アイスクリームを落として泣いた

私はあの瞬間がとても怖い。楽しみにしていたものが目の前で崩れ落ちていく瞬間が。お気に入りのマグカップを割ってしまったとき。綺麗に並べたケーキを机に運ぶときに落としてしまったとき。さっきまで笑顔だった人の顔が一瞬で、無表情に変わるとき。楽しみにしていた遠足の日に、雨が降ったとき。アイスクリームを落としてしまったとき。幸せって本当に脆くてすぐ崩れちゃうんだな。私が海外にホームステイしていたときの思い出の水筒をお母さんが熱湯を入れてベコベコにしてしまったとき、そんなことを思い出した。

形あるものなんて幸せなんていつかなくなっちゃうから、大切に思わなきゃいいのにと思っても、私はいつまでも大事にしてしまう。何も忘れたくもないし、失いたくもない。日記を毎日毎日書いているのだってそんなもんだ。サブスクの時代に、コツコツCDを買って集めているのもそんなもんだ。大切なものとか守らなきゃいけないものがたくさんあるのは、幸せだけど辛い。壊されないか不安でいつもびくびくしてなきゃいけない。そして、それが一個ずつ破壊されていくたびに痛みに変わる。処女も自尊心も夢も希望も恋も羞恥心も真面目も安心も私らしさ、いっそのこと全部捨ててしまえれば楽なのに。

どうして、思い出を大切に思うのだろう。そんなことを思ったら、涙が出てきた。楽しかったことはいつまでも忘れたくないよね。思い出せばまた、楽しいと思えて。私はお母さんを許してあげられることができず、このことを許してあげる代わりにcryamyのライブに行く許可をもらおうかなんて惨めなこと考えてた。自分のことばかりで情けなくなるよね。今日は何もしたくないな。

なんか、水筒が壊れてしまったことよりもさ、許してあげられない自分の醜さとか、自分のことしか考えてないこととか、物に執着していつまでも過去に縋り付いてる自分とか、嫌になってしまうよね。本当は物がなくなっても、あのときの思い出はちゃんと頭の中にあることくらい分かっているのにね。たとえ、幸せが崩れ落ちても、あの時の楽しかった事実がなくなることはないのにね。何も心配することなんてないのにね。今日がダメだったから明日か明後日かにはいいことあるよ。自分を情けなく思っても、今までの優しさが全部否定されるわけじゃないし、どの自分も認めてあげて可愛がってあげればいいのにね。いつまで経っても捨てられない私がいてもいい。何もそんなに泣くこともないのにね私。大丈夫だよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?