沈没家族カバー

みんなで子どもを育てるということーー映画『沈没家族』を観て

『沈没家族』
 2017年/72分/HD
 監督・撮影・編集:加納 土
 撮影助手:鯉沼愛実・藤枝奈己絵・葛西峰雄
 制作指導:永田浩三
 PFFアワード2017審査員特別賞

【解説】
 私の母は、私を出産してすぐパートナーと別れ、シングルマザーになりました。しかし母はそこで1歳程の息子を1人で育てるのではなく、ビラをまきました。自分が学校や仕事に行っている間、アパートにやってきて「土」の保育をしてくれる人を募集するために集まった、年齢も職業も様々な大人たち。
 彼らはシフトを組んで私のオムツを替えたり、食事の世話をしてくれました。彼らと母のあいだにお金のやりとりはなく、その取り組みはやがて「沈没家族」と名付けられました。
 大学の卒業制作として作ったこの作品は、そこにいた私が、久しぶりに保育にはいっていた当時の大人たち、沈没家族を始めた母、そして離れて暮らしていた「父」に会いにいくことで自分にとっての「家族」を考えるドキュメンタリーです。

【予告編】

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テアトル新宿でこの映画を見たあと、監督の加納土君と、母の加納穂子さん、保育人のひとり・しのぶ(高橋ライチ)さんのトークを聞いた。

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加納穂子さんは、子ども(土君)を産んだあと、結婚もしくは父親との同居という選択をせずに、シングルマザーとして育てることを選んだ。それでも穂子さんは専門学校に通うことをあきらめず、保育を手伝ってくれる人を募ることにした。

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夜遅くなるときは、子どもがひとりで留守番をしていることに心を痛めた。子どもを育てるのに二人きりではやっていけないが、たくさんの大人たちに関わってもらえば、子育てが楽しくできそうだと思いつく。そして「一緒に子育てしませんか?」というビラを近所に配ったのが、沈没家族の始まりだった。

「沈没家族」で共同保育が行なわれていたのは、今から20年近く前、土君が3歳のころだった。最初は狭いアパートに、独身男性や幼い子をかかえた母親など10人くらいのメンバーが入れ替わりで集まり、毎月の会議で保育の担当日を決めていった。その後、5LDKの物件に引っ越し、当初から関わっていたシングルマザーのしのぶさんと、ほかに独身男性が加わり、「沈没ハウス」と名づけられたシェアハウスとして機能していく。

「みんなで土君を育てていたというよりも、私自身の子育てを含めて、みんながいて助けられたと思います。この映画を見て、批判する人もいるかもしれませんが、じゃあどうやって子どもを育てればいいのか、それを考えるきっかけになってくれるといいですね」(しのぶさん)

映画の中で、沈没ハウスで育った監督の土君と、もうひとりの女性・めぐちゃんが、当時を振り返るシーンがある。めぐちゃんは「家族でも他人でも友達でもない、不思議な関係」と言い、土君は「貴重な体験で楽しかった」と言う。

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「いろんな大人にかまってもらえたし、家の中に、親以外に『甘えられる』場所があるのがよかった。世間一般の常識から外れることで、不安もあるけど、開放感もありました。未来を先取りしていた感じで、悪くないよね。沈没家族は、まあまあ成功したんじゃないかな」(土君)

それを聞いたしのぶさんは、子どもたちが「悪くない」と言ってくれたことに安心したそうだ。しのぶさんは、沈没ハウスで第二子を出産している。

順調だった沈没ハウスだったが、穂子さんが北新宿の暮らしが息苦しくなったという理由で、土君を連れて八丈島へ移住する。5年間続いた沈没家族は、土君が小学3年生のときに一段落する。

「八丈島の学校では友達ができず、いじめにも遭いました。相談するにも、遊ぶにも、家には母しかいません。母と二人暮らし(二人ぼっち)なのがダメなのかもしれない、沈没ハウスに戻りたいと思ってました」(土君)

