その闇は光でした。

このところ、体調不良というほどではないけど、眠気と怠さがずっと続いている。

おまけに、自分の感覚も、今まで感じていたところのもう一つ奥を感じているような状態で、何かが開くのかなーっていう。

身の回りでも、使ってるものの不具合とか、故障とかもあって、何だかいろいろ変わるんだろうなーとも。

そんな中、調律という言葉を聞いて、高校生の頃憧れた職業の一つがピアノの調律師さんだったなーということを思い出したり、この何だかだるい感覚も、高校生の頃に喘息が再発して苦しかった時期の体調と何だか似ているなーということを思い出したりして、久々に高校生の頃どうだったかなということを思い出してた。

私は小児喘息を患っていて、3歳の頃からスイミングスクールに通ったことで、喘息が出ることがほとんどなくなっていたのだけど、高校生当時のバイト先のラーメン屋さんで、タバコを吸うお客さんが多くて、そこで10ヶ月くらい勤めた時に、再発してしまった。

で、咳で体力も奪われるから、毎日怠くて。学校も休みがちになって、楽しくいっていた吹奏楽部のお手伝いも(部員ではなく、お手伝いで行っていた)行かなくなってしまった。

自暴自棄にもなった感じだったのだけど・・

けど、非行とか、そういう道に走ることってなかったなぁ

何でだろう?って思った時、その頃に出会った大人たちが、優しかったんだと思った。

学校を休む癖にバイトには行っていて、受け入れてくれる店長や店長の友達の土建屋さんの社長さんの何気ないやりとりが心地よかったり

その当時知り合った10歳くらい年上の方々とのやりとりが、表現できない心の悶々を軽くしてくれたり。

等身大で、悩んでる姿とか、過去に深く傷ついた話とか、そんなこともたくさん話してくれて、その話を聞いて共鳴して自分も何だか泣けてきたりすることもあって、みんなそれぞれにいろんなことを経験しているんだなって思えたことが、自分だけじゃないっていう安心感をくれたことを思い出した。

そして、そういう大人の方々に、本当に憧れた。

闇のような部分を抱えながらも笑ってくれたり、優しい言葉をかけてくれたり、私が凹んでたら遊んでくれたり、私にくれたものを思い出していたら、

その人たちが闇だと思ったもの、私にとっては光だったなっていう、そんな気持ちになった。

本当にあったかい人たちだったな。

光も闇もワンセット。

学生の頃に培ったものが、今、すごく活きていたり、基盤になっていたりする。

闇だと思っていた時期もあるのだけど、光がさすと、実は宝物だったかもしれないなと思えた。

全て経験で財産。なんだな。

身体の怠さから、そんなことを思っていました。


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