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     病気との戦い


もしかしたら、自分の勘違いな
だけかもしれない。

「自分が弱いから」、「他の人とは違うのかな」
「これはダメなことだ」、「生きてていいのかな」
私はこの言葉がひたすら脳裏にありました。

⚠︎自分語りでもあるので、もし気分を悪くされましたら申し訳ございません。少し暗い話になると思います。それでもよろしければご覧くださいませ😓



心療内科に行き、分かったことは
私が注意欠如・多動症(ADHD)
アスペルガー症候群
うつ病だということ。

正直ショックでした。でも、
少しスッキリしたんです。

昔から、部屋の掃除が大の苦手で
母親も掃除が苦手な方でしたので、
母親に似たのかもしれないなと感じとり、
「変わらなければいけない」と思って育ちました。

母親を理由にしているあたりが
まだまだ子供な考えでもありましたね。

学校ではお道具箱の整理、ロッカーの整理ができず
先生に「何故あなたは整理整頓ができないの」と説教された記憶があります。
隣の席の子に整理整頓してもらった経験も、あの頃は本当に申し訳なかった。

物を置きっぱなしにして、
なくす事も多数ありました。
ある意味お金のかかる子だったのでは
ないでしょうか。

思春期になるにつれ私は自分の性格
に対して呆れ、怒り、悲しみが出てきました。

生きている意味を探していました。
両親を何度も傷つけて、いっぱい泣かせて
しまいました。未だに後悔してます。
だからこそ今の私があります。

ちゃんと「ありがとう、ごめんね」が言える子に
なったよ。

そしてうつ病関しては悪化したのは
前の職業がきっかけでした。

正直、自分が嫌いだったからこそ
相手より自分を責める癖がつき、
うつの傾向はありました。

飲食店での接客業に勤めていたある日、
私は地下鉄に乗ろうとして電車を待っていましたが
脳裏に浮かぶのはこの言葉でした

「生きてていいのだろうか。このまま飛び込めば
楽になれないだろうか。」

コロナウィルスの影響が強かったのでしょう。
私は知らない間に心が参っていたのでしょう。
従業員の方々は凄く優しく、私の気持ちを親身に聞いてくれる方々ばかりでした。

死なずに生きてるのは、生かされてるのは
周りの人の影響であり、
今の自分の強みだ。

だから仕事を辞めよう。

その決心が私の今です。

辞めるまで怖かった、何を思われ、
軽蔑され、逃げだと思われるのか。
ごめんなさい、みんなコロナで辛くても苦しくても
頑張ってるのに、私だけ楽になろうとして。

そういう気持ちが募る時に、
親しい職場の方に言われました。
「誰もそんな事思う人いないでしょう?
貴方と歩んできた事は凄く意味があったよ。
色々経験になったよ。ありがとう。」

人の言葉がここまで温かくて
ここまで救うのかと。

生きててよかったな。


長々と失礼しました😓
ここまで見てくださった皆様は
凄く心の優しい方です。

今も完治しきってるかと聞かれたら
まだまだです。
それでも前進して、生きることをやめず
頑張りたいです。✨

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