かつて、保育園で「(大人の)友達がたくさんいて楽しそうだね」と言われ、「うん、楽しいよ」と答えたほどなので、急に母と一対一になってしまったことに、戸惑いを覚えたようだ。

発行していた機関紙『沈没家族』3号に、しのぶさんがこんなことを書いていたそうだ。

人が子どもを産もうと決めたときに、結婚か独りぼっちで頑張るかしか思いつかなくて、妥協して結婚を選んでしまう、というんじゃなくって、共同保育という形態を子育ての選択肢として選ぶことができるということをいろんな人に知ってほしい。

「沈没ハウスがあったから、シングルマザーでも困らなかったし、子どもたちにとっても、いろんな価値観を持った大人がそばにいてよかったと思います。4〜5年後くらいには、シングルマザーや学生・留学生のためのシェアハウスをやりたい。私が受けた恩恵を、次の世代に贈りたいと思っています」(しのぶさん)

「共同保育の場所が増えるのは心強いし、うれしい。子育ての可能性も広がるし、人間解放の意識にも繋がります。多様性を感じながら、価値観の違いがある中で、大人も子どももお互いに影響しあいながらの日々は、本当にそこで生かされてきたと思いますね」(穂子さん)

穂子さんは今、八丈島で精神障害者の支援活動を続けている。「うれP家(や)」と名づけられたその活動は、月1回、自宅で集まっているそうだ。公共ホールを借りたパーティーを毎年開き、いろんな偏見差別に負けず、心を開放して楽しさを共有していこうという趣旨だ。

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「そんな母を見て、少し劣等感を味わっています。母が沈没家族を始めた歳と自分が同じくらいになったのに、何ができるのか? やっぱり保育者になりたいと思います」(土君)

映画の中で穂子さんは、共同保育の試みを始めた動機を「勉強したかったし、一人で育児をすると支配につながると思った」と話している。

少し前に、シングルマザーが子育てをするシェアハウスが叩かれたが、昔はみんなで子どもを育てる社会環境があったはずだ。先月、夏から準備していた「お父さんバンク」のWebサイトを公開した。世の中には「得意技」を持て余している“お父さん”(性別、年齢、既婚・独身は問わず)がいて、それを必要としているシングルマザーに繋がる仕組みがあれば⋯⋯と、シングルマザーの友人の思いつきを、みんなで形にしていった。

お父さんバンクの呼びかけ人の千秋さんは、次のように言う。

「家族ってどうしても閉鎖的になるので、その枠を取り払って、みんながもっと力を抜いて、自由に手を繋げるような世界になったらいいのに。結婚という制度や、法律的な家族の枠組みにとらわれずに、その外側に拡張していけたらいいですね。そしてなにより、わけのわからない大人の集団がよってたかって自分ひとりのために集まってる! なんて状況は、子どもにとって最高にうれしいのではないかな」

20年前近く前の「沈没家族」の試みから、子育てシェアハウス、シングルマザー専用シェアハウス、お父さんバンクといった、さまざまな“家族”の形が姿を現してきた。タイミングを合わせるように、SoftBankの「みんな家族割」も同じようなことを主張していて、おもしろい時代になったなと感じている。

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出産してもシェアハウス、夫婦で社会実験中 ぶっちゃけ大丈夫? - withnews(ウィズニュース)
https://withnews.jp/article/f0170515000qq000000000000000W01l10101qq000015196A
シェアハウスで「出産・子育て」を1年間経験してわかった5つのこと | 中村あきらの「あげまん理論」
http://www.akiradrive.com/sharehouse-childcare
MANAHOUSE上用賀 | シングルマザーシェアハウス
http://manahousekamiyoga.singleskids.jp
子育てと仕事を両立するシェアハウス・ペアレンティングホーム
http://parentinghome.net
お父さんバンク | 1人よりふたり、2人よりたくさん
http://otosan-bank.com
100人でこどもを育てるぞ|天才人生 〜へんたいじんせい〜
https://ameblo.jp/aoimimizu/theme-10102354326.html


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