常に最善
ここ数日、喉の調子が悪い。
喉が痛くて声が枯れる。乾燥してイガイガしたり、声がかすれたり。
年度末からの忙しさがひと段落してきて、疲れがどっと出た感じだからなのかな。。。
声が出なくても仕事はある。
なので、声が出ないからながらに工夫しながら仕事していました。
もちろん、家に帰ってからはケアして、次の日には出るようになったらいいな。。。と思うのだけど、前日より悪化することもあったり。
それでも、出ないなら仕方ないと仕事していたのですが・・・。
声がでないことで、いろんな見え方ができていることに気がつきました。
いつもなら声をかける場面も、声がでなくて相手に届かなかったことが、結果見守ることに繋がって、自分が必要以上に声をかけすぎていなかったかな?と気づくきっかけになったり
声がかすれるからいつもより小さい声で話しかけたことが、場の空気を壊さずに済んだり、穏やかな雰囲気になったり
相手の声の音の圧や感じから、自分の声の音の使い方を見直すきっかけになったり
声が出ないことに対して、自分がフラットに感じていることがわかったり。
今まで、自分のどんな状態も、「そのままにしておく」ということをやってきたからなのか
「整える」ことにエネルギーを注がなくなった。
だから、「起こっていることを感じること」にエネルギーが向いたのかもしれないなと感じた。
もちろん、しっかり声がでて、元気に動けることが、自分の理想だし、そういう在り方を毎日したいということは思っている。
けど、毎日、身体って変わるし、忙しい時期はコンディションが整わないことだってあるから、整わないことを悪としない。
今回のことで、一見整わないことでも、起こっていることは実は最善なのかもしれないって思えるようになった。
自分を振り返るきっかけになったり、起こっていることをちゃんとみて感じることで、本当はどうしたいのかな?っていう自分の思いに気がついたり。
身体の波を感じて、その波の中での最善を淡々と尽くしていく、っていう。
本当に大事なことって、それだけなのかなって思えるようになった。
以前、整体の勉強をしていた時、コンディションが整いきらなかったときに施術の練習をさせていただいて、辛辣な意見をいただいたことがあったのだけど、
今思えば、最善なことが起こっていたのだなって思う。
その意見を聞きながら、自分の気持ちをしっかり見ることができたし、
もちろん、整体を学ぶことを選んだ時から持ち続けている夢は消えてはいないのだけど、今もそこは変わらないのだけど
その時に、自分が最優先したい物事、自分が大事にしたい思い、試してみたいことがよくわかったから。
今思えば、これも、機会損失という失敗をするところを、
自分の身体の声を聞きながら、「学びの場にいく」ということができるところまでは整えていった自分がいた。
だからこその、一つの体験だなと、今はそう思えるな。
「その時のその状態が、その方の今だから、どんな顔して会ってもいいんですよ」
気持ちが整わなくて、どんな顔して会ったらいいかわからない。。。という方の話を、とある方にしたときにかけていただいた言葉。
自分に対して、それができるようになったから、他人に対しても、私も今は同じことを思う。そこに左右されてない。今、この人はこんなんだなって思うというか。
いつも、この瞬間、起こることが最善。
そんな風に思えた、今回の、声が出ない日々でした。
まだ、声はかすれますが。
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