦しめてる最大の要因なわけですよ

僕らが進化してるのか退化してるのかはさておき、どうにもこれまでの世代とは異なる変化を遂げてしまった種らしいので、どうか僕らに適した土地で生きることを認めてくれませんでしょうか

勝手にやれよって?

まあね、僕は好きにさせてもらうけど

でもどれだけのトァン族が好きにできるメンタリティを持てるだろう?

ただでさえ僕らという種はしんどい経験を多くしているので、声も出せない人がいっぱいいると思う(余談。生物は環境からの刺激で変化した形質が何世代にもわたって続くと、ついにはその環境の有無に関わらず形質を変えるようになるらしい。声を押し殺して右に倣えをする形質も受け継がれてるかもね)

そういうわけで、もっとこの能動的適応の理論が世間の中で常識になってくれればいいと思うわけです

そんな表現型じゃあ自然淘汰されるぞ! 落ちこぼれるぞ! じゃなくてさ、君の形質は何に向いてるのかな? ってことを模索できる余裕のある社会ならいいよね

ちなみにこの本は2017年1月初版発行なので、本当の本当に最前線の研究がどうなってるのかはわからないです

詳しい人いたら教えてください

おわり

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