しんどさが糧になる時
最近、無理ができなくなってきたことをずっと感じていて、
特に、仕事って無理が多かったり、我慢することも多かったりするなぁと感じていた。
ただ、最近、「今まで働いてきた中で、楽しかった時ってどんな時ですか?」という質問をされたのだけど・・・
しんどかった中でも「この時はとても楽しかったなぁ」という時期が確かにあったなぁと思い返していた。
それは、前の会社、施設長を経験していた頃。
今までとは桁違いの責任感や、業務も増えたことで、味わったことのないストレスをたくさん感じていた中でのこと。
そこでも、やっぱり、自分の体力的な限界や、精神的なきつさ、一緒に働いている職員さんにもそのしんどさを背負わせている現状に氣付いたことがきっかけ。
女性特有の身体の周期に合わせてシフトを作ったらどうかな?とか、私たちも無理なく、子どもたちが楽しめるものってどんなことができるだろう?ということを探し続けて、いろいろと試していた時期があった。
会社の状況もあったりして、思うようにいかないこともたくさんあったのだけど
その時に一緒に働いていた方から
「あの頃の先生は、子どもより楽しんでいて、自分も楽しまないとなぁって思わされた」
という言葉をいただいた。
そう、しんどいこともたくさんあったけど、全員が無理をしない、楽しくできるということを探りながら、作っていくことがとても楽しかったし、自分自身、しんどさが逆にエネルギーに変わっていっていたと思う。
残業も多かったし、保育以外の事務仕事もたくさんあったのだけど、どうやったら自分が楽にできてミスが少なくできるかとか、残業時間がどうやったら 楽しくできるか、なくすにはどう工夫を凝らせばよいのかとか、そこをやってみて、バチッとはまる瞬間が楽しくて、たくさん悩んだし、うまくいかない経験もあったけど、その頃の経験は、自分自身を強くしてくれたなぁと思う。
自分の状態で、ストレスって、武器にも敵にもできると思う。
一番思うのは、「お互いの心地よさの追求」というところで動くことが、ストレスや負担を、自分自身を磨く負荷にできるんじゃないかなと思う。→ストレスや負担も、活かせるものとそうでないものがあるのも事実。
ただ、「我慢することが、自分にとっては心地よい」と感じている人から見たら、私のしていることは「手抜き」や「サボり」に見えるようでもある。
けど、身体って資本だから、健康ってお金で買えるものじゃないから。
仕事がきっかけで身体を壊すことって、自分が関わる人たちにはしてほしくないし、自分はそういう環境は作りたくない。
だからこそ、自分の心地いい距離感で関わって、成果を残していけたらと思う。
今思えば、しんどかったけど楽しかったって言える経験が一番
自分を強くしてくれたなぁと思う。
だからこそ、しんどさもいい仕事をしてくれた時期でもあったんじゃないかなと思う。
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