回想列車
恥の多い生涯を送ってきたと言えるのはまだいいもので、恥とも思わず後ろめたいとも思えない時、この人生はどう処理したらいいものなんだろう。
自分でどうにかできない巨大な力って例えば何だろう。私の場合は生まれと育ち、あとは外見だった。
生真面目な両親、不仲であれど愛されて育った自覚はある。離婚してから再婚するまで、何ら不信感も抱かず過ごせた事は感謝しているし、この先もずっと母からの愛情を受けるのだろうという根拠のない自信も貰っている。
再婚相手、つまり義父は変わった人で教育方法も変わっていた。変わっていたというよりは私の人生において見たことがない、と言った方が正しいかもしれない。
毎晩毎晩、一階で話し合う親の声が怖かった。夢遊病になった私について、甘やかされた弊害について、あとはたぶん新しい子どもについて、とか。
再婚相手と新しい子どもを作ることは一般的なんだろうけれど、色々考えた末のことなら今までいた子供の事を考えてあげて欲しいものだ。
多少なりともひいきは発生するし、今の年なら諦めもつく。それが出来たのは最近になってからだけど。
生まれた妹と私の顔は似ても似つかず、授業参観にきた妹を見て同級生はしきりになんで?と問いかけてきた。そのくらいの年齢から、私は自分の顔が嫌いだった。父に似た小さくて細い目、濃い眉に薄い顔、奥目。
対する妹は大きくて可愛い目。存在だけでなく外見までも持っていくなんて、なんて残酷な事だろう、許せなかった。幼くて醜い私は何度も何度も嫌がらせをしたし、その都度自分の事が嫌いになった。
卑屈な言動に苛立つ母とそれに反抗する私、それに苛立つ義父、様子を伺う妹。まだ五十音も書けないのに気を遣う妹を見たとき、私はこの子に何も勝てないのだと思ってしまった。
哀れみ以外で私の事を見てほしかったし、素直に凄いと褒めてほしかった。褒められるような事を出来たかは分からないけど。せめてずっと側にいたお母さんくらい、言葉にして可愛いと言ってほしかった。笑顔を求めるなら、根本の問題から解決したかった。
デフォルトがそういう所からきているから、一番を追い求めてしまうしそうならない事がわかっているから敢えて不幸になりたがる。
幸せが怖い、から間違ったところにしかいけない。自分の事がどうでも良くなったから、怒られるような事も出来るようになった。
面白くも悲しくもなかったし、そこでああ本当に私は自分の事が嫌いなんだ、と気付いてしまった。
失敗しても怒られても安心するから40%の力で出来ることしかしたくないし、本気でやりたいことがない。望むと壊れてしまうから。
恋愛をしたくない。私より周りの子に取られるから。
身の上話を聞いて、泣いてくれる人がいた。
それも二人。こんなのでも頑張ったって思ってくれるんだ、頑張ったって思っていいんだ、って勘違いした。これも違ったみたいだ。その二人も直に、何処かに行った。
どちらも私を尊敬していると言ってくれた。
何を信じたらいいか分からないしどうやったら孤独に調和できるんだろう、恋愛じゃ埋められない所を埋めたい、でも体温が欲しい。どうでもいい人の事を考えたくない、これ以上人の生活を背負いたくないし踏みにじられたくもない、好きになりたくない。誰とも関わりたくない、ことはない。
こんな人生でごめん、好きになってほしい、誰かと繋がっていたい。最悪好きじゃなくてもいいから、ずっと見ててほしかった、頭が痛いからもう終わり
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