スキンシップと平和を愛する「ボノボリアン」とは?
「束縛や嫉妬のないパートナーシップは存在するのか?」という記事で、セックスと平和を愛するサル・ボノボのことを書きました。ヒト科チンパンジー属には、ボノボとチンパンジーの2種がいます。ボノボは、中央アフリカ・コンゴ川の左岸だけにいて、争いもなく平和に暮らしています。一方の右岸にはチンパンジーとゴリラが暮らしており、食糧の奪い合いや縄張り争いが繰り返されています。
チンパンジーはオスが優位な社会で、他集団との争いも多く、子殺しやレイプなども行ないます。一方のボノボはメスを中心に群れが成り立っていますが、オスとメスはほぼ対等で、力ではなく「性」でコミュニケーションを図って相手との緊張を取り除き、喧嘩が起きないようにしています。
子孫を残す目的(繁殖)以外にそういった行動をとったり、正常位などさまざまな体位でセックスするのは、人間とボノボだけのようです。また、食べ物を子ども以外に分け与える動物も、人間とボノボだけのようです。
好戦的で赤ん坊殺しも辞さないオス優位の集団を作るチンパンジー。平和を愛し、セックスが好きで、メスが主導権をとるボノボ。はたして、あなたはどちらのDNAを受け継いでいるのでしょうか?
なんとも人間っぽい〔笑〕ボノボの行動 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=vw7VnJ10yM8?
日本人は「スキンシップ欠乏症」
少し前に「恋を失くしても、愛はいつもそばにある。」という記事を書きました。そこで自分が恋愛に求めることは、コミュニケーションよりスキンシップ(肌の触れ合いによって親近感を育むこと)であることに気づきました。「愛」は自分自身で満たすことができるけど、「恋」にはやっぱりスキンシップが必要です。
調べてみるとスキンシップは和製英語で、英語では”Physical Contact”や”Physical intimacy”です。前者が初対面や友人関係、後者は恋人どうしのときに使うそうです。欧米では握手やハグはもちろん、頬にキスをするような動作も一般的です。握手のあとに、背中をポンポンと叩いたりすることもありますね。
ちなみに韓国でも初対面の握手は欠かせないようで、何も知らなかったときは握手を求められているのに気づかず、失礼なことをしてしまいました。カップルなら公共の場所でも抱きあったり、キスをするのは当たり前ですし、同性でも肩を組んだり、腰に手を回したりします。そういえば、韓国では男性どうしが同じ布団で寝るのも普通の感覚だそうです。
日本人は、密集した住宅地や満員電車に代表されるように、人との物理的距離はものすごく近いんですが、それが「親近感を育むこと」とは真逆になっているケースが多いですね。職場でちょっと肩に触れるだけでもセクハラと言われるような社会ですから⋯⋯。
欧米(や韓国)では大人になっても握手やハグをしますが、日本人は大人になると夫婦や恋人以外とは、ほとんど触れ合いません。また欧米では、たとえ政治家でも不倫でスキャンダルにはなりませんが、最近の日本の不倫報道はひどいですね(何か意図がありそう)。
日本人は「他者に触れてはいけない」という暗黙のルールがあるためにバッシングされているのではないかと思ってしまうほどです。不倫かどうか以上に、もっと人に触れたいのに触れられないもどかしさが蔓延しているのではないでしょうか? そう考えると、アイドルとの「握手」の権利がCDに付いてくるというのも、誰かに触れたい飢餓感から来ているのかもしれません。
「FREE HUGS」という活動
僕は2007年から7年間、原宿の神宮橋で「FREE HUGS」という活動をしていました。多いときは毎週、少なくても月に一度は路上に立っていました。最初にやり方を教えてもらった人と同じように「FREE HUGS」のボードを掲げて、何も呼びかけずに静かに立ち、気づいた人がハグしに来てくれるのを待つ感じでした。多い日には、1日300人以上とハグしていました。
My FREE HUGS
https://www.youtube.com/watch?v=cl09j2AYDSw
ハグの由来は「私は武器を持ってませんよ(あなたを攻撃しませんよ)」と両手を広げて表明すること。静かに路上に立って、行き交う人たちを観察していました。ハグという文化がない日本では「FREE HUGS」の意味がすぐにわからず、じっと横目で見ながら通り過ぎるころに意味に気づき、「うわ、キモイ」と若い女性に言われたものです。
誰かとハグしている姿を見て周囲の人たちが微笑んだり、僕たちは間に合っているからというようにハグを見せてくれるカップルもいました。実際に触れ合っていないのに、心は通じているような、そんな楽しさがありました。ハグは体と体の接触ではなく、心と心の握手なんです。
ちなみにハグすることで脳内物質であるドーパミン(快感)、セロトニン(安心)、オキシトシン(愛情)が分泌されます。 90秒のハグをすることで、なんと1日のストレスが解消するそうですよ。
そしてときどき「ナイスバディの女性もハグに来ますか?」と聞いてくる男性にも出会います。「もちろんそういう人もいますよ」と答えると、一緒にやりたいと言うので、予備のボードを渡して、隣に並んでもらいます。でも、そういう人のところには、不思議なことに誰もハグに来ないんですよね。僕とハグして、普通ならそのまま隣の人ともハグをするんですが、ほとんどが僕とハグしたあとに立ち去ってしまいます。
きっと、“何か”が伝わっているのでしょう。僕自身、イライラしていたり、落ち込んだり、オッパイの大きな女の子が来ないかなと思って路上に立っているときは、誰もハグに来てくれません。ふと、何も考えなくなったときに誰かがハグに来てくれて、それで気持ちがハッピーになるせいか、次々にハグの連鎖が始まります。ハグが楽しいという以上に、心をフラットに、ニュートラルに戻すために、FREE HUGSを続けていました。
自分が感じている境界線
『人は皮膚から癒される』(山口創/草思社)によると、脳が判断する前に、皮膚が感じているそうです。触れなくても、近くにいる相手を感じて情報処理をしているという研究は、まさにFREE HUGSでナイスバディを狙っていた人(自分を含む)の例でよくわかります。
人間は自分の身体の周りに「なわばり」を持っていて、手を伸ばせば届く範囲まで、あたかも自分の身体の一部であると感じているそうです。例えば、フォークとナイフは自分の手の延長で、盲人の白杖も身体の一部と脳は認識しています。
同じことは人に対しても起こります。例えば、親が子どもを抱きしめているとき、双方とも、自分が相手の一部であるかのように感じているそうです。スキンシップ(ハグ)の元々の始まりは、生まれたばかりの赤ん坊の体温が低下しないようにすることで、生命維持のためでした(身体レベル)。それが安心感や心地よさを感じるようになり(情動レベル)、愛情や信頼へと繋がってきたというのです(認知レベル)。
心が深く傷ついたときに、友人が黙って肩を抱いてくれたり、手を握ってくれたり、ただそれだけなのに、そのぬくもりに癒された経験がないでしょうか? 心が元気であるかどうかは、人との関係がとても大きいといいます。ただ触れ合い、寄り添うだけで、人は深く癒やしあえるし、病気やストレスが劇的に改善するはずです。日本に鬱病や自殺が多いのは、もしかしたら「スキンシップ欠乏症」が原因ではないでしょうか?
もし五感のうち、どれかひとつだけ残してあとは失ってしまうとしたら、何を残したいと思いますか? 目が見えなかったら、耳が聞こえなかったら、味がわからなかったら⋯⋯。視覚と聴覚は、それをふさぐことで体験できます。味覚と嗅覚は、体調が悪いときに経験できるでしょう。ただ、触覚を失った状態は想像しにくいはずです。
今は、インターネットによって、SNSでの交流が盛んに行なわれています。僕自身、濃密な時間を使い、たくさんの友人と知りあうことができました。たまに会うだけなのに、その人のことをよく知っているような気持ちにもなります。けれども、インターネットの交流に、皮膚感覚はありません。僕は、あなたにもっと触れたいのです。
「ボノボリアン」になりませんか?
スキンシップの始まりが生命維持のためだったように、「触れたい」という欲望は、人と人との関係で根源的なものです。「愛」と「セックス」が一緒という考え方も、昔の日本にはありませんでした。
神社の境内で闇に紛れて男女が性交する“暗闇祭り”があったり、夜這いのほかに、未亡人が筆下ろししていたという記録もあります。ある国では、(相性があるから)交際する前にセックスしてみると言います。
触れるということは、その人と繋がりたいという純粋な願いです。握手だけでもいいし、ハグしてもいいし、キスしてもいいし、セックスする関係になるかもしれません。恋愛感情以前に、魅力的な人に触れたいというシンプルな気持ちがあるのではないでしょうか?
性行動に限らず、触れあうコミュニケーションを増やせば、きっと平和で穏やかな暮らしができるはず。セックスと平和を愛するサル・ボノボにならって、もっと気軽にスキンシップを図りたい人たちのことを「ボノボリアン」と名づけてみます。
そして、ふと気づいたら、ユニークな男女関係がずいぶん増えていました。セフレ(セックス)、キスフレ(キス)、ソフレ(添い寝)、ハフレ(ハグ)、オフレ(お風呂)、カモフレ(カモフラージュ)、ビリフレ(リハビリ)、サンフレ(サンドバッグ)などなど。それぞれ「〜するだけ」の関係で、すでにボノボリアンがたくさんいます。
誰かに触れたいという欲望だけで突き進むと、すぐ犯罪者になってしまいますから、ボノボのようなスキンシップに同意できる仲間に出会いたいと思います。個人的にも、三大欲求のうち、性欲が満たされていないのは事実ですし、性欲を恋人ひとりだけで満たそうとするのも、無理があるような気がしています。
昨秋の誕生日に、ライフデス・ナビゲーション「死を感じ生を解き放つ!」ワークショップに参加しました。そのときの「遺言」に書いた人生でやり残したことは、自分の子どもを持つことでした。かといって、一般的な結婚をする気はないし、養育費は払えないし、産んでくれる人や育ててくれる人がいないかなと、都合のいいことを考えてました。
そんなときに、インターネットのAbemaTVで「子どもが欲しい! 男はイラナイ! 選択的シングルマザー」という番組を見ました。なんと、子どもだけ欲しいという女性たちがいるのを知って驚きました!
子どもが欲しいという自分の願いは、人生の優先順位として低いものの、誰か産んで育ててくれるなら、ぜひお願いしたいと思います。そのうち、自分で子育てしたくなったら、選択的シングルファザー(誰かに産んでもらって自分で育てる)という逆パターンになるかもしれません。もちろん、ごく普通にパートナーと暮らすかもしれません。
まずは、スキンシップと平和を愛する「ボノボリアン」が、もっと増えることを願っています。
◎
今回は、メールアドレスも公開しておきます。セフレ、キスフレ、ソフレ、子どもが欲しいというボノボリアンからの連絡をお待ちしています。
楽健法(足踏みマッサージ)やクラニオセイクラルの施術ももっとどんどんやっていこうと思っています。
tokotonstudio◎gmail.com
◎マークを@マークに変えてください。
さまざまな批判についても真摯に受け止めますが、そのエネルギーをぜひご自身の幸せのために使ってほしいと思います。
【追記】
身体と心のメンテナンスに絞ったサイトを作りました。
身体と心のメンテナンス|ぼのぼり庵 – スキンシップと平和を愛して
https://bonoborian.wordpress.com
以下のメニューがあります。
身体のこと
タントリック&KAIUNヒーリング
楽健法
オイルマッサージ
心のこと
遠隔“緊縛”セッション
共感的コミュニケーション
音叉セラピー
利用料は、アクティブホームレスと同じように無償(ダーナ制)にしました。スキンシップや共感が必要な方はお気軽にどうぞ。
基本的に、noteでいただいたサポートは、ほかの方の記事のサポートに使わせていただいてます